hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

母が余命一ヶ月と言われました

回答数回答 3
有り難し有り難し 32

初めて質問します。
私は30代、母は70代前半です。
ずっと肝硬変で入退院を繰り返しており、そのたびにまだ大丈夫と考えて過ごしていました。
先日、余命一ヶ月と言われ、どうしていいかわからず、また、覚悟も決まってなくて毎日泣いています。

今までの病院は急性期病院のため、出ていかねばならず、母にとってなじみでもない初めての病院に転院しましたが、やはり不安なようで「生きたくない」「もうどうなってもいい」と言うようになりました。今までの病院では頑張ろうと言ってたのですが…
私も落ち込んでしまい、母の前では元気でいようと思っててもそのような声を聞くと本当にこれでよかったのかと泣いてしまう始末です。

この選択でよかったのでしょうか。また、どのように接していけばいいでしょうか。残りの時間をどのようにすごしたらいいのか教えてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どう選択しても後悔します

お母さんが余命わずかと宣告されたのですね。お辛いでしょう。

私どもの前住職は胃がんから全身転移し最後の三カ月ほどは自宅で過ごし、そのまま家で亡くなりました。本当はもっと早く亡くなるようにかかりつけ医は処置していたのですが、私が中心動脈栄養をしてほしいと言ったため、栄養と水分少が取れるようになりそのため少なくとも2カ月は延命できました。この期間に最後の孫の顔を見せられるなど、よかった面もありますが、延命できたということは苦しむ期間を延長させたということでもありました。あれでよかったのかなぁ、かえって苦しめたのではないか、と今も後悔することがあります。思いあまって知人に相談したことがありましたが、その人もつねに自分が選択を迫られ、その連続だったし、猶予がないところで即座に決断したので、後悔は残っているとおっしゃっていました。

なるほど病人さんの家族は誰でも苦しまなきゃいけないんだ、とそのとき知りました。私の場合ですと、延命できる手段があるのにそれをしなかったからと後悔するか、延命して苦しむ時間を長引かせたと後悔するかの二者択一しかないのですから、どちらを選んでも後悔するしかなかったわけですよね。こんなわけですから、後悔するのは仕方がないことなんです。

さて、これから残された時間をどう過ごすかですが、何も特別なことをしなくていいと思います。できるだけ長く傍にいてあげてください。本人がそう望まれたら、身体をさすってあげてください。その他、あるお坊さんがおっしゃっていたことですが、その人を大切に思う気持ちがあったら、自然とそのように行動できる、だから、それこそ勝手に行動に現れるものらしいです。

何が食べたい、誰と会いたい、何がしたい、ごく限られたことしかできないでしょうが、できることはかならずあります。そして、それはお母さんを愛しておられたらかならずあなたのなかから湧いて出てくるものだと思います。いいかえると自然に、あるがままに接してあげるなかで限りなくいろんなことが出来ていくものと思います。直近は不安がるお母さんをやさしく包んで安心させてあげることかと思います。大切にしてあげてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
このお坊さんを応援する

限られた時間の中で、出来ることを

「残された時間は少ない。出来る範囲で少しでも多く思い出を語り合えれば。と思い、時間を作って見舞いに行こう。でも、たいしたことは出来なかった。」10年前に実家の父が病気で亡くなった時、9年前に実家の母が病気で亡くなった時の私でした。

 回答のタイトルに、「限られた時間の中で、出来ることを」と書いてしまいましたが、私の場合「あまり出来なかった」というのが正直なところです。私が今居る寺から実家までは車で2時間弱の距離があります。当初は盛岡市の病院に入院しており、我が家からそこに行くまで、2時間半以上かかります。なるべく行くように努めましたが、数回しか行けず病状はどんどん進行していきました。
 幸か不幸か父の臨終の場に立ち会うことが出来ました。でもドラマのように感動的な別れのシーンとは行きません。あたふたしただけだったかも。下記のブログ記事を参照ください。
 https://ameblo.jp/dorinji/entry-12580782021.html

病状が進めば、意識障害を起こしたり、「せん妄」という症状がでたりします。長時間の会話は難しくなります。緩和ケア療法と言っては、現実には痛み止めの処方ですから、コミュニケーションも難しくなると思います。

 もっとお見舞いして、もっと思い出を語れば良かったなあとおいう後悔は今でも残っております。でも、私が私なりに自分の寺を護るため一生懸命だったことは理解してくれたと思いますし、孫たちの成長の一端を見せることは出来たと思います。

 完璧なお見舞い、完璧な看取りは、不可能です。有り得ないです。残された時間を有効にと思っても、思うようにいかないことも多いです。ですから、「こうあらねば、」「こうしなければ、」と自分に課す必要はありません。
 長時間の会話が難しくなっていくと思います。お母様の手を握ってあげる。身体をさすってあげる。会話が十分に出来なくても、ベッドの側にいてあげるだけでも十分だと思います。目を覚ました時、あなたが側にいてくれるだけでも、大きな支えとなると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
このお坊さんを応援する

どうか諦めないでください。

今後のことを考えると
本当にお辛い気持ち、
同情いたします。
   
可能性が極めて低くとも、
最後の最後まで、
回復を祈りませんか。

心の整理の前に、
祈りませんか。
叶うか、
叶わないか、
それこそ神仏任せですよ。

あなたが落ち込んで、
悲しい顔をされたら、
お母さまも悲しいですよ。

大丈夫だから、
お母さんなら大丈夫だと、
どうか応援してください。

応援されると、
不思議に力がみなぎります。
こんなに頼りにされてるなら、
私も頑張らないと、
という気持ちになります。

逆に、一緒に泣いたり、
悲しい顔をされると、
ああ、もうダメなんだと。
お母さまの気持ちも、
落ち込みます。

何歳になっても、
我が子は我が子、
悲痛な顔をされたら、
こちらも辛くなりますよ。
しっかりと、
作りでもいいので、
笑顔でいてくれたら、
万が一のこの子なら、
一人で大丈夫だと、
どうか、
お母さまを安心してさせて、
くださいませんか。

いつも、いつも、
病気がちでしたが、
愛情いっぱいの、
お母さまのために、
よろしくお願いします。

愚僧も祈ります!

{{count}}
有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

藤岡俊彦様
ありがとうございます。
短期間に決めることが多くて、決めてしまってから後悔ということの連続です。でも、どちらを選んでも後悔しますよね。
優しく、温かいお言葉に涙が出ました。
泣くのは一人の時にして、母の前ではいつもの私でいようと思います。
本当にありがとうございました。

花山雲吉様
お返事ありがとうございます。
そうですよね。少し前に私が泣いてしまい、それで母は「娘を泣かせてしまった」と泣いてしまい、それを見て私も…という無限のループに落ちてしまいました。
一番身近な私が信じなくちゃダメですね。誰がなんと言おうと回復を信じ、朝夕のお参りを続けていきます。いつも守ってくださっていると感じています。
母のために祈ってくださりありがとうございます。とても心強いです。

吉田俊英様
ありがとうございます。
吉田様の経験されたことが、今の自分、母と重なって自分だけじゃないんだと少し肩の力が抜けました。
今ですら悔いがあります。これから先もそうだと思います。ですが正解はないのでしょうね。
今はただ母の力を信じて安心できるようにそばにいたいと思います。
ありがとうございました

「大切な人が危篤・余命宣告」問答一覧

母の心と体と頭のバランス

父が先月突然亡くなり、母と私と姉はショックが多すぎるていたのですが、やる事が沢山あり過ぎて頑張っていますが、母が2年前に家で転倒をしてから、気力がなくなり、母に変わって父が家の事をする事になり、父は家の事を母に任せていたので、味噌汁の作り方を一から母か父に教えていましたが、母はそれから父に愚痴る事が多くなり、父も耳が遠かったので、我慢していましたが、姉はその状況を見ていたので母に父が可哀想だと伝えると、私も辛いのよと母は言っていたそうです。でその父が亡くなった事で今度は、私や姉に愚痴をこぼすようになり、私は母に心の病気である事を伝え、愚痴をこぼしている時の母の顔は、とても怖いとも伝えました。母は今までそんな事を言われた事もないし、自分でもそう思わないと言うのですが、私や姉がそれに振り回されている事も伝えましたが、母はそれから自分の顔を鏡で見たりして、母も私も一度訪問ドクターに相談しようと言う事になったのですが、母も今度先生が来たら話しをするとも言ってくれていたのですが、私か1ヶ月仕事も休んでいたので、5月から仕事も戻るので、5月には、家に帰る事も前から、伝えてあったのですがら私か帰る日の朝にまた怖い顔をして、先生には、心臓の先生なので、心の病気の話しをするのは失礼だと言い出し私は、話しをしないし、そんな事ないと言い出したので、その場では、わかったと伝えましたが、私や姉は、先生にちゃんと話しをする事も決めていたので、何故今になって、母はそれまで自分からも話しをすると言っていたのに、失礼だから話しをしないと言い出したのか、とてもわかりません。これも心の病気なのかとも思います。母の心の病気をこれからどうしていったらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

生きている意味がわからない

夫を亡くして4年です。 長い闘病期間でしたが、話すことも出来なくなった夫に対して、私は側にいる事しか出来ませんでした。 当時、コロナで病院の面会は禁止となり、側にいることすら出来なくなりました。 1人で病室にいた夫がどんな思いで過ごしていたのか、どこが痛くて、どうして欲しいのか、それすらも聞く事が出来ないまま、最期は私の目の前で息を引き取りました。 なぜ、夫だったのか?と今でも思います。 私の家族の誰かから亡くなる人を選ばないといけないなら、私だったら良かったのに…今でも思います。 夫が亡くなった時は学生だった子供も、今では新しい家庭を作りました。 夫が亡くなり、もし私に何かあったら子供が1人になってしまうと必死に生きて来ましたが、その子供が新しい家族を持った今、私はもう全ての役目を終わらせてもいいのでは?と思っています。 自分の人生を自分で終わらせようとは思っていませんが、生きる意味も意欲も全くありません。 人前では平気な顔をしていますが、仲良く過ごす夫婦を見たり、ご主人の悪口を言える幸せに気づいていない奥さん方の話がどんどん私の心を黒く暗くしていきます。 夫が亡くなる直前に実母、夫が亡くなった直後に実父と次々に心から信頼できる家族を失ったことも私が誰にも本当の心を開かなくなった理由かもしれません。 ふと私はこれからずっと1人なんだと気づいた瞬間から絶望しかありません。 もう限界かな、と思っています。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

娘の結婚と義母の死去

お読みいただきましてありがとうございます。 私には何度かの流産を乗り越え授かった娘がおります。 小学生の時からパニック発作を抱えていて、断薬の中妊娠・子育てに入り24年。 このたび娘から好きになった彼と結婚が決まりました。 24年間パニックを堪えながらも次第に症状も消え、(娘の前では発作を起こした姿を見せないようにしてきました)旅行もできるほどになりましたが、 先月義母が急逝。今までは身内の葬儀もお骨を拾うことが出来ず休ませてもらっていましたが、今回はお世話になった義母のため最後まで立ち会いました。 葬儀後は、悲しみやパニックにならないよう娘の結婚準備に専念していましたが 持病的なものの再発をきっかけにどんどん体調が悪くなり、強張る体・胃の不快感・不眠症と、パニックも再発しそうな気配です。 仲良しすぎる娘がお嫁に言ってしまう寂しさを言葉に出せず、ずっと秘めていて 苦しくてたまりません。いい母親ぶってせっせと引っ越しを手伝っていますが 娘がいないところでは体調不良で起き上がれない時もあります。 娘の母親ならどなたも体験することかと思いますが、特にパニックを起こさないような心構えがありましたらご教授下さると幸いです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

離別の苦しみに向き合うには

こんにちは。 初めて質問させていただきます。   以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。   いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。   ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。   自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

背中を押してください。

ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ