hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

悪いやつらが幸せに生き残る時代

回答数回答 5
有り難し有り難し 1855

長文で失礼します。生きて行くなかでどうしても納得ができないことがあります。

ある大型衣料店でのこと。週末はこのお店は混雑します。

車で久しぶりに行く事になりました。駐車場は相変わらず混んでいました。

すると、大きな外車を改造したような、いかにもって感じの車が割り込み、しかもお店の目の前の障害者優先駐車場にどうどうと停めました。中からでてきたのは前頭葉が未発達の頭の悪そうな金髪ジャージ家族で子どもも金髪。タバコもその場でポイ捨て。

私たちはその後にやっと駐車でき、お店に入る事ができたのですが、障害者マークをつけた車が来て、停めれるはずの場所に大きな改造外車がどうどうと停まっているため駐車できずにいたのがなんとも心苦しく、私が駐車したばかりの場所を譲ろうとも考えましたが、お店の入り口からは遠い上に、他にも車が並んでいたので、それが困難であきらめました。私は罪悪で押しつぶされそうになりました。

なんだかんだでお店で買うものを選び、レジでならんでいたところ、例の先ほどの金髪家族がレジをしていました。すると、そのお店でキャンペーンをやっていたらしく、滅多に当たりもでないようなレジのくじに大当たりし、商品券が当たりとても喜んでいました。そうして、先ほどの障害者用にとめた車に乗って大音量の音楽で他を蹴散らし帰って行きました。

彼らには誰が罰を与えるのでしょうか。彼らは自分での罪悪も感じず、その行いすら気づきません。他人に優しくするような人は罪悪の判断ができるので、それだけ心苦しくなり、罪の意識も感じますが、彼らはそうではない。なぜならそれにすら気づかないのだから。

この一例に限らず、世の中はそういうところだと思っています。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない。で本人にはいいことばかり。

これが世の中でしょうか? 


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

享楽と幸福

私もホームセンターに買い物に行った時、同じような状況(駐車場の件)を見て、非常に腹立たしい思いをした事があり、お気持ちがよく分かります。
質問者さんの場合は、その後さらに抽選に当たったのまで見てしまったのですから、不公平感を強く感じられたのでしょうね。

でも私は思うのです。
そういった方々が感じる幸せは刹那的・享楽的なもの、つまり深みの無い動物的な喜びに限られるのではないでしょうか。
そして非常に自己中心的な人種ですから、理不尽に腹を立てて勝手にストレスを感じているのではないでしょうか。

そういった人々が感じる幸福感と、優しく道徳的で真面目に生きている人が感じる深い幸福感は、次元が違うのではないかと思うのです。

人に感謝される喜び、称賛される喜び、認められる喜び。一所懸命に何かをして、心が打ち震えるような感激を覚えることが私は時々あります。
こういった喜びを感じられない生き方をしている人を、憐れだとさえ思います。

質問者さんは、いかが思われますか?

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

アイツを問題にしている、コイツ(自分自身)をこそ問題にしよう

私が若い頃、あなたが言われるような、いわゆる「悪いやつら」の事で腹を立てて愚痴をこぼしていた事がありました。
師匠は黙ってその様子を聞いていました。
話が終わると、

「…で、さっきから、◯◯が気に入らんとか
◯◯とかいう奴の事を悪く言っているけどな? いいか、よく聞きなさい。
問題を起こしているのは誰なんだ?
その事を気にしてるのは誰なんだ? 」
「…!」〈グサッ〉

「いいか、多くの人がそうやって、相手のことばかりを悪く言って、
自分の正当化、主張にばかり時間を費やしてしまっているんだ。
…だからいつまでたっても肝心の「自分自身の心の向上」に目が向かない。
そんなことをしているうちはお前がいくら和尚の格好をして修行をしているつもりでも仏道ではないのだ。」

⭐仏道とは他人を変えることではなく 他によって心乱され、他者を敵視したり問題視する自分の心のありかたをみつめ、心がそのものから影響を受けなくなって(ワタクシ化が起こらなくなって)一生の安心を得ることである⭐

「お前は今ここにいない◯◯のことを気して、
◯◯のことが問題になっていただろう。
だが、その相手である◯◯は今ここにはいない。
寝てるかもしれん、TV観ながら笑っているかもしれん、
トイレに行っているかもしれないんだぞ。

本当にお前が問題にすべきは、外のことや◯◯の事じゃないんだ。
◯◯のことを気にして、問題や騒ぎを起こしていた“お前自身”、思いこそ問題なんだ。

問題があたかも外のことや、相手の側にあるように思えるかも知れないが、
人のことをとやかく問題にしているのは、どこまで行っても、結局、全部お前自身。

だから、他人の様子も全部自分の身の内、身の上のこと。全部、自分の様子、自分持ちであるという事を覚えておきなさい。」👉 人生すべて自分もち
〈例えば、人を憎んだりすることも、相手がそこに居なくても、全部自分の中で独り相撲していることがある〉

師は安っぽい同情など一切示しませんでした。
それよりももっと大切な、あらゆる問題の根本的な解決に通ずる核心的なポイント、仏道修行の在り方を示してくださったのです。
「問題はうちなる自分の思いであって、相手ではない。」

{{count}}
有り難し
おきもち

魂の障碍者

私の近所のショッピングセンターでも障碍者用のスペースに堂々と停める、相談者さんが目撃したような方、いらっしゃいますよ。「仕方ないよなー、魂に障碍があるんだから」と私は思っていますが…

道端にゴミをポイ捨てする方も、ゴミ箱とか公共心とかが大人になっても理解できないのですから気の毒な方です。ですけど、そういう方々もいつか気が付く日がくると思います。その日まで、気が付いている人たちで見守って差し上げましょう。

誰が罰を?との事ですが、髪の毛を金髪にしたり家族そろってジャージで外を歩かされている時点でだいぶ罰を受けています。私なら泣き出しそうです。
障碍をお持ちだし、それなりに罰も受けているのです。素敵な悪趣味震える未来さんが気にすることないですよ!

{{count}}
有り難し
おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
このお坊さんを応援する

罰は同時に

素敵な悪趣味震える未来さん、こんにちは。

残念ながら、彼らには同時に罰が与えられています。たとえば・・・彼等が「はーいい気味だ」とか「ラッキー」とか思っていても、すぐイライラします。あなたのような人からの視線が、日常生活で思い通りにいかないときに、運のいいことが起こってからの落差に。彼らは安心できない。
なぜか。
自分での罪悪も感じず、その行いすら気づかないからです。

この一例に限らず、世の中はそういうところだと思います。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には”自覚できる”罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない”が、安心できないのだと”。

あなたは、どっちがいいですか?

{{count}}
有り難し
おきもち

臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
このお坊さんを応援する

素敵な悪趣味震える未来 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏教では、輪廻・業思想を説くゆえに善因善果、悪因悪果の因果応報論があります。根源的無知である無明により生じたる煩悩を動機としての行為(身・口・意)は、悪業として、後に悪い結果をもたらす潜在力(習気・じっけ)として心相続に蓄積されていくこととなります。

その積みたる悪業の結果は、今世にてその結果を受ける「順現法受業」、次の生にて結果を受ける「順次生受業」、そのまた次の生にて結果を受ける「順後次受業」・・更に次の次の次の生にて・・と続くわけですが、悪業の結果が、即座にその者に現れるというわけではなく、あくまでもいくつかの条件や原因が複雑に交錯し合いながら、因縁(縁起)によって様々に結果を受けていくこととなります。

ですから、悪業を積みたる者においては、その悪業の結果をもたらす潜在力(習気)が残ってしまっている以上は、今世に限らず、来世、来来世・・において必ず悪果を受けるため、確かに浦上哲也師のおっしゃられておられるように一時の刹那的・享楽的な(世俗・世間八法の中における)喜びが例えその者にあったと見えても、特に一喜一憂する必要はなく、私たちが目指すべき喜びは、仏法によっての正しい善徳の功徳による真なる喜び、幸せでなければならないのであります。

私たちが悪業の結果を受けないようにするためには、仏法に基づいての確かなる智慧の開発(かいほつ)と真なる善徳行の実践により、煩悩を抑えて、無明を排撃し、確かなる善業を積むことによって、悪業の潜在力(習気)を滅していかなければなりません。今世では到底無理でも、来世、来来世と何とか仏法の縁を授かる状態を保てる善趣に生まれ続けて、悟りを目指せていけるように、そしてやがては、完全に無明・煩悩・悪業の排撃を終えることができ、悟りへと到れるようにと調えていくことが望まれます。

素敵な悪趣味震える未来様、金髪ジャージ家族の皆様も、全ての一切衆生にやがて悟りの光がもたらされることを誠に祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ