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父にどう言うべきか迷っています。

回答数回答 3
有り難し有り難し 27

お世話になります。ここのです。

今日の朝早く、父方の祖母が亡くなったという連絡が入りました。
本当に突然のことだったので私も驚いています。悲しいです。
明日が通夜、明後日が葬式の予定なのですが、父には祖母が亡くなったことを伝えていません。

現在父は脳幹梗塞を再発しほぼ寝たきりの状態になってきます。(短時間の軽いリハビリ程度ならできます。)
人工呼吸器を取り付けられ、声も出ない状態です。
私たち家族もも毎日看護のために父の入院している病院に通っています。

8月の終わりごろ、はじめて脳幹梗塞を発症した時は治療もリハビリも順調に行き、祖母には自分が梗塞をおこしたことを伝えてませんでした。
また、3月の彼岸には実家に帰ることも約束もしていました。

しかし1月半ばに入院先で脳幹梗塞を再発し、一時は呼吸も停止し危篤状態になってしまいました。
集中治療室にも20日間おり、危険な状態でした。

ですが、その時も父は祖母に自分が病気だということを言わないでほしいと私たちに頼んだので、その通りに祖母には何も言いませんでした。
自分が元気になったら、その時また元気な姿で祖母に会おうと思ったのだろうと思います。

しかし昨日の夜、祖母が亡くなりました。

今まで、祖母に元気な姿を見せるためだけに入院生活もリハビリも頑張ってきた父には受け止められない出来事だと思います。

親戚や家族は祖母が亡くなったことはを父には言わず、父が元気になるまで秘密にしようと言っています。

ですが自分の母親が亡くなったことを知らされず残りの人生を父が過ごすのも、私たちがこの事実を隠しながら生きていくのも本当に苦しいです。
しかし、いま父にこの事実を仮に言ったところでほぼ寝たきり状態のため、父は祖母の葬式にも出席できない状態でいます。
その状態の父を考えるとただ、その事実を知って苦しむよりはこのまま言わない方が良いのだろうか、とも思います。

本当であれば2度目の梗塞をおこした時点で祖母に伝えるべきだったのだろうな、ととても後悔しています。

私たちの考え方や行動はとても間違ったことだと思います。
しかし父の今までの闘病生活を考えると、とても言い出せません。

私はこれからどう生きていけば良いのでしょうか。
アドバイスをくださるとうれしいです。

乱文失礼しました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

母親の子でない人などいないのだから。

返信が遅くなり申し訳ありません。
私であれば、病気であろうが何だろうが母の葬儀には全力で参列します。人の子であれば、母の子たるものであればだれであってもどのような状況であってもそうするべきです。
そしてお母さんのお葬儀は一生に一度っきりです。
人が亡くなって苦しいことは真実ですが、苦しいことばかりで終わらせるべき事ではありません。苦しいままで終わらせなくするための法要が葬儀でもあるわけですから。
今は伝えるべきではあるべきかどうかは、医師にその判断をゆだねるべきでしょう。
ずっと黙っていれば、それはそれでショックを受ける可能性もあります。
それは、あなたの家の長的立場の人と、医師とでこの事を含めて良く話し合うべきことです。
◎人の死というのは、隠しても隠さずしても誰にとってもの真実なのです。
〇亡くなったという一事実
〇亡くなった方への思いが個人個人でそれぞれ沸き起こること
〇亡くなった方への鎮魂 供養 追慕 追悼 感謝 懺悔 …
あなたがお父さんを支えるべき「一立場」であられましょうが、すべて一人で抱え込む必要はありません。
お父さんが今そのような状況であるからこそ、より一層責任感が強くなっておられることとご推察申し上げます。お若くしておつらいこととは思いますが、まずはあなた自身がお通夜、お葬儀できちんとお別れをすることだけでよいでしょう。

それをきちんとする事、しっかりお別れをする事を全うすることで、上記の通り参列してもらえるかどうかは病状を一番把握している医師の判断です。
後でお父様に告知した時にあなたがお父さんに寄り添ってあげるべき事がハッキリわかると思います。人間は、いつか自分の母親の死を体験するものです。
それはお父さんだけが受け入れるべきことです。
あなたはあなたとしておばあさんときちんとお別れをして、お父さんはお父さんとしてお別れをするべきです。

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おきもち

どの道も、苦しい道

ここのさま
なごみ庵の浦上哲也です。

お祖母さまが亡くなり半月、皆さまいかがお過ごしですか。
また、お父さまにはお伝えすることが出来ましたか。

私もここのさんのご家族の状況であれば、お祖母さんにお父さんのことを伝えるか、またお父さんにお祖母さんのことを伝えるか、非常に悩んだと思います。
そしてどの方法をとっても、誰かが苦しみ傷ついたでしょう。皆さん悩みながら選んだ道ですので、すでに決断したことは、あまり後悔をしないで下さいね。

お祖母さんとの別れは、ご家族皆さまそれぞれにとって大きな出来事です。急いで心の整理をする必要も、乗り越える必要もありません。じっくりと時間をかけて受け入れていって下さい。

そしてお父さんのことです。やはり人にとって母というのは特別な存在です。だからこそお父さんはお祖母さんに元気な姿を見せることを目標に頑張ってこられたのでしょう。その母が亡くなった、葬儀に出られなかったと知った時のお父さんの悲嘆はいかばかりでしょう。

でも私は、事実を伝えなければならないと思います。皆さんが隠せば、お父さんは薄々気付いていても気付かないふりをしなければなりません。それも苦しいことだと思います。
いつ伝えるか、どなたが伝えるかで、また悩ましい時が来ると思いますが、ご家族でよく相談なさって下さい。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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後生大事へ向けて

ここの様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人は誰もがやがて死にゆきます・・避けられないこの無常なる理・・

一度風が吹きますと桜の花びらが激しく舞い散るこの季節に想うことを下記問いにて書かせて頂いております・・

問い「仲良くしていたおじいさんが亡くなりました」
http://hasunoha.jp/questions/419

そして、愛する者との別れの苦しみ・・「愛別離苦」・・

「愛別離苦」へのアプローチとして、下記問いも参考として頂けましたらと存じます・・

問い「友人の死について」
http://hasunoha.jp/questions/91

この「苦」の現実といかに向き合い、そして、いかにして解決を図るべきか・・その道をお示しになられましたのが、お釈迦様でございます。

「・・お悟りを開かれたお釈迦様は、それらの苦しみの対処法として、苦諦・集諦・滅諦・道諦の「四聖諦」を諦らかになされました。それは、苦しみは確かにあるが、その苦しみには、必ず原因・条件(縁)があり、その原因・条件(縁)をしっかりと見極めた上にて、その原因・条件(縁)を解決させることによって、当然に結果としてのその苦しみを無くすことができるのだとして、そのための方法・手段を様々に巧みなる方便にてお説きになられました次第でございます。・・」

この度は、既にお祖母様へは、お通夜・お葬儀式にてご導師様より確かなるご仏縁、ご引導を賜られたのではないかと存じております。

どうかお父様にはしかるべき時に、お母様は、既に仏様と確かなるご縁を結ばれて、お悟りを目指されることとなり、私たちはお母様への感謝報恩の想いを持って、これからもしっかりと追善供養に勤めていくということ、お父様もどうか安心して、お母様が安らかに、仏様の世界にてお過ごしになられますようにとしての御供養を宜しくお願い致しますということの旨を、お伝えになられてはどうかと存じております。

そして、この度のお祖母様のご仏縁もご縁として、私たちもしっかりと確かなるご仏縁をこれからも頂戴していくことによって、いずれお悟りが開けますようにとして、できる限りに今世においても善行・功徳を積みて、後生大事のために努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

丹下覚元さま

ご回答ありがとうございました。
すべてのことが終わり、わたしは祖母とお別れをしてきました。

父のことは酸素があっても長い間起きておられず葬儀に出席できないということだったので親戚中で話し合った結果、父の様態が改善したら本当のことを話す、ということになりました。

難しいとは思いますが父は父としての祖母とのお別れをきちんとし、受け入れてほしいです。
また、私たちのそういった考えによってこれから父はとても苦しむことと思います。そのとき、家族のひとりとして私も父のことを支えていきたいと思います。

丹下覚元さま

ご回答ありがとうございました。
すべてのことが終わり、わたしは祖母とお別れをしてきました。

父のことは酸素があっても長い間起きておられず葬儀に出席できないということだったので親戚中で話し合った結果、父の様態が改善したら本当のことを話す、ということになりました。

難しいとは思いますが父は父としての祖母とのお別れをきちんとし、受け入れてほしいです。
また、私たちのそういった考えによってこれから父はとても苦しむことと思います。そのとき、家族のひとりとして私も父のことを支えていきたいと思います。

ご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなり、申し訳ありません。

実は未だに父には本当のことを話せていません。
ですが近いうち、必ず話したいとは思っています。

ありがとうございました。

「父親のこと」問答一覧

父との関係で将来実家に戻るか悩んでいる

大学卒業後、実家に戻って就職するか、一人暮らしを続けるか悩んでいます。 現在大学四年生で、人間関係の構築、勉強、バイトが辛くて去年不安障害と鬱状態が強くなり引きこもってしまい、半年〜一年留年予定です。 私が一人で生活できない状態なので、母は「早く帰って来て」と愉します。 しかし私の父がズレた人で、帰省が不安です。 教育費は十分に与えてくれ、留年も認めてくれたので、金銭的にはとても援助してもらいました。十分恵まれていることは承知しています。 ただ、父親は非常に不安定な性格で、収入が減るなど気に入らないことが起こると暴力的になることが怖いです。 小さい頃は泣けばうるさいと脅され、私が小学生〜中学生のときは「道で卵売りでもしたら」「腎臓を売ったら」「塩酸の海で泳いで」「AV女優〇〇(私の名前)の□□が見れる」と言われました。他にもセクハラめいた発言をされました。本人は奇声を上げ大音量でヘビメタを流しうるさいのに、私達には包丁で脅したこともありました。 母に至ってはよく叩かれたり首を締められたりしていました。 清潔感も皆無で、食べ物や飲み物をあちこちに飛ばします。父親が寝そべる床は油で滑ります。 こんな性格の父は高学歴で、私も同じ大学に入学しました。 進学で遠方へ引っ越したから母は「〇〇ちゃんは逃げられるけどお母さんは一生逃げられない」と言っていて、母が可哀想に思えました。 私がいるから離婚できず、父の死亡後の保険金を狙っているようです。 また実家に自分の部屋がないこと、貧しくないのに歯列矯正を受けさせてくれなかったことが引っかかっています。歯列矯正は将来私が貯金して受ける予定ですが、母は矯正なんて気にしすぎだ、という感じです。 以上の理由で帰省が怖いです。 一方で、私が去年から生活が困難で勉強できずゴミ屋敷に住んでいる状態なので、実家先で就職してもいいのでは、とも思います。 最近私が冬休みなどで一時帰省してるとき、父親はケーキや美味しいものをくれるようになりました。以前より暴力性が収まった気もします。けれどそのケーキが歪んだ愛情表現のように思えてなりません。 親に対してお金と食べ物にしか感謝できない娘は最低ですか? 私は実家で安心して過ごせるでしょうか? 就職後も一人暮らしをして自立した方がいいのは分かっていますが、体力的・精神的に厳しそうです。

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父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

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父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を

私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。 気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。 家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。 私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。 しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。 父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。 なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。 励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。

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回答数回答 1

愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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父親を憎いが放っておけません

一昨年母が亡くなり、父と主人と私の3人で暮らしています。 母が亡くなりしばらくしてから父は引きこもりになり早1年半がたちます。 小さいですが会社の社長をしていますが仕事のこともほぼ放置し社員に丸投げしている状態です。私も事務をしています。  私が過去にうつ病になった時に「俺から言わせりゃ仮病、そんな辛いなら死ねばいい」と言われました。 そんな父の近くにいたら治らないと思い、家を出て一人暮らしをし、結婚して、15年ほどたちましたが母が亡くなり結局は父を放っておけず実家で暮らしています。 やはり父の性格は変わるはずがなく、私がやる事は父にとっては全て当たり前のようです。「ありがとう」「ご馳走さま」「お願いね」などの言葉は一切なく、それどころか文句を言われます。 機嫌が悪いと明らかに表情もムスっとしており、指摘したら「こういう性格だ」と言われました。それ以外にも気に入らない事があると物に当たったり大きな声で怒鳴ります。 私ももう耐えられなくなったので「住むところが見つかったら家を出ていく」と言うと物を投げつけ怒鳴られ、しまいに自分の手の甲にボールペンを何度も刺して「死んでやる」と暴れていました。完全に病気だと思いますが病院にも行ってくれません。 離れて暮らすのが1番だと思いますが何故か放っておけません。このままでは私が病んでしまいそうです。 現場へ行かなくてもせめて事務所には行ってほしいですし、暴れるのをやめてほしいです。自分だけが辛いという考えはやめてほしいです。1番辛かった時に「死ねばいい」と娘に言う事も信じられません。 私がしていることも全て当たり前ではないことを分かってほしいです。会社のことがあるから家を出ることも躊躇しているし、やはり放っておけない気持ちも消えません。 それでも家を出れば良いでしょうか?それとも私がもっと頑張って嫌な態度や言葉はスルーして賢く接するのが良いのでしょうか?後者ができればとてもラクだと思いますが許せない気持ちも消えません。でも放っておけない気持ちも消えません…。毎日その繰り返しで苦しいです。 何か良い方法はないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

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入院中の父が転院せず退院を希望しています

病院嫌いの父(79)が救急車で運ばれ、初めて入院しました。 付き添った母の話だと、病院の方からは疑いのある病名も聞かされていないのですが、ウイルス性の肺炎だけでなさそうなので、専門の科があるところに転院して検査・手術を検討したほうが良い。 ただ、またコロナが増えてきて転院先がなかなか見つからない。 見つからない時はこの病院でできる治療をして様子を見ます。とのことでした。 入院3日目、母に会って父の様子等の話を聞き『早く元気になって また遊ぼうね じぃじ がんばれ!』というメッセージと、子供達の写真を載せたカードを「明日渡しといて」と託して別れました。 その日の夜、父から着信がありました。 「俺、退院しようかと思って。 治るかもわからないのに、転院してまた検査で痛い思いをしたくない。 テレビもないし、お粥も頑張って食べても半分くらいしか喉を通らないし、動けないし、このままじゃどんどん弱っていってしまう」 私は泣きながら 「病院嫌いのお父さんが初めての入院だから、気が弱ってるのもあるんだよ。 子供達も『じぃじ、じぃじ』ってお父さんのことが大好きなんだし、頑張ってほしい。 七五三やランドセル背負った姿も見てもらいたいし、まだまだ長生きしてほしい」と伝えました。 すると父から「だからこそ元気なうちに退院して、孫達と遊んであげたい。 もうここまで生きたんだし、その時はその時だ。 まぁ、そんな相談をお母さんにしようと思ったんだけど、電話が繋がらないんだ」 その後、父と話したらしく母から着信がありました。 「『◯◯(私)は何て言ってた?』って聞いたら『お父さんの好きにしたら?って言ってた』って聞いたよ。だから『先生に退院したいって伝えてみたら?』って言ったんだ」 私の気持ちを伝えても、父は母に嘘をついたようです。 私が伝えた言葉を話すと 「検査がよっぽど辛かったんじゃない? お父さんの好きなようにさせてあげようよ。 今すぐ亡くなるって決まってる訳じゃないんだし、好きな物食べて飲んで、足は達者な人だから散歩して。 孫達と遊んでたら、入院中の今より元気になるかもよ」とのことでした。 父や母の思いもわからなくもない気持ちと、検査を頑張ってもらって、長生きしてほしいという自分の気持ちがせめぎ合っています。 退院してきたら今まで通り接することができるか自信がありません。

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余命わずかな父に優しく出来なくて後悔

現在私の父は60歳です。 5年前に直腸がんで手術や抗がん剤と闘病していました。 去年の秋ごろにリンパ転移しており、全身癌へと移行しました。 現在はもう抗がん剤等の投薬の見込みはないとのことで病院側は緩和ケアの方向で治療しています。 先生からはもって数ヶ月かなと話を聞いています。 私は父のことが好きでした。 しかし、病気が見つかる少し前に(5年前)父の借金が発覚し、反省の面もなく人のせいにしてしまっており母とは離婚しました。 私自身もその頃に離婚し出戻りで実家に帰ってきていました。 その時には母と父とは家庭内別居で数ヶ月一緒に住んでいる状態でした。 私も父と毎日顔を合わせるようになり、徐々に自分勝手な父に嫌悪感を抱く様になりました。 特に暴言を吐いたりとかはないのですが、性格的にあまり人のことを考えなかったり 良かれと思ってしたことが、あれもして欲しい、これもしてほしいとどんどん言われる様になりました。 親子でも性格的不一致はあるのだと感じました。 その後、母と父の離婚が成立し父は一人暮らしをすることになりました。 その間、父との交流は適宜行なっており 病院の付き添いが必要な際は行ってました。 そして、今年の5月に入り病状悪化に伴い、急変時対応等の兼ね合いで父と一緒に住むことを決めました。 父が1人でしんどくなってるのが辛く 孫もいてるため、少しでも気持ちが楽になれるなら、父との最期を後悔なく関わりたいという思いから母を説得して家に来てもらっています。 母も同じ屋根の下で暮らしていますが 顔や言葉を交わすことはありません。 しかし、一緒に住むと自分勝手な父には変わりなく、時折素っ気ない態度を取ってしまう自分自身に辛くなってしまいます。 現在も徐々に弱ってきている父を見ると辛くなったり、優しく出来なかったり 私の情緒も不安定なのか… 最期を良かったと思える様にと考えたのですが上手くいかず私が悪いのですが 余命宣告されているのに人に優しく出来ないのが辛いです。

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