落ちこみます。
すぐ人を信じてしまったり、疑いたくないのに疑ってしまったり。被害妄想が強く、人を見る目がありません。悪いことをしても天罰くだらずに毎日楽しそうに過ごしてる人がいることがよくわからなかったり。。人間不信が治りません。もう生きていくことがつらいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自念にとり憑かれているのです。
過去のつらい経験や負の体験に執着しているのです。
それが無自覚に。
今もあたかもそれが続いているかのような感覚がどこかにある。
それは無いものを相手にしているということでしょう。
あなたの心に思い起されたことや、真実ならざるものを引きずっている状態と言えます。
たとえばテレビをつけて映像がどんどん流れているのに、地震や台風でものすごい被害を受けた場所の映像を見ますと、それが脳裏に焼きついてしまって、今もまだあるかのように思ってしまうことが人間にはあります。
脳のUFOキャッチャーが捕まんでもいいものをずっとつかんでいるようなものです。
執着。
手放したくても手放せない。それは「自分」が強く働いているからです。
執着を手放すには「わたし」を持ち込まないこと。「わたし」を脳内プリマにさせないこと。
人間はいつも自分・私が脳内主人公です。
本当の主人公を知らんのです。
たとえば今から食べるものを「きっとこういう味がするに違いない」と思っても、実際は頭で思っていることとは違うものです。
限りなくそっくりに思えたとしても、それは「近かった」というだけで実際の体験ではありません。
あなたがあなた自身を負の体験や嫌な過去から自由にするためには坐禅マインドに目覚めることです。
自分の思いを主役にさせずに、今の目前のフレッシュ新鮮採れたてホヤホヤの事実を脳に相手にさせることです。
それではお手を拝借。
合掌をしていただきます。
「おててのしわとしわを合わせて…。」
…
「真合わせ。」
自己を思いではなく真実に合わせてあげることです。
はい。
人生はいつも予測不可能なアドリブだらけ今日初めてだらけの世界なのです。
そのいつも予測不可能なアドリブだらけの真新しい出来事や出会いが「お仏団」だったりするのです。
おててのしわとしわをあわせて…
「あったけー。」
「乾燥肌~。」
「ぷにぷに~。」
何でもいいのです。
いつもと同じと思ってる 己がおもひ を 投げ捨てて
いまあることに いまあらたに であふなり。
信じるのは仏さまにしましょう。
はるさん、こんにちは。
信じることができない、人間不審になっているのですね。
まずは仏さまを信じましょう。仏さまは嘘をつきません。たくさん、仏教を勉強してください。たくさん仏教を勉強すると人の信じ方も学べると思います。
信じられない人が多い世の中ですが、信じられる人もたくさんいるのです。
悪い人が楽しく生きていることを妬むよりも、まじめに生きている人が人生を楽しく生きている事を見て目標にしてください。
応援しています。がんばって!合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
少し疲れているのかもしれませんね。。
ゆっくりでもいいから、前を向いて自分らしく生きていけるよう、今を踏ん張って過ごしてみたいと思います。
気持ちが少し楽になりました。
ありがとうございました。