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お坊さんの奥さんとは

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僧侶の方とご縁があり交際しております。
彼の人柄に惹かれ先のことではありますが将来は結婚もしたいと考えています。

しかし結婚を考える上で私には決定的に信仰心というものが足りないと思います。
実家にはお墓や仏壇はありましたが両親共にほぼ無宗教で何かを信じる、お祈りするということがわかりません。

彼とお付きあいしてから手を合わせたりお経を読むといったことを表面上はできますが彼とは違い、心の底から信じていますと自信をもって言えないのが辛いです。
お坊さんの奥さまは同じ信仰をもっていないとやはり問題でしょうか。
お寺に入れば自然と身に付くものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心配ないですよ。

既に他の宗教宗派の信者であれば難しいでしょうが
今何も信じていないなら
これからそのご縁のある宗派に
帰依していくようになると思います。

私も妻も在家から今のお寺に入りましたが
そういう生活をしておれば
自然と身につくようになります。
心の底から信じているとは言い切れませんが
寺務はちゃんと務められていると思っています。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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本当の信仰は強制できません

ご相談拝読しました。悩ましい問題ですね。

日本は法の下に平等であり、万人に信教の自由が保障されていますからお坊さんの配偶者であれその権利が無いわけではありません。

しかし信仰というのはけして「内心」だけの問題でなく「対外的」「表面的」な部分も大きいと思います。儀式や行事も伴いますからね。
内心では別の教えを信じている、あるいは特に信仰はないのに、お寺の行事においてお寺側の人として参加したり、信徒さんと関わることに苦痛を感じるならば厳しい面もあるのかもしれません。

また地域性や宗派の違い、さらには僧侶個人の思想の違いによって配偶者の信仰に対する態度や姿勢も異なるでしょうから、何よりもそのお相手の僧侶の方とよく話し合うしかないのかもしれません。

私は真宗大谷派ですが宗派内の規則を確認すると、住職の配偶者を坊守(ぼうもり)と称するのですが、坊守は「得度式を受ける=僧侶となる」ことが規則で定められていました…これには私もちょっと驚きました。

現実問題としては周りの寺院においても必ず坊守さんが得度しているかと言うと逆にその割合は低いと思われます。中には別の信仰のような人もゴニョゴニョ…。

私個人は妻に信仰を強制することはしませんがよく仏教の話はしますから自然と興味は持つようです。お寺の行事にも参加しますしね。でも信仰は本人に任せていますよ。

なお、ここ一番大事なのですが仏教の信仰とは「何かを信じる、お祈りする」ものではないのですよ。
言うならば「明日、雨が降るかどうかわからないのに雨が降ることを信じる」というものではなく、「今雨が降っていることを雨が降っているなとそのまま信じる」=「如実知見(にょじつちけん):ありのままに見る」というものです。

けしてわけのわからないものを拝んだり祈ったりして吉凶禍福をコントロールしようとするものではなく、いつでもどこでも誰でにでもあてはまる自然の法則に目覚め、その法則に逆らって自我にとらわれるからこそ苦しいのだと自分の自身の姿をあきらかにする信です。

あせらず気負わず、でもせっかくのご縁ですから真剣に、彼との関係も含めて仏教にも向き合ってみてはいかがでしょうか。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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学ぶ時節に学ぶのが善く候

まず、日本の無宗教って、言うほど無宗教じゃないんです。キリスト教とかイスラム教の基準で言うと無宗教っぽいだけで。
そうすると、信仰心って何だよ?って話になります。だからお坊さんの中には信仰心と言わずに信心という言葉を使って言い分ける人も少なくありません。
「意味わからん」って思われるでしょう。
いつか分かって、雑談の中で自然と人にお話できるようになれば、優秀なお寺の奥さんです。

別に優秀じゃないといけないわけでもありませんが、「信仰心とはこうだ!」みたいな先入観を持たずにお寺に入っていただければと思います。私の感覚ではぶっちゃけ変な色に染まった人より、真っ白スタートでどんどん吸収してくれる人のほうがありがたいです。宗派によって信心の掴み方の違いと言いますか、ボルダリングの選ぶ出っ張りの違いみたいなのがありますしね。どの出っ張りが何宗か?というより、それを選んだらその次はアッチにしないとおかしな事になるよね、ゴールは一緒だけど。みたいな取り合わせがあるんです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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何も問題なし

結婚すれば周りからお寺の奥さんだ…という目で見られることになります。
自然と背筋が伸びますよ。

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人生の転機になる「一転語」をあなたに。 ハスノハで返信しきれない内容...
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仏縁があれば。

どのようなご縁であれ、お寺に嫁ぐ(嫁げること)ことは、それなりの仏縁があったということです。それぞれにお寺の形態、状況は違いますが、徐々に学んでいけばいいと思います。
尚、信仰心というものは、また違った次元のものですから、そのことも体験するしかありません。

最後に一言、「僧侶である夫が、自分の妻を信者にすることができれば本物です」

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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「お坊さんと出会い、恋愛、結婚」問答一覧

床に落としてしまって落ち込んでおります。

以前ご質問させていただいた後日、お寺に行き、愛染明王様のご真言や梵字が書かれた金色のカードと愛染明王様が描かれた金の護符(守護札?)の計2枚が入っているものを購入し、愛染明王様にお会いしてお参りさせていただきました。 その後、毎日それらを携帯ケースに入れて持ち歩き、最近では、お家で朝や寝る前にそれらを両手で持ちながら感謝申し上げたり悩みを聞いていただいたりご真言を唱えたりしております。 そのようななか、本日、外出時に焦っていた際に携帯ケースからそのカードと護符がするりと抜けて床に落ちてしまいました。 愛染明王様をお慕いしている者として、落としてしまったことがショックです。 落としてしまった護符とご真言や梵字のカードには、もう愛染明王様やそのお力やお心は宿らなくなってしまったのではないか、愛染明王様に失礼なことをしてしまったので、もうご加護をいただけないんじゃないか、というエゴな悩みで情けないのですが、その悩みに対する答えをどうか教えていただけないでしょうか。 また、私はそのお寺で塗香も購入しており、床に落としてしまったそれらを塗香で清めることは有効か、また他にも良い方法はあるのかということについても教えていただけないでしょうか。 愛染明王様がいつも見守っていてくださっているということが心強く、充実した日々を過ごしていた最中でしたので、少しショックです。 護符やご真言や梵字をもっと大事にしたいという戒めにもなりましたが。 このような質問で恐縮ですが、ご回答宜しくお願い申し上げます。

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何が正しいのかわからない。

私は地方の檀家寺に生まれました。 幼い頃から父にお坊さんになること以外の道を許されず、反論すると暴力や大切なものを壊されたりしてきました。 逆らうことができ学生時代は本山に寄宿しながらの修行生活をしました。 しかし、修行を終え娑婆に帰ってから、自分でやりたいことを選べなかった後悔と青春時代を失った後悔に襲われました。 それと同時に本山から帰ってからは周り(寺族、檀家様、周りの寺院)からの期待が大きくなっていました。 住職が私のいない間に周りのお寺や檀家様に「息子は望んで家を継ぐために本山に修行に行ってる」と意気揚々と話していたそうです。 それだけではなく住職は結婚したら将来同居がすぐできるように二世帯住宅を完成させていました。 結婚しても、食卓でも仕事の話やすぐに機嫌を損ねると癇癪を起こし暴力を振るってきた父と一緒に生活することは相手のことを考えると私はできませんが、、、。 そんな日々が数年続く中で住職から荒行に行くようにいわれました。 私は生まれつき身体も弱いですし、正直行きたくありません。 本山での修行中は家を継ぐ決心や僧侶になる発心がない状態でした。 しかし、逃げずにいたのは本山よりも癇癪を起こす住職の方が怖かったからです。 今は祈祷寺でもないのにこれ以上、修行をしたくないという思いがあります。 そのことを父に話すと癇癪を起こし泣きはじめます。 もちろん、修行道場は自分自身の信仰あって成立することです。望んでもいけない人が大勢います。 縁あって寺に生まれたからといって私のような中途半端な人間が僧侶を志してはいけないと思っています。 本山から帰ってきてからは上記で書いたことや、父の癇癪や、親の言う通りに生きない罪悪感(荒行に行かない)で押し潰されそうになり鬱病になりました。 今は療養施設に入っています。 最後にですが私は決して僧侶という仕事は嫌ではありません。大切な生き方だと思っています。 ①僧侶の皆様は自分の将来をどのように決めてきたか。 ②本山で修行し、周りや親の期待されているが荒行に入らずに今後もその期待に応えれない罪悪感をどうしたらいいのか。 ③私のような人間が僧侶を続けて良いのか。 応えられる範囲でご教示ください。 よろしくお願いします。

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彼氏にどう接したらいいか

最近彼氏にどう接したらいいのかわかりません。 彼氏はお坊さんの修行中で、遠距離2年目です。二、三ヶ月に一回くらい私から会いに行く関係が続き、婚約的なことまでしました。 先月の私の誕生日に会いに行く予定で、クリスマスと1日しか違わないので誕生日のお祝いも楽しみにしていました。 しかし、1日前に電話が来て、彼の祖父が危篤だと連絡があり、会うのを取りやめました。私の誕生日当日も、彼から電話があって慰めて欲しい的な内容でした。 とても自分勝手で最低ですが、わたしはこのことがあってから彼氏が少し好きではなくなりました。 会ってくれなかったことがショックなのではもちろんなくて、本当に気持ちの整理がつかないので理由がはっきりわかるわけではないんですが、、、、 その後もお正月は法事やらお寺のイベントやらで、何の連絡もなく、寂しいのに連絡も声も聴かせてくれない彼氏ならいらないとおもうようになってしまいました。 久しぶりに電話しても、仏教のことばかりでなんだか思想を聞かされているような気がして、彼氏と喋っている気がしません。 遠距離が始まる前に、いまは我慢して欲しい、そうしたら絶対幸せにすると言われたので今まで我慢しましたが、果たして住職になった暁に私のこの寂しさを埋めてくれるのか不安になってきました。 私がまだ未熟だから、未来の幸せより今の幸せを優先してしまうのは自覚していますが、私の時間も有限です。 婚約までしていますが、どう気持ちの整理をつけたらいいかわかりません。 まだ少し好きなので、なんとか前に戻りたいです。どうしたらいいのでしょうか。 長々とすみません。

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お寺の息子さんとの恋愛

先日出会った方が島のお寺の息子さんでした。その日から毎日連絡を取り合い食事にも何度か行きなかなかいい雰囲気で、今後進展がありそうです。 しかし、母にいい感じの人がいると話をすると島のお寺の息子という理由で「恋愛はして欲しいが、結婚はして欲しくないから応援はできない。私は関わらないから好きにやってくれ」と言われました。 反対される理由としては、 ・寺に嫁げる品格ではない(私が男っぽくガサツな性格なため) ・家柄(結婚時のお金のことなどを考えているみたい) ・島(相談ができるような相手がいない、実家からも遠い) ↑のようで、話した次の日から明らかに態度が冷たく突き放されていると感じます。 私としては数年彼氏がいないので、上手く行けばいいなと思っています。しかし先を見据えた時に母がこのような考えをすることも理解できます。 正直、将来の事は交際を始めないと考えることができません。交際をする中で相手のご両親に会う機会や、島に行く機会があるはずですからそこで先を見据えて考えることが出来るのではと思っています。 このまま交際に発展すべきか、それとも母の意見を聞いて諦めるべきか悩み苦しんでいます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ