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貴方が「この教えは現代に合わない」と思った事を教えて下さい

回答数回答 6
有り難し有り難し 89

最近仏教関連の事柄を勉強しています。

大抵のことには首肯でき、今までの自分にない発想に心が洗われるような気持ちになりますが、イマイチ納得出来ない部分もあります。
それについてはまた別の質問で書かせていただきたいと思いますが、今回は、ここにいらっしゃるお坊さん達が、仏教の教えの中で、今の世相に合わないのではないかと思った部分、疑問を持っている部分などについて聞かせていただきたいと思います。

なぜこのような質問をしたいかと言いますと、例えばイスラム教では豚肉を食べてはいけないという教えがありますが、由来としては「乾燥した地域で、牧草でなく穀物を食べてしまう豚が忌避されたから」「伝染病の蔓延や寄生虫による被害の元になるから」などの説があり、この教えは現代ではほとんど有用性がないといえます。このような、現代社会に合わない教えというものが仏教にもあるのではないかと思ったからです。

なんだか衝突を巻き起こしそうな質問で申し訳ありません。
「ない」という回答でも結構です。

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人気作品の映画化の際には必ず変な脚色が加わるように

(^。^)思いつく限りですが、たとえば
・死後の世界、あの世論…このご時世に於いてもはや根拠がないことをいうべきではない。子供にさとし聞かせるための方便の一つであって、大人向きではないからです。
・極楽 浄土 彼岸… 死後の世界の事ではなく、生きている人が目指すべき理想の精神状態と解釈するべきである。
・六道輪廻…生まれ変わり論ではなく、精神状態の浮き沈みと解釈するべきである。
・ほとけさま…曖昧すぎて意味が通じない、というか現代では西欧の「神様」的な使われ方をされていることすらあって多くの誤解を生みだしているから。

・その他、奇跡を起こした、空を飛んだ、神通力で…した的なことは、後世の人間が脚色したものでありましょう。

では、何故摩訶不思議、意味不明なお話が経典や仏教説話にはたくさん登場するのか。
あなたの好きな小説や漫画がアニメ化された時にがっかりしたようなことはありませんでしたか?
声優が不適切だとか、原作にこんなシーンはなかったぞとか、むしろアニメ化、映画化しない方が良かったというような経験はありませんでしたか?
私はドラえもんやサザエさんを観ていると、観ていられなくなります。
あまりにも私が育った慣れ親しんだ原作からかけ離れ過ぎているからです。
アニメや映画のエンドロールをご覧になるとおわかりいただけますように、一つの作品を大作に手がける際にはたくさんのスタッフが必要なのです。
多くの人の手が加わると新しい解釈やいろんな脚色が生まれ同時にだんだん原作から遠のいていってしまったり、作品が一人歩きしてしまったり、ということが起こるわけですね。(^。^)b
そういうものなんだ、と大人目線で見られるようになると、謎の脚色ごとに眩まされず核心のみを追えるようになれますよ(^。^)

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おきもち

常に合うから法と呼ぶんです

t_lav95さんへ

教えが現代に合わないということはありません、水上様が仰せのように教えが偽物であるなら消滅してゆくものです。

仏教というのは、仏法という真理(今は人間の道理や物事の道理と理解してください)をお釈迦様が発見したのです、ニュートンがりんごの木で重力を発見したようなものです(重力は時代によって変わっていくものでしょうか?)

そして仏法をほかの人に理解できるように言葉で表現されたり、生活や修行の中で行動をもって教えられたんですね、それを仏の教えとして今に伝わっているわけです。

お釈迦様の時代のインドでは輪廻転生などが信じられていました。六つの世界を生まれ変わるというものです。

人は自分の信じていることを否定されると強烈は反発感情が起こります、反対に「君の信じていること私もわかるよー」って感じで接してもらうと親近感が湧き話を聞いてみようかな、って感じる生き物なんですね。

お釈迦様は相手の信じていることを批判しないように相手の信じていることを話題に入れながら、今の生き方を改善してほしいと考えたのなら「今のままでは地獄に落ちますよ、見直したらどうですか」というように相手の理解しやすいようにお話なさっているのです、つまり方便ですね。

「女性は8つの穴から汗や糞尿が出てくる汚いものだ」などの表現もありますが、これも男性修行者が女性に気を取られて修行に集中できないため方便として表現されたのだと思います。

しかし方便というものは、時代の移り変わりで理解しがたい表現になっているとも感じています、ですから少し乱暴ではありますが「方便が時代に合わなくなっているのであって、仏法と仏教は普遍だ」というのが私の答えになります

t_lav95さんが例に出されている「豚肉を食べてはいけない」のような例でしたら、仏教では「肉を食べてはいけない」のようなことでしょうか、これはわざわざ食べるために殺してはならないということだと私は理解しています。よく肉を食べるのは「なまぐさ坊主」などと言われますが、それはお釈迦様が長々と否定されています。詳細は省きますが、私は浄土真宗の僧侶なので肉食は禁止されていませんが「肉を食べてはいけない」は正確にはお釈迦様がお決めになったルールではないのではないかと考えています。ですから元より教えではないという解釈です。

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おきもち

私達は本当に悩んでいる事は、なかなか相談する事ができませんよね、私も10年...
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逆に原点に返って欲しい。

 私は今の仏教用語をふんだんに使ったり、仏様のために・・・ということを説明する仏教関係の本に感心はしても人生の参考にはしていません。私のために書いた本ではないので当然ですが・・・。
 戒律も結局、今の僧侶は守っていない。守っていては、やっていけない回答のほうが正解かもしれません。
 お釈迦様は悩んでいる人に対機説法を行いました。要はその人に合った回答を示すのです。ですから、教えはあってないような、教えにそぐわないからといって罰せられることは無いと言っても過言ではない。
 悩んでいる人に対し安心を得ることが第一なのです。だから、仏教には『聖書』が存在しない。多くの経典、祖録が存在する。しかも、すべて正解なのである。白黒はっきりしないようでしている。いわゆる、グレーゾーン的なものであります。ですから、あなた自身で正解を見つけられますし、他人の回答も否定はできないと思います。
 イスラム教でなぜ豚肉を食べてはいけないか。科学的な部分しか根拠を示せないのは宗教を安く見ているのではないでしょうか。サラディーンがどれだけ十字軍の捕虜を教えに基づいて保護したか。トルコがなぜ親日なのか。考えた方がよっぽど慈悲に溢れた人間になれると思います。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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時間を超えても本当に正しいものなら

仏教に限らず他の宗教でも、その時代にしか
合わないようなものなら消滅してしまうでしょう。
しかし二千年以上もこうやって続いているのには
それなりの理由があるからと思います。
今の世相に合わないというものは、後々に誰かが
宗教を絶対のもとするために脚色したものではないでしょうか?
宗教も政治と絡んで至りもしています。
しかし本当の真理は時代を超えても受け継がれていくでしょう。
なぜならそれが正しいからと思います。
正しいと思う人が多いからこそ続くもので
怪しいと思う人が増えてくれば廃れていくでしょう。
t_lav95さんも現代でも合う教え、合わない教え
など勉強して貰いたいです。

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おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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批判的・合理的検証の必要性について

t_lav95様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏教を学んでおられまして、誠に尊いことでございます。是非、学問としてだけではなく実際の修習(禅定行や善徳行・慈悲利他行など)も進められて参りますことをお勧め申し上げる次第でございます。

個別具体的なお答えとはなっておりませんので申し訳ございませんが、何事においても批判的・合理的に検証していくことは大切であると存じております。下記問いの拙回答においても少し述べさせて頂いております。

問い「師を探すには」
http://hasunoha.jp/questions/136

『・・チベット仏教における教えの中に、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え師の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返して、しっかりと納得した上にてその教えを修習することが大切なことになって参ります。・・』

疑問・懐疑的なまま、あるいは納得できないままにおいて実践をしていくことは、当然に継続も難しくなるでしょうし、良い結果も望めないことにも繋がってしまいかねない恐れがあります。

もちろん、「理論→実践」と、「実践→理論」を必要に応じてバランス良く行っていくことも必要であるかとは存じております。

仏教思想・哲学における理論に関しまして、拙生は一から仏教の学び直しを経て10年ほどが過ぎましたが、総合的に鑑みさせて頂きまして、以下において述べさせて頂いております拙考え方を前提として批判的、合理的に検証を行うようには致しております。もちろんこの拙考え方でさえも、まだまだ不十分であると存じておりまして、批判的、合理的に検証を繰り返していかなければならないと考えております。

「拙回答の基本的な前提となる考え方について」
http://www.hide.vc/h1.html

これからも理論を考究していくことと共に、実践にもしっかりと取り組んで参りたいと存じております。

この「hasunoha」にてご回答をさせて頂けますことも、一つの実践であるとして真摯に精進努力して取り組んで参りたいと存じております。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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t_lav95様へ

「仏教の教えの中で、今の世相に合わないのではないかと思った部分は…」との事ですが、

当方のお答えは唯一つ「そのようなものは一切有りません。」
仏教の教えは不変であります。
但し後世に於いて、仏教らしいものの教えには、色々と合わないものが出て来ている事は否めませんが…
然りとて、一々取り上げれば切りが有りませんので、此処では申し上げません。

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有り難し
おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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回答数回答 2

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ