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絶望

回答数回答 6
有り難し有り難し 185

お坊さんは絶望感に苛まれた事はございますか?
死んでしまおうと思われた事はございますか?
そんな時、どのように乗り越えられたのでしょうか?

お忙しいなか大変恐縮ですが、ご回答をよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命を絶とうとした事が御座います

初めまして、今晩は。

三十代初めに最愛の妻を病魔に奪われ、長男には重い障がいが見つかり父子家庭となり、様々なこれでもか、これでもか・・・と訪れる出来事に必死に堪えていましたがある日、生きよう、死のうとはざまでゆれていた心の糸が切れ実行しました。

結果、死に切れませんでした。より苦しみ、真っ赤な目をした父と抱っこされた子ども達を朦朧とする病院のベッドで見た時に、事の重大さに気が付きました。

命とは、この私たちの身体には何百年と続くご先祖さまや父母の想い、願いが沢山込められています。比較的に恵まれた国に生まれて来れた事、家も、綺麗な服も、暖かな御飯も食べられる。目の前にこんなに仕合せがあったのか・・そう、気づきを与えて頂けました。

世の中に当たり前ということはないんだ・・と悟った瞬間でもありました。

生きていれば、苦しい事や辛い事ばかりが多く、その中でたまに善き出来事が訪れます。そうでもなければ、有難みを忘れてしまいます。

人生は、冒険旅行・・そう思った瞬間でもありました。宿命は変えられませんが、運命や人生はいくらでも変えられる。仕合せは誰かか決める事でなく、自分が決めること。描き、演じるのも自分。そして、自分に代わる人はいないんだな・・そう思いました。

頑張らず、全てに当てはまる”ほどほど”が丁度いいんだとも。多くを気づかされました。あの時の出来事があるから、今の自分があります。サラリーマンからお坊さんになるとは当時は思っても見ませんでした。辛い経験が時空を超え、プラスとなり経験を今、活かして同じ苦しみの中を必死に生きる方をお救いさせて頂いております。

夢は諦めない限り、逃げて行きません。心をとらわれずに、枠にはまらず、あなたにはあなたの良さがあります。あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、心からお祈り致しております。

合掌

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おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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若い頃からずっとあります

20歳の宗門大学に通っていた頃から死ぬことを考えていました。精神的に病み始めたのもその時期で、今のように気軽に心療内科にかかれる時代ではありませんでしたが、大学病院の精神科の門を自分で叩きました。その後東京で心療内科ができ始め、そこに通いながら大学を卒業し、大学3年の加行中も3日寝込みましたが、(3日休むと山を降りなければならない)特別に医者に連れてかれ何とか終えて、(同期の友人の住職によれば未だに語り継がれる伝説の修行僧だそう。)大学4年の時には寝たきりで引きこもりでしたが、卒論指導を1回も受けずに卒論を書き提出して、正式な坊さんになり、更に京都の大本山で、1年間の修行に入りましたが、医者に通いながら、何とか終えました。実家の寺に戻り、10年ほど務めましたが、心療内科と内科に通いながら何とかでしたね。その後は寺は休職して17年になります。その間入退院繰り返すこと、18回になり、今も入院中です。死にたくなる原因は昔から変わってなくて、将来への不安ですが、それを乗り越えて、27年間生きてこられたのは、医者のおかげと信仰でしょうね。精神医学だけでは治らないし、信仰だけでも治りません。信仰を深めるきっかけになったのは、大本山での修行時代の布教の指導及び布教師養成講座中級上級を受講したことでしたね。もうお浄土に行かれましたが、松島定宣先生から晩年指導を受けたことが信仰を深めました。松島先生は結核で長らく療養して、大本山布教師になり、布教師養成講座で多数の門下生を出した方でしたから、よき理解者でしたし。今入院している病院の元主治医も有名な先生で、江口拓也先生に15年ほど担当して頂きましたが、その2人のおかげですね。私は精神医学と宗教にすくわれたのです。

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おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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「あるよ」

過去回答
「あの頃の自分」
「あの頃の自分」のつづき
に記しました。

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おきもち

GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...
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お坊さんになる前に希死念慮を抱いておりました。

サラリーマンをしていた頃
ノルマに苦しみ
「車に轢かれないかなぁ」
「不治の病にならないかなぁ」
ってことばかり考えていました。

でも顧客のお坊さん方と話していく中で
徐々に気持ちが楽になっていきました。

もし絶望感に苛まれたり
死んでしまおうと思われたら
お坊さんに話をしてください。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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仏教のおかげで

仏教に出会ったおかげで、死にたいほどの絶望に落ちたことはないですし、これからも落ちない気がします。
是非、仏教を学んでください。

ただ、過去に、他人を殺しかけたことはあります。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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やはり人間社会でのストレスでしょうか

 御質問有難うございます。お坊さんも人間ですので、あると思います。しかし、命を絶つのは簡単ですが、それで楽になるのでなく残された方々に迷惑をかける事になるというのは亡くなられた事でもめ事が起きる事が多いのが実状であります。これについては1人の人間の為に何万人の方のおかげだという事を忘れてしまってはいけないと思います。生きている事が大事だと思います。   合掌

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有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

永寛 様
初めまして。こんばんは。
ご回答をいただきまして、ありがとうございます。
辛い事をお話しさせてしまい申し訳ございません。私を救うために、お話してくださり感謝しております。今、生きている事も当たり前ではなく奇跡なんだと思います。雨風がしのげる家があり、ご飯が食べられる、仕合わせな事です。頭では分かっているのに心は分かってない状態です。
永寛様がおっしゃるように辛い事が、いつか時空を超えてプラスになり誰かを救えたら、私はお坊さんにはなれないので私なりの仕事を通して出来たら、それは仕合わせな事だと思いました。
ぼちぼち頑張ってみます。
お忙しい中、本当に感謝しております。
ありがとうございました。

GALUCHAT様
おはようございます。
お忙しい中ご回答をいただきまして、ありがとうございます。
過去のご回答を拝読させていただきました。
『体は生きようとしている』のですね。仏教は『生きるためにの救い』なのですね。
確かにそうです。冷たい水仕事をしていたので、指にパックリあかぎれができました。やはり血が滲み痛かったです。ですが保湿剤も塗って眠ったせいか、昨日より痛みは少ないのです。きっと夜中のうちに私の体の中で頑張って戦ってくれていたのだと思います。
『はたらく細胞』というアニメをご存知でしょうか? あんな感じなんだと思います。
心とは裏腹に、心臓は今日もリズムよく元気に動いています。
ご回答に心から感謝しております。
本当にありがとうございました。

井澤隆浩 様
療養中の中ご回答をいただきまして、ありがとうございます。
井澤さんは、いろいろな人に、仏教に助けられながら頑張っていらした事がよく分かりました。知識だけではなく、やはり人のあたたかさも生きる上でとても必要で重要なのだと思いました。また、そういう人に出会える事もラッキー何だと思います。
今回の私の質問において、3名のお坊さんからご回答を有難い事に頂戴しました。そんな私もまたラッキーの1人なんだと思います。
人生100年時代と言われる昨今の中で、私達の人生はまだまだ続くと思います。その中で、悩み苦しみながらも生きるとは?死ぬとは?を考え、もがきながら生きていかなくてはならないと頭では分かりました。
ご回答をいただき、心から感謝しております。
ありがとうございました。

堅田正樹 様
お忙しい中ご回答をいただきましてありがとうございます。
『命を絶つのは簡単ですが、それで楽になるのでなく残された方々に迷惑をかける事になると思います。』とありましたが、死んでも迷惑をかけると何度、読み返してもそう捉えてしまいます。確かに、次のご回答の文面からは、生きている事は様々な人に支えられているという事だと思いますが、何だか切なくなるのは私だけでしょうか。
ですが、よく分かりました。
ご回答をいただいた事、感謝しております。
ありがとうございました。

願誉浄史 様
お忙しい中ご回答をいただきまして、ありがとうございます。
仏教は生きるための道しるべのようですね。小さな灯でも足元を照らしてくれそうな気が致します。
仏教を学んでみようと思います。
その機会を与えてくださり、感謝しております。
他人を殺しかける事は、誰にでもあると思います。その他人に大きな傷を残すのか、残さないのか、だけではないでしょうか。私は心の中では何人、いえ何十人と殺した事があります。心の中ですので法的に罰しようがないだけです。
仏教を学ぶことで、今まで知らない景色を見られるのなら、歩めるのなら魅力的に思います。
これから仏教を教えてください。
今度ともよろしくお願い致します。
本日はお忙しい中のご回答に、心から感謝しております。
ありがとうございました。

和田隆恩 様
お忙しい中ご回答をいただきまして、ありがとうございます。
そうですね。サラリーマンはノルマや納期に追われまくりの毎日ですから。私も不治の病にならないか、誰か殺してくれないか、ずっと思っておりました。それが円満な方法だと強く思っていましたし、お恥ずかしい事ですが今も思っています。
和田さんはお坊さんと出会えた事で、冷えきった心が温かく解されたのですね。そういう出会いもきっと奇跡なのだと思います。私も和田さんをはじめhasunohaのお坊さんに出会えた事に感謝し糧にしていきたいと存じます。
またhasunohaでお話させてください。
本日はお忙しい中のご回答に心から感謝しております。
ありがとうございました。

「自分・人生に絶望しています」問答一覧

親族への不純な優越感

お世話になっております。  若い頃、散々伯母と共に馬鹿にしてきて屈辱を与えてきた従弟が 30代でハゲはじめ、現在数年間無職です。数年ぶりに訪ねたら怒鳴り合いになり、自分を散々いじめてきた伯母も、もはや彼は手に負えなくなっており、 自分に嫌味を言うのがやっとと言う感じで哀れでした。  さらには高校生の頃「お前はどうして、背が伸びないんだ。可哀想でよ~」と、執拗に言ってきた父の二度目の浮気が発覚し、大騒ぎとなりました。 自分は親族の中で一番背が低く、170cmにも届かず、他の兄弟や従兄弟、伯父や父に至ってもきちんと170cmを越えており、上記の従弟に至っては180cmあり、本当に悔しくて屈辱でした。 ちなみに父は自分が嫌がると知っててテレビに出て来るイケメンやモデルを 「おっ!背、高いね~~!!」とわざと声高々に言い、自分が怒るとさらにバカにしてきて、終いには「父親に対してなんだその態度は!! お前が規則正しく生活しないからチビなんだろ、バカ」と暴力を振るって、押さえつけて来るような男でした。実はこの時一度目の不倫中だった上、自分が逆らうからと食事を別の部屋にさせられることもあり、大変悔しい思いをしました。学校が辛かった事も拍車を掛けました。  そこで二度目の不倫の決定的証拠を抑えた自分は、父がそのような事を言うたびにわざと、父が不倫相手に当てたラインを「○○、愛してるよ、ってか?」と音読すると一発で黙るようになりました。どんなにやめてくれと母と共に頼んでも、やめようとはしなかったにも拘わらず、です。その後も何度かその応酬が繰り返された結果殴り合いになり、負けそうになった父は包丁を持ち出して来て、ほとほと情けなく思えました。  そして、その思いの丈を理解してもらうべく、周囲に思いきり語ると男が下がるからやめろ、などと否定されます。その通りだと思います。しかし、思春期に受けた屈辱、悔しさから何とか持ち直したところ相手が同じような目に遭えば、この嬉しさを言わず、笑わずにはいられないのです。  その内自分にバチが当たるような気がするのですが、このストーリーを他のどなたかに伝えずにはいられず、語らせて頂きました。この不純な高揚感を受け止めた上で、自分を戒める説法があればお聞かせ願いたいです。そして、このようなことを人に語らず生きていけるようになりたいです。

有り難し有り難し 2
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応援する資格がもうない

こんにちは。 私はとあるアーティストが好きです。そのアーティストについて呟いたりファン同士で交流する用のツイッターがあります。 私は所謂同担拒否の方が苦手です。自分の存在が否定されているような気がするのです。そのアーティスト自身も同担拒否について苦手意識を持っています。その方の歌声に惹かれて応援し始めたのは事実ですが自分と同じ考えを持っていることにも安心できたため応援をしていました。また「あくまで自分は恋愛感情を抱かせる売り方はしていない。恋愛対象とするのであれば別のアーティストを探してください」と公言している程です。 数年前のことです。私はツイッターでたまたまアーティストの同担拒否の方を見かけてしまいました。またその方はアーティストに対して恋愛感情を抱いているといったツイートも本人に直接発信していました。 私は怒りと同時に動揺もしてしまいました。私の存在が否定された、アーティスト自身が公言したことも無視しているとそう感じてしまいました。 またその同担拒否の方は友達募集のツイートもしており「同担需要ない」といった文言も含まれていました。 そして私はとある掲示板にアクセスしました。ファンがマナーの悪いファンを批判しているような正直に言うと雰囲気の悪い掲示板です。そこの掲示板では既にその同担拒否の方が取り上げられており「恋愛対象とするなら別のアーティストを探せって公言されてるのにありえない」「アーティストに対しての返信もかなり失礼」と書かれていました。私は何を思ったのかそれに便乗してしまいました。「〇〇って奴のタグ(友達募集のツイートのこと)が不快。お前の方が需要ない」と書き込んでしまいました。ですが私の書き込みを気に留める人はおらず、そのまま別の方の批判で流れて行きました。当時の私は発散ができればよくそれ以上書き込むことはありませんでした。 ですが数年経った今ふと思い出し罪悪感に苛まれています。書き込んだのはその一回だけでしかも私の書き込みを気に留めていなくてまたその掲示板も書き込める上限に達し別のスレッドが作られている状態ですがここ最近ずっとそのことで頭がいっぱいです。私はもう応援する資格がないと感じています。お相手は今は同担拒否ではなくなっているようですがツイッターは非公開になっており内容は確認できませんでした。 私はこの罪悪感とどう向き合っていくべきでしょうか。

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