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全員に申し訳ないです。

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 半年前に父が他界しました。蜘蛛膜下出血で急死でした。

 父は会社からの帰宅中に意識を失ったそうです。

 その後、意識を失ったまま病院に運ばれ次の日に手術を受けることになりました。僕は悲しいというより実感がなく何も感じられませんでした。

 次の日になると、母が「学校で勉強してた方が父も喜ぶ。」と言ってきました。2人きりになりたいのだろうと思い、僕はその通りにしました。

 学校では、いつも一緒に登下校している友達1人だけに父が入院していることを伝えていました。

 4限目ごろの体育の授業で、父が手術で苦しんでいる頃に、僕は色んな人に自分が大変だつらいと知ってほしくて、気にしてほしくてかっこつけたくて4人ぐらいでいるときに「もう死んだかな」と言いました。笑いながらです。その時の自分の気持ちはよく覚えていません。友達は聞こえていなかったのか反応はありませんでした。知っている1人の友達は無視してくれたのかもしれません。

 その後もう無理だと言われて意識がないまま他界しました。

 父は僕に悪いことはしていません。いつも優しく色んなところにつれていってくれました。いつも楽しかったです。もっと一緒にいたかったです。

 ぼくは最低です。父にも父が入院している時もずっと泣いていた母にも申し訳ないし生きてる価値はありません。でも死ぬ勇気もありません。普通の生活を送り続けている自分が怖いです。自分のせいで父が死んだ気がします。

父に謝ってますがもちろん返事はないし母に言うことなんてできません。もう嫌です。苦しいです。全て自分が悪いのは分かっています。僕はどうすれば良いのか教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

息子を元気付けてください!

ご質問拝読しました。
お父さまはお父さまで、
突然に逝ってしまい、
お母さまやあなたに、
ご迷惑をかけて申し訳ない、
一端の社会人になるまで、
見届けてあげられなくて、
本当に申し訳ないと、
手を合わせて祈っていますよ。
お父さまの性格は律儀。
義理人情に厚い人だと、
思いますよ。
そんなお父さまに、
あなたはソックリなんですよ。
お父さまはご寿命です。
早目に還る人生を選んだのです。
極楽浄土から
心配そうに見てますよ。
あなたはお父さまを
早めに失くして、
あとはお母さまを、
支えながら、
生きて行く、
今世の道を選んだのです。
いいとか悪いとか、
現象、人生の選択ですよ

さあこれからが、
正念場ですよ。
どう生きて行くのか。

鉢巻きして、
お母さんを支えて、
生きてください。
それが何よりの供養。
お父さまへのおもてなしです。
祥月命日には、
お父さんが好きだったものを、
お供えくださいね。

お父さま全く怒ってないから、
心配かけないように。

大丈夫!
あなたなら大丈夫!
芯が強い、
いざとなったら、
底力を発揮できる。

お父さまに孝行してくださいよ。
しっかり生きないと。
あなたはもう大丈夫!
お父さんが見守っているから。

ご活躍を祈っています。

追伸

事務局に事情を話して、
ご相談ください。
よろしくお願いします。

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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このハスノハに出会ってくださって、良かった

大切なお父様が亡くなられて、まだ半年なんですね。つらい思いを抱えながら、よく半年生きてくださいました。お父様にもお母様にも申し訳なく思い、自分が生きてる価値もないけれど、死ぬ勇気もないと自分を責める気持ちは、「あなただけではなく」私も日頃の関わりの中で、実はよくお聞きする声なのです。急なお別れの場合は、ほとんどがそうです。しばらくその気持ちは、続くでしょう。でも、慌ててどうにかしようと思う必要はありません。それだけ大切なお父様だったのですから。
ところで、お葬儀を勤めてくださったお寺さまとはその後もご縁が続いていますか。月参りなどでお寺さまと一緒にお経をあげて、あなたも気持ちも聞いてもらって、その時々の言葉かけをもらえるなら一番の力づけになると思います。そして、もう一つお勧めするのは「グリーフケア」の学びです。大切な方との別れを経験すると、身体的な反応として-睡眠障害、食欲障害、体力の低下、健康感の低下、疲労感、頭痛、肩こり、めまい、動悸、胃腸不調、便秘、下痢、血圧の上昇、体重減少などがみられ、精神的な反応として、長期に渡る「思慕」の情を核に感情の麻痺、怒り、恐怖に似た不安を感じる、孤独、寂しさ、やるせなさ、罪悪感、自責感、無力感などを持ち、日常生活や行動の変化として、ぼんやりする、涙があふれてくる、多くの「なぜ」「どうしよう」の答えを求められ、死別をきっかけとした反応性の「うつ」により引きこもる、落ち着きがなくなる、より動き回って仕事をしようとする、故人のゆかりのものは一時回避したい思いにとらわれるが、時が経つにつれいとおしむようになるなどを感じるなどと教わりました。
 実感することが多いのではないでしょうか。これらは、「私だけじゃなかった」こと、「相談できるハスノハ」があることをいつでも思い出してください。応援しています。

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。本当に心が救われました。本当に申し訳ないのですが、こちらの質問を排除する方法はないのでしょうか。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ