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開眼の方法の違いについて

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お不動さんのお像の開眼について、ご質問です。

私の念持仏の開眼をお寺にお願いしましたところ、お護摩をたく日に来てくださいと言われ、護摩の煙であぶるようにしまして、開眼をしていただきました。

その後、ご縁がありまして、別のお不動さんのお像を、別のお寺で開眼する儀式に立ち合ったのですが、こちらは「護摩をたく日でなくても良い」とのことで、主に読経による開眼の儀式でした。

その時は、「同じ密教のお寺でも、開眼方法に違いがあるのかな」ぐらいにしか思っていなかったのですが。

今になって、疑問がいくつかでてきました。
(書物を見たところ、開眼方法が大雑把に出ていたのですが、こちらは主に読経による方法でした。)

・開眼の方法によって、何か違いがあるのでしょうか?
・大変失礼ながら、「手抜き」と言うものは無いのでしょうか?(と心配です)

聞きにくいご質問ですが、よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の目を開く

開眼とは仏像の目を開くとか、仏像に魂を入れるとかの不思議な魔法のような儀式では無いのです。
あなたの心の目を開く儀式なのです。
儀式には様々ありますが、その儀式を通して、あなたの心の目を開き、仏像が心の目で仏様そのもののように見えるようになるのです。
不動明王の像が、あなたの心の目には本物の不動明王に見えるようになるのです。
そう思って、改めてご自宅の不動明王の像を心の目でしっかり見てくださいね。
あなたが心の目で見た時、不動明王もあなたを心の目で見てくださることでしょう。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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お開眼につきまして

kentarou様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不動尊の仏像のお開眼に関しましては、仏像の仏眼を開きて、不動明王様を招来致すところとして行われるものとなります。

その作法は、宗派やあるいは伝承、地方の風習によっても違いがあるところとなり、「これが絶対的に正しい」と言えるものは、正直なところ無いのではないだろうかとも存じます。

代表的には、筆(と墨と硯)を使ったり、洒水を使ったりとする場合もあれば、護摩祈祷において修される場合もあるようではあります。

拙寺では、洒水作法と共に、読経、開眼回向となります。細かくには、幾つかの真言もお唱えすることにはなります。

不動尊護摩供では、護摩木が不動尊の分身とされて扱われる場合もあることから、不動尊護摩供によっての仏像のお開眼もあり得るのではないだろうかとは存じます。

お開眼(仏像、仏壇、墓石、位牌、塔婆等)は、何より重要な法義の一つであるだけに、手抜きは考えにくいと存じます。

ただ、もしもご心配であれば、念のために発遣供養をして頂いてから、再度、開眼供養ということでも良いかとは存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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こんにちは。

 開眼に限らず、作法については、お寺によって行い方に違いがあります。
 現在においても、統一された方法はなく、師僧から受け継いだ方法でおこなわれていると思います。違っていて当然と思います。
 ちなみに、私の近くのお寺のご住職は、仏壇開眼時に、お施主さんに金魚の用意をしてもらうそうです。私の寺ではしませんし、ほかでも聞いたことがありません。師僧から伝授された方法で行うそうですが、どのように使うかは教えてもらえませんでした。そのくらい厳しく一子相伝が守られているのでしょう。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

川口英俊様
お答え、ありがとうございます。
開眼は私の不動信仰のスタートでしたので、気になってご質問した次第です。
やはり同じ密教でも、様々な開眼のやり方があるのですね。そのお話しをいただき、だいぶ安心いたしました。
確かに尊像への開眼は、とても大切ですから、やはり「手抜き」は考えずらいですよね。
引き続き、今のお像で信仰を続けたいと思います。

三宅 聖章 様
ありがとうございます。
開眼は尊像にパワーを吹き込む魔法ではなく、あくまで私の心を開くための儀式と考えるべきなのですね。
あまり形式にこだわらず、本質を見るように努力いたします。
そう考えまして、あらためてお不動さんと向き合ってゆきたいと思います。

光禪 様
ありがとうございます。
お寺によって、それぞれに伝承された方法があり、違った方法があって当然と言うことなのですね。
それを聞きまして、だいぶ安心しました。「手抜き」と疑ったのは、やはり大変失礼なことでした・・・(汗
金魚を用いるお寺もあるのですか! 本当にお寺によって様々な方法があるのですね。
それを聞きまして、さらに安心いたしました。

「法事・法要・49日」問答一覧

菩提寺不明、法事を忘れた!

見つけてくださってありがとうございます。お恥ずかしい話です。 祖父の命日も三回忌もすっかり忘れてしまいました。そして、菩提寺不明、故人と私は違う宗派な状態ですが、宗派が違うお寺さんに拝んでもらってもいいのでしょうか。 私は、臨済宗妙心寺派の宗派です。 私の父方の祖父(故人)は、私と同居しておらず、おじ夫婦と一緒に暮らしていました。元々おじ夫婦は、私と同じ宗派だったのですが、おじが仏教系の新興宗教に入りました。祖父はわけもわからないまま、その新興宗教に入っています。 おじの新興宗教入会(?)がきっかけで、おじと他の兄弟で分裂し、音信不通です。 時間がたつにつれ、私の父は故人に、兄弟達は病気に、で、動けるのが私だけとなりました。 おじは新興宗教(先祖供養を大切にしている、とネットに書いてありました)に一生懸命な人なので、もしかすると、法事をしたのかもしれません。宗派によってはしないのかもしれません。しかし、歴代の同じ宗派の先祖の法事をやらなかったことを考えると、祖父も…と考えてしまいます。 三回忌も命日も忘れ、どうしようと悩んでいます。 三回忌に間に合っていないのに法事をしてもいいのでしょうか。 位牌もなにもない、菩提寺もわからないですし、宗派が違うのですが、お寺さんにお願いしてもよいのでしょうか。 唯一わかるのは、お墓です。 よろしくお願いします。

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亡き父の年忌法要をあげたくありません

年少のときに母が精神疾患を発病。 父は、大して面倒も診ずに放置。 母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。 しかし私が小学生の時に再発。 その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、 自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。 私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。 その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。 母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。 父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。 そんな父も数年前に他界。 家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。 墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。 骨も適当に海洋散骨したい気分です。 そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。 墓は父方の墓です。母も入っています。 父方の先祖はあったこともありません。 相談です。 父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。 寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。 なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。 父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。 お知恵を拝借ください。

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僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

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亡くなった母についての質問です

いつも参考になる回答ありがとうございます。 母が亡くなってから、明日で四十九日となります。四十九日に関して気になったことを質問をさせていただきます。 五七日の翌日、祖母の下へ母が来たそうなのですが、その時母が「私何か悪い事したかな」と言っていたそうです。 調べてみたところ、五七日は生まれ変わり先が決まる日だと書いてあったので、自分は勝手に「生まれ変わり先が、母にとって良くない結果だったのかな」と考えてしまいました。 お坊様は母の発言についてどのように考えますか? また、四十九日までは、母が見守っているのだと思って過ごしていたので気持ちが少し落ち着いていたのですが、四十九日経つと母の魂があの世へ旅立ってしまうということを知り、不安になってしまいました。 「すぐに生まれ変わるのか」「見守っているのか」「修行などをして過ごしているのか」など、様々なことを考えてしまいます。(そもそも四十九日や、その日までの解釈が間違っているかもしれないですが) 旅立ったあとは、何をしているのでしょうか? 色々と考えてしまいすぎて、あまり良くないと思いますが、気になってしまいます。答えられる範囲でいいので、回答いただけると幸いです。 拙い文章で長々と申し訳ございません。

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父の三回忌を教会でしたいと義姉が言います

質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ