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肩の力を抜く

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よく周りの人からもう少し肩の力を抜いても良いと思うよ と言われます。でもどうやって肩の力を抜くのか分かりません、肩の力を入れたくて入れているわけではないし、逆に肩の力を自分で入れているわけではないので、抜き方が分かりません。
どうやって「肩の力」というものを抜くのでしょうか?リラックスすることなのでしょうか?でもリラックスする方法を探していますが、見つかりません。お風呂は大好きですが、入浴している時も色々と悩みや行なっている事の事について考えてしまいます。だいたい寝る時以外は物事について常に悩んで考えています。確かに自分でも疲れます。少し楽観的と言いますか、どうにかしたいです。
どうすれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

柔軟に、でしょうけれど

こんばんは。「よく」周りの人から言われる、とのことですが、それはみんな「具体的な会話の流れ」の中で出てくる発言なのでしょう?であれば、それを言われた直前の、貴方の発言が何であったか?それを見ないことには「どんな意図だったか」は分からないのです。辞書的な意味は「頑なに考えないように」という意見だとは思いますが、どんな言葉も実際には文脈の中で理解しなければ分からないものです。貴方が「肩の力を抜いて」という言葉に引っかかるならば、その会話を慎重に思い出さねばなりません。
あと、将来のこととか、「いまは考えても仕方ない」ことは多いですよ。沢山の選択肢や可能性があるのに、「今分かっていること」から全てを描こうとしていませんか?もしもあなたが無限の「もしも」を考えてしまうなら、そのセリフは「もっと状況が具体的になってから決めれば良いのではないか?」という意味かも知れません。
その場その場での柔軟な対応ができる状態を作っておくことも、自由を手に入れる手段のうちですよ。

早速の返信、ありがとうございます。
そうですか、あなたが今困っているのは何でしょうか?他人からそう言われるとしても、「言われて辛い、苦しい」なのかしら?
「考え過ぎて疲れる」、そりゃ普通のことです。で、「これ以上考えても仕方ない」と思っても、また同じことを繰り返してしまうのですね。「疲れたから、やーめた」ができないのが苦しいのかも知れませんね。
私としては、「思い切り、突き詰めて考えたいことは、トコトン考えられる」というのは、若さもあって一種の幸せな状態だと思います。
疲れたって、それで死ねわけじゃないので、そのままでも良いようにさえ感じますが、敢えて背中を押すと、「考えを図示してみたら?」と思います。マンダラートを使ってみるのもいいかも。「これ以上は不確定要素で分からない」つまり行き止まりが見えると、ゴールは見えなくても納得はできるかも知れませんよ。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
だいたい周りの人に言われる時を考えて見たのですが、周りの人から言われた言葉を思い出しました「あなたは0か100かの人だよね」と
やらないなら全くやらない、やるならば尋常じゃないほどに打ち込んで完璧に仕上げたい性格だよね の様な事を言われました。 
あとは 「もう少しラフに考えなさい」「どうにかなるさ と思いなさい」
僕の肩の力が入りすぎる理由はこれなのでしょうか?

またご回答で思ったのが、僕は「もしこうなったらどうしよう」と思うくせがあります、「もっと状況が具体的になってから決めれば良いのではないか?」というご回答を心に入れておき、実践しようと思います。

多分このような背景があるので、言われるのだと思います。アドバイスはありますでしょうか?
ご返信お待ちしています。

ご返信ありがとうございます。
周りから肩の力を抜きなさいと言われて確かになと思います。自分でも考えすぎて辛い時はあります。マンダラートをやってみようと思います。ありがとうございました。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

自分に価値がないと思い込んでしまう

こんにちは。社会人の傍らアーティストとして作品を作っている者です。 自分の周りの人を、特にいま付き合っている彼氏と無意識に比べてしまい、自分の作品、自分自身に価値がないと思い込んでしまいます。 私の彼氏もアーティストで、私よりも歴が長く実績も成功談もたくさんあります。 「仕事が入った」「有名なあの人と飲みに行く」など、そういったエピソードを聞く度に、自分自身と照らし合わせて落ち込んでしまいます。 私はアーティストとしてはまだ歴が浅く、自分に価値を見出すには今は作品を作り続けるしかないとは自負しています。 しかし彼氏の成功談を聞く度に「もっと早く始めていれば」「自分にもっと才能があれば」など、過去に何もしなかった自分を責めてしまいます。 私は過去にアーティストを志したものの、元彼のモラハラ(アーティストとしての才能を否定されたこと)や仕事を理由に諦めてしまいました。それでも今の彼氏と出会い、やっぱり自分も輝きたいと思いもう一度挑戦しています。ですがやはり、過去に諦めた事を酷く後悔していて、あの時諦めていなければ今頃彼と同じように輝いていたのに、と考えてしまいます。 前に感情的になり彼にその事を言ってしまい「そんなことを自分に言われても」と彼を困らせてしまったのもあり、余計に後悔が募るばかりです。 彼はその後も会う度に嬉々として新しいものを見せてくれますが、正直今は彼の作品を見るのも苦しく、とにかく作品を作らなくてはと思いながらアイデアが思い浮かばない自分が日に日に憎くなり、毎日苦しいです。 過去の後悔と決別し、無意識に他者と比較しないためにはどう考えれば良いでしょうか? どうかお力添えください。よろしくお願い致します。

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辛くても悲しくても笑っています

わたしは辛くても悲しくても笑ってしまいます。 人から何か言われたり、コンビニの店員さんに答えるだけでも笑ってしまいます。 本心からならいいんです。 でも、心の中は黒い感情でいっぱいです。 たとえば『気安く話しかけてんじゃねーぞ』とか 仕事中なら『お前サボってねーで手伝えよ』とか。 こうなってしまったのは子供の頃、父がわたしに理不尽な事をした時に 怒ってにらみつけたり、泣いたりするとものすごい怒声と暴力があったからです。 それから人前で本心をさらけ出すのが怖くなり、どんな状況でも笑ってしまい、身を守る癖がついてしまいました。 たとえばどうしても嫌な事でも頼まれ続けると受け入れてしまい、その後、その後始末で何年も悩むとか、その後の人生がその時の尻ぬぐいのような感じで終わってしまいます。 頭ではわかっているのですが、条件反射的にそうなってしまいます。 自分の人生を、自分らしく、自分の感情や気持ちを偽らずに生きていくにはどうしたらいいでしょうか? 頭や心では万人に好かれなくていい、自分が好きな人だけに好かれたらいいと思っていてもどうしてもその癖が抜けません。 笑わなかった後の相手の反応がわからず困っています。

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父親から煽られる不安や苦しみについて

はじめまして、ときおりHasunohaを覗いて元気をもらっている者です。 父親からの苦しみについて相談させて頂きます。 父親に人生やキャリアの話をすると、その返答に異様に不安を搔き立てられてしまいます。 昨日も、父親と話しているときにはそこまで不安を搔き立てられなかったのですが、寝るときになって悪夢にうなされ、明け方震えで目が覚めました。 以前会社を転職する際も、今から上司に謝って会社に残らせてもらえ!と怒鳴られました。次の会社から海外留学するときも、ようやく落ち着いたと思っていたのにこれらからどうするんだ、いい年だぞと言われました。海外でなんとか職を得て働き始めた今、冒頭の電話をしたら、そんな給料ではやっていけない、その年(アラフォー)になって、仮に日本に帰ったときに仕事があるのか、などなど。とにかく、年齢のこと、お金のことを言われます。 何より、父親と話すと、自分の人生のすべての決断が間違っているように感じます。私は今まで自己肯定感は強い方だったと思います。でも、父親と話すと、とにかく不安ばかり煽られます。言われれば、上場企業で何もせずに定年まで過ごせば一番金銭的にも良かったと思うことがあります。日本企業の安定的な環境のことや退職金など自分が失ったことはよくわかっているのです。苦労して海外で職探しなどしなければよかった、海外なら駐在員でも目指して適当に過ごせばよかった。自分はまともに仕事をして(会社には適当に仕事している人もたくさんいました)、自分のキャリアも考えたり、真面目に働いてきたつもりだったのに、なんでこうも苦しい道ばかり選んだのだろう。自分や自分の人生を肯定できないこと、とても辛いです。また、この自己肯定感は母親がありがたくも与えてくれたものだと思っているので、よけいに苦しいです。 心配してくれているからこその父親の言い方なのだとか、自分はまだまだ学ぶことが多いのだとか、お金だってまだこれから稼ぎうまく老後を過ごすよう努力すればよいのだとか、頭では考えられます。でも、もう不安を煽られたり、年齢のことを言われたり、せっかく一時帰国して会いたいという話をしても今は仕事を頑張るときだと断定されたり、疲れてくるのです。 質問のポイント、背景のご説明も不十分、乱文で大変恐縮ですが、それでも何かお知恵を頂けたらありがたく存じます。

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諦める(明らめる)には

こんにちは。 私は、家族に対する期待があり、それを得られないことで苦しんでおります。それを諦めることはできるでしょうか。 私が家族に期待することは、たとえば私が泣いていたら「大丈夫?」「そばにいるよ」などの心配や寄り添いをしてもらうことです。 私の家庭環境は、仕事命で子供には無関心だった父、幼少期に喧嘩して大人になるまで無視され続けた兄、過干渉で頭ごなしに怒る母でした。家庭の中で安心して甘えられる相手がおらず、友人も少なかったです。 大人になって現在、私は結婚して夫と二人暮らしです。夫は付き合っている時は愛情表現が割とあったのですが結婚してからはすっかりなくなりました。さらに、どうやら夫は発達障害の特性があるようだと分かり、他人に共感することがとても苦手な人なんだということが分かりました。 こういうわけで私の家族は、私が求める形で寄り添える人はいません。愛情はそれだけでは無いと頭では理解しています。 父は、お金は何不自由なく出して育ててくれましたし、兄との喧嘩はお互い様です。母の過干渉も心配や愛情からくるものだと理解しています。夫が共感が苦手なのは別に悪いことではありません。 それでも、私は自分が誰かの目の前で泣いている時に誰も声をかけてくれないことが心から辛いです。自分には心配される、愛される価値がないんだとまで思ってしまいます。 「まずは自分から愛すること」や「自分で自分を愛すること」を心掛けてはいるのですが、なかなかうまくできていません。心のどこかで愛されてない自分を諦められない、もしくは納得いってないのかもしれません。 仏教では、諦める=明らめる、ということだと知りました。現実を直視しそれを受け入れて楽になることは私1人でもできるでしょうか?

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