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母親を亡くしました

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6月に母を亡くしました。
2年前、大腸がんが見つかり、手術の甲斐もあり、その後、検査結果は優等生、完治したと言っていいと、担当医から言われていました。

今年2月頃から、食欲が落ち、少量嘔吐することがありました。
4月初め、かかりつけ医に行った母が嘔吐し、救急搬送され、緊急入院。

数日後、母のための買い物をし、福引でプロ野球の観戦チケットとスタジアムツアーパスをペアで当てました。
母に見せると大喜びし、その日までに退院して一緒に初観戦行く!と言ってくれました。
6月9日のチケットでした。

母の腹水は増加し、検査の結果、癌性腹水・腹膜播種。
腹水を抜くことも出来ない、抗がん剤も命を縮める、余命3ヶ月。ご飯を食べることも、もうできない。
信じたくない告知でした。
母には、余命は伝えていませんでした。

癌性腹水に対応できる病院を探し出し、転院させ、処置を受けたところ、ご飯が食べられた!食べても吐かない!と喜んでいました。

母の死の二日前。久しぶりに電話がかかってきました。
電話する元気が出たと、私は喜んでいました。
よく聞くと、酸素はずしてくれたけど苦しい。苦しいけど仕方ない。
そんなことを言うんです。
苦しいのはおかしいから、すぐナースコールして何とかしてもらって!
必死で叫びました。
その後、病院から電話。
頻脈、発熱あり、血中酸素濃度80台。緊急連絡取れるようにと。
死んじゃう、殺される、と思って、必死で電話くれたのか。

それから2日、母を見守りました。
反応がなくなってからも、私が呼びかけるとハッと目を見開いてくれました。
大好きだよ!ありがとう!ずっと一緒にそばにいるからね!
最期までうなづいてくれた母。
最期まで私の母でい続けてくれた。

そして、6月4日午後、旅立ってしまいました。
緊急入院から2ヶ月。観戦チケットの5日前でした。

葬儀、死後の手続き、四十九日、納骨。
仕事しながら独りで必死に対応しました。
天涯孤独となり、母を呼び、探し、遺影の前で号泣する毎日です。

親戚からは私の判断が悪くて、母は生きることが出来なかった。
普通、親戚に相談するものなのに、なぜしなかったのか。
相談していたら死ぬことはなかったのに。
今もそう言われ、私のせいで母を守れなかったと後悔する毎日です。
生きる価値も無いのに、何のために生きているのかわかりません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

貴女を誇りに思う。

追伸:お礼メッセージありがとうございました。誇りに思うことはできなかったと貴女は思っていても、お母様は、「ありがとう」の感謝の気持ちと貴女を誇りに思うことに変わりはありません。私は深くそう思います。
そして、哀しみが癒えない時は、近くで、グリーフケアを専門にするカウンセラーや僧侶などに会って、気持ちを聴いてもらう、あるいは穏やかな落ち着く雰囲気の所で見守るようにしてもらうことを頼んでみてください。ネットでも探せると思いますので、このことも気に留めておいてください。
今回のご縁ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・
お母様のこと、ご冥福をお祈り申し上げます。
読ませていただき、涙が出ました。
愛しい人を亡くすと辛いものです。
たとえ病がどうであれ、人の寿命は判らないもです。
貴女は何も悪くない。親戚の方からの批判は普段の親子の生活をよく知らない、根拠のないものです。
子供として全てを貴女が背負ったんですね。一生懸命、看病し、介護し、祈ったでしょう。それは素晴らしいことですよ。
お母様はきっと貴女を誇りに思っていますよ。もう後悔はよしましょう。

今は、哀しくて仕方ないかもしれません、でも必ず底を打ちます。その時は人それぞれですが、希望を心の片隅に置いておくことです。
何時か哀しみが底を打ち、希望の光が差し込んできます。それを思い描いてください。その光はもしかしたら、お母様の優しい暖かい光かもしれません。
それから、孤独感を強く感じているようですね。現状一人の生活になったのですから仕方ないかもしれませんが、自分を責めないでください。自分に優しくしてください。生きる価値が誰にでどんな状況でももあります。
私には、貴女を誇りに思うお母様が、微笑む日が来ることを願っているように思います。無理に元気を出さなくてもいいですから、希望の光が指すと思って、今、何ができるか考えませんか?しっかりと深い呼吸が出来ていますか?

参考にしてください。
お読みいただきありがとうございました。
合掌礼

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お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

釋 孝修さま
ご回答いただきまして、ありがとうございます。
誇りに思ってもらえるようなことは、できませんでした。
あの時こうしていれば、あんなことしなければ。
そんな後悔が、後から後から湧き出しています。
母の遺影の前で泣き続け、迎えに来てと叫んでいます。
いつの日か、底を打つ日がくることを待ってみます。
ありがとうございました。

追伸のメッセージをありがとうございます。
母が亡くなって、もうすぐ半年になります。
親戚には、
いつまでも泣いていてはいけない、気持ちを切り替えていかなければいけない。
とも言われ、頭で理解していても心がついていかない状況です。
グリーフケアや自助グループなどを近くで探しているのですが、見つからなかったり、自死遺族や配偶者を亡くした方など、対象外となるものばかりです。
そんな中、ふと目にとまったのが、ここでした。
投稿することも迷い、1ヶ月以上覗いては閉じ、登録しかけては閉じを繰り返していました。
ほぼ質問にもなっていない私の投稿にご返答いただきまして、本当にありがとうございました。
心の中には、まだ吐き出せていない言葉が詰まっております。
少し落ち着きましたら、改めて投稿させていただきたいと考えております。
ご迷惑かとは存じますが、ご回答いただかずとも、お読みいただけましたら幸いです。
この度は、誠にありがとうございました

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