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恨みに恨んだことが自分に返ってきたら?と不安です。

人を憎んだ事があります。

2年もの長い間、毎日毎日、本当に自分でも驚くほどに仕事中も何をしていても、相手を憎み怒り、不幸を願っていたのです。それほど傷付き酷い事があったのは確かですが、エスカレートして相手に執着し、相手の近辺情報を他人になりすまし収集しては、相手の現在の状況を把握し幸せを阻止しようとまでしていました。

しかし今は、やっと前を向き、過去や憎しみから決別していけるような考えになり、やっと解放に向かっていける気持ちになりつつあります。むしろそれは人生において貴重な学びであったし、自分の大きな間違いに気付けた出来事でもあったと感じています。

人間として最下位までに叩き落とされ、自分の価値も誇りも散々汚されゴミのように扱われましたが、本当に「人として生きる人間」として私はこれからどうしたいのかを深く知ることとなったのです。

しかし、あまりにも長い間、日課のように憎んでいたので、憎み癖がついてしまったように思います。

また因果応報と言うか、憎みつづけ、身辺調査を続けて相手の動向、趣向を探ってきた私に、なにかあるのではないかと不安です。

出したエネルギーは必ず自分に返りますよね…

強い憎みだったぶん不安です。

何か解消の方法、ご伝授下さい。

後悔・自己嫌悪
有り難し 9
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

連鎖・因縁の中でしか生きられない

 こんにちは。「恨みに思って過ごしてきた」、その期間が長ければ、それは癖のようになってしまうかも知れません…あり得ることだと思います。
 しかし今はもう、その渦中にはないのでしょう?恨みの心に支配される日々は終わりを告げたのでしょう?それは良かったですね。
 そもそも、何方かに恨みを持った、というのも「やられた!」という原因があるゆえですよね。そして2年の間恨み続け、何かのきっかけでそれに気づき、離れることにした。それも単独で起きたことではなく、原因になることがあって、発動する環境があって、そうなっていた。
 であれば、「これからは、恨んでいたことによる何か…悪いことが…起きるの?」と思われるのも自然です。というか、何かはあるでしょう。けれどね、それを受け止めるに良い状態だとも思うのです。
 人は生きていく間、どのみち苦労には見舞われます。しかしその時、「何でよ!私、何も悪いことしてないのに!!」と、怒りを持って受け止めてしまっては、解決はこじれるばかりです。「私は悪くない」という前提と整合性を付けなくてはならないですから。
 しかし、今の貴女であれば、「もしかしたらこれは、私が過去恨みを持っていたからかも知れない。それの清算なのかも知れない」という構えで受け止めれば、ずっと解決しやすくなると思います。「自分は関係ない」と言っていることを「何とかする」のは困難なことですから。
 そうして清算していく。それが因となって、また次のことが起こるでしょう。けれど安心して欲しいんです。
 因果応報。それは「よい因があれば、それに連なる、よい果があります。悪い因縁だけじゃなくてね」という意味なのですよ。「起きた問題に、きちっと対応した」というのは明らかに「良い因」です。


質問者からの有り難し - お礼

回答ありがとうございます。

恨み。

人間である以上、沸き上がる感情の一つでしょうか。

喜びや幸せの方を強く感じられたら良いのに、なぜか毎回、恨みや怒りの感情の方が後を引きます。

ノートに書き出せば、幸せや喜びの出来事の方が多いのに。

腑に落ちないことを納得するまで考えてしまう性格は、仕事や学びの世界では長所として活用できますが、こういうときにも発動するから大変です…。

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