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明けない夜はない

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有り難し有り難し 74

明けない夜はない。悪いことは長続きしないと言う意味の言葉がありますよね。好きな言葉の1つです。
この言葉は本当なのでしょうか?本当に悪いことはいつまでも続かないのでしょうか?
父が病気になって6年後に亡くなり、母は二回目の脳内出血でそれまで楽しくほぼ不自由なく、暮らしていたのに二回目の病気のせいで
高次脳障害になり、車椅子生活なってしまいました。私のせいで姉とは仲たがいをして、それっきり姉とは、ほとんど合ってません。
みんな大好きでした。冗談ばかり言い合って明るい、仲良し家族でした。
父のこと、母の病気のことを除いて、いくら介護疲れとはいえ私は母に手を上げました。そのせいで、家族はバラバラになりました。許してくれとは言いません。これは許されることではありません。自分のことは良いのです。でも、母の病気を少しでも軽くすることが出来てたら、きっと私はこの家に生まれて来た意味があると思えるのです。
明けない夜はない。悪いことは続かないって本当だって思っていても良いんですよね?
いつも同じ事ばかり聞いてすみません。頂いてアドバイスを聞いてないわけではないのです。
こちらのお坊様方に、そして私の仲間たちに話を聞いてもらえて、どんなに楽になったか。
いつか今の状況を時間が解決してくれる、前みたいに仲良くなれる、と思えるようになりました。
それでも、時々、自分の気持ちを吐き出したくなってしまうことがあります。
大丈夫だ、物事は絶対に好転するんだ、だから明るく生きよう、前みたいに生きようって、思うために、確認したくなることがあります。分かりにくく長文ですみません。宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生死を超える

「明けない夜はない」というのは本当の事、というか事実でしょう。それは「どんな夜も明けて朝が来る」という現象の説明においてです。しかしこれも一定の条件を満たす場合においてはそうともいえないのかもしれません。たとえば南極には「極夜」という日が昇らない状態があるそうですし、太陽系の外で他に恒星がなければ暗闇のままでしょう。

まあ何が言いたいかと言うと、仏教には「諸行無常」という教えがありますが、「明けない夜」という言葉も同じように、確かに言える事実としては「変わらないものは何もない」ということだけです。
それが「良い・悪い」とか「いつか好転する」とするのは人間の「解釈」です。

物事に「良い・悪い」があるのではありません。「良い・悪い」は人間の解釈にあります。物事は現象としてただ変化していくのみです。それを「良い・悪い」と解釈するのは人間の心ですからどんなに物事が変化しようと良い事もあれば悪い事もあるでしょう。

お父様もお母様もみつこ様ご自身もみんなもれなく変化していきます。生老病死です。これは仏教では避けられない苦しみである「四苦」と説かれます。「苦」とは思い通りにならないという意味です。生老病死は思い通りにならないのです。

「明けない夜がない」ように「死なない生」はありません。

そこで仏教が説くのが「生死(しょうじ)=迷い」を超える教えです。すなわち生と死を別物ととらえるから生死が成り立つのです。紙の表を削っても裏だけにはならないように、死を削っても生だけにはなりません。しかし生もなければ死もまたありません。

私たちは生まれたから生きているのでなく、縁がととのったから生きている。そして縁がととのえば死んでいく。あるのは生死ではなく瞬間瞬間の縁のみです。よって縁がかわれば現象は変化していきます。

それを良いことととらえ、明るく前向きにと心がけるのも一つの事実への向き合い方ではあるでしょう。
私としては「良い・悪い」を超えた事実として、ただこの「今」にこうして私が存在させていただいていることが当然ではない「有り難い」ことなのだと気づくならば、それがたとえ私の解釈では良いものであろうと悪いものであろうと、その解釈を超えて手を合わせ、我がご縁としていただいていく他はないのだと感じています。

お母様がその身を通して教えてくださっているのは解釈を超えた事実です。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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夜明けを見逃さない。雲は月を壊せない。

明けない夜はないという言葉、
仏教的に解釈する場合は、諸行無常、特に、心が無常であることに注目していただきたいです。
あなたはもしかしたら「(人生の苦しい時期という)夜が、何か月先か何年先かに明ける」という意味「だけ」に理解しているのかもしれませんね。
それだけの意味ではないのです。
心が変化するスピードはものすごく早いのです。
あなたの心には、1日のうちに何度も「夜明け」が来ています。
それを見逃さないでください。
あなたがトイレットペーパーをちぎる瞬間、お母さんの病気のことを考える必要はないはず。
あなたがお笑い番組を見るときには、たとえ親戚の葬式の日の夜であっても、芸人のギャグを楽しんで幸福を感じてよいのですよ。
私がよく言う例としては、人間は、電話が鳴ってから電話をとるまでのわずかな隙間の時間にでも、心を休憩させることが可能なのです。
毎日毎日「夜明け」は来ているし、意識的に心の「夜明け」を造ることだってできるのです。
雲は月を隠せても、月を壊せない。
心の幸福という月は、どんな雲(不幸の思考)が来ても、その思考が過ぎ去れば現れるのです。
毎日毎日、確実に、心の夜明けを作ってください。
いつやるの?今でしょ!
人生いつ楽しむの?今でしょ!
好きな音楽を聞きながら家事をするとか、ちょっとした時間に「夜明け」を作りましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

吉武様。
回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまい、すみませんでした。
物事は変わらないものはないし、善悪はなくてそれを決めるのは人だと
言うことですよね。良いと言う解釈と悪いというかい。

昨日、お礼を書いている途中に携帯をさわってしまい、訳の分からないものを送信してしまいました。削除出来ないので改めて書きました。

せっかく、回答を頂いたのにお礼が遅くなってしまい、すみませんでした。
変わらないものはないし、それを良いか悪いか決めるの人間で物事に善悪はないといこと、
すべての物事は変化すると言うことですよね?
縁が変われば、すべてが変化するということ
は、すべてが母が病気になるように、変化したからと解釈するなら何故、人の良い母が病気にならなければならなかったのか。という気持ちがどうしても消えませんでした。でも、何度か読み直すうちに、すべてが縁で繋がっている、なにかが伝えようとしてくれてる、それに私も母も今この場にこうして居ることが、とても有難い事なんだと思えるようになりました。
だって母は死んでないのですから。ちゃんと近くにいるのですから。今まで、どうしたら良くなるか物事は好転するか?としか考えていませんでした。
でも、物事は変化しますものね。それをどう受けとるか自分次第ですよね。暗く考えたら母に申し訳ないので。。。がんばります!

追伸。早々に回答して頂いたのに本当に失礼しました。間違って気が付かず、触って送ってしまったとはいえ、すみませんでした。読み直したらかなり変な文章でした。。。
また、何か同じ事を堂々巡りのように考えることもあると思います。その時は、また宜しくお願いします!

昨日、お礼を書いている途中に携帯をさわってしまい、訳の分からないものを送信してしまいました。削除出来ないので改めて書きました。

せっかく、回答を頂いたのにお礼が遅くなってしまい、すみませんでした。
変わらないものはないし、それを良いか悪いか決めるの人間で物事に善悪はないといこと、
すべての物事は変化すると言うことですよね?
縁が変われば、すべてが変化するということ
は、すべてが母が病気になるように、変化したからと解釈するなら何故、人の良い母が病気にならなければならなかったのか。という気持ちがどうしても消えませんでした。でも、何度か読み直すうちに、すべてが縁で繋がっている、なにかが伝えようとしてくれてる、それに私も母も今この場にこうして居ることが、とても有難い事なんだと思えるようになりました。
だって母は死んでないのですから。ちゃんと近くにいるのですから。今まで、どうしたら良くなるか物事は好転するか?としか考えていませんでした。
でも、物事は変化しますものね。それをどう受けとるか自分次第ですよね。暗く考えたら母に申し訳ないので。。。がんばります!

追伸。早々に回答して頂いたのに本当に失礼しました。間違って気が付かず、触って送ってしまったとはいえ、すみませんでした。読み直したらかなり変な文章でした。。。
また、何か同じ事を堂々巡りのように考えることもあると思います。その時は、また宜しくお願いします!

追記です。願誉様回答ありがとうございます。
そうですね。明けない夜はないイコール数ヶ月、数年先に物事は好転するということばかりに期待してました。でも、そうですよね。確かにトイレペーパーをちぎる時に母のことは、考えないです。😄変わらないものはないですね確かに!
雲は月を隠せても雲を壊せない。
ありがとうございます。この言葉にすごく励まして頂けました。
お二人ともありがとうございます。
また今後とも宜しくお願いします。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

家族とは

私は幼い頃、母から虐待をされてました。 暴力はベルトで首絞め 頭を足蹴り 足をペンで刺されたりなど。 暴言は毎日でした。 社会人になりすぐに家をでて今の主人と出会い結婚をし 1人息子がいます。 主人はおとなしい性格な為、主人の前でも平気で暴言吐き、さすがに主人も呆れて 『連絡しなくていい』言い出し、2年近く音信不通にしてます。 昨年の11月に息子の七五三でしたが一切連絡ありません。 一生に一度の事なのに連絡もない。 お参りに行った際も他の家族は祖父母と来ている方が多くて虚しくなりました。 私には兄がいます。 兄は結婚する前は良き相談あったんですが、結婚してから別人のようになり この間 久しぶりに電話をしたら なぜか敬語で話しておりバカにしてるように聞こえました。 『お前の事、親の事は俺には関係ないから連絡してくんな』と電話を切られました。兄嫁がそうさせてるのかもしれません。 兄に娘が産まれた時はお祝いや誕生日プレゼントなど渡してましたが、私の息子には何もありません。 3年前から義父が高齢な為、同居し介護をしてましたが昨年11月に急逝。 今年2月に主人の弟が持病で急死しました。 今、私には主人と息子だけです。 何かあった時の助けがありません。 親と関係を続けるべきでしょうか? 母も兄夫婦と不仲になり3年近く音信不通でしたが母が謝罪に行き和解したそうです。 今後、親が年老いて色々出来なくなって私に頼まれても都合良すぎる様に思えますし、兄の役目だと思います。 私も福祉を15年やっていたのでこれからどうなるかは想像つきます。 もし亡くなっても葬式にも行かないつもりですが非常識でしょうか? 回答宜しくお願い致します。

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わたしは子供の頃から、両親との関係もあり人との境界線を引くことが下手でした。病んだ人を助けようとして共依存したり、嫌なことを断れなかったりして地獄のような日々でした。今は心も落ち着きましたが、ずっと引っかかって先に進めないことがあります。 カウンセリングで心を見つめていくにつれ、健康な人間というのはわりあい利己的に生きていることがわかりました。嫌な人がいれば避け、好きなことをする。自分を愛しているから、人を愛せる。 その仕組みはわかるのですが、私はそこに躊躇しています。 現代で、人は罪を逃れられません。私は、虐殺だって、社会にある色々な闇だって、自分と無関係と思えません。すべては繋がっています。たとえば、私たちの服はウイグル自治区の子供が作っているかもしれません。多くの家畜を食べ、畑の為に森を壊します。富や権利が運よく不平等に分配されているから平和に生きているだけで、私たちの殆どはお金や食べ物がなければすぐにあさましい人間になると思います。 わたしの両親は「普通の人」でしたが、社会でストレスを受け、立場の弱い子供である私を虐待しました。でも世の中の「普通の人」が追い詰められたなら、弱い立場の人間に酷いふるまいをすることはたくさんあるだろうと思います。 正常になる、健康になる、ということが、逃れがたい人間の悪や罪に目をつむり、「自分は幸せになっていいのだ」と許すことなのだとしたら、私はそれこそ狂っていると思ってしまいます。それが、ずっとずっと怖いのです。 世の中では、自分を善人とか繊細な人間だと信じられる人ほど幸せそうに見えます。自分が外側に「持っている」状態で満足し、それがあたかも人格の証明のようですらあります。それは殆どの場合、時世の運にすぎないでしょう。 言葉は悪いけれども、愚鈍な人ほど幸せな世の中のように見えます。だからわたしが賢いとかいう話ではなく、なぜ当たり前の事実として誰もが抱えている悪を見て見ぬふりして気楽に生きていけるのかがどうしてもわからなくて苦しいのです。 わたしは、自分のなかに明白に悪があると思いながら、しかもそのわたしが救われることを許して生きていくということが理解できず、身動きがとれずに何年も苦しんでいます。 よいたすけがあれば、ご教示くださいませ。

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