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私はつまらなくて気が利かない人間です

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こんにちは。21歳、大学生の女です。
人との会話の中で、その人が今かけてほしがっているであろう言葉や、してほしいことを察知することはある程度できるのですが、実際に行動している自分を想像すると何故か照れくささを感じてしまい、素直に言葉に出すことができません。
例えば、「最近ごはんを食べるのをサボって3キロ近くやせたんだ」と言う友人に対して、「3キロも?!忙しそうだから体を壊さないか心配。食べやすいものだけでもいいからちょっとずつ食べたほうがいいよ。」と返したい・返すべきだと心の中では思っているのですが、実際は「そうなんだ…」とそっけなく返してしまうことが多いです。
「おいしい!」「楽しかった」等ポジティブな感情を表に出すことや、人を頼ることも苦手です。
他人から、反応が薄くてつまらない・気のきかない人間だと思われていないか不安です。
本当は、私のことを感情豊かでいっしょにいて楽しい、気の利く人だなと思ってもらうのが理想なのですが、現実とのギャップに、人と話した後はいつも自己嫌悪に苛まれます。また、優しい友人と自分を比較してしまい、なんでこんな私と付き合ってくれているんだろう。他の人と過ごした方が楽しいだろうなと自虐的に考えてしまいます。
私が変わるためにはどうすればよいのでしょうか。助言いただけますと幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

雄弁は銀、沈黙は金

おはようございます。お悩みを拝読させていただきました。
私自身も同じような経験があります。私はお話し好きなのですが、後から「あの時こう返した方がウケたやろな」とか「今になって機転の利いた言葉が浮かんきた。あの時に浮かんでいれば・・・」と考えてしまうことが良くあります。
あなたの場合は、お友達との会話の中で、思いはするけれども言葉に出されていないということですね。
仏教の故事に「維摩一黙」という言葉があります。『維摩経(ゆいまきょう)』というお経の中に書かれているのですが、簡単に申せば、「言葉に出来るほど軽いものではないことを理解しているのであえて言葉に出さない」とでも説明すればよろしいでしょうか?日本にも「雄弁は銀、沈黙は金」ということわざがあります。
あたなが口には出さないけれども、心の中で思ったり感じたりされているのであれば、本当の友人であれば理解してくれることでしょう。
一方「口は禍の元」ということわざもあります。あなたが良かれと思って返した言葉が、かえってお友達の気分を害することだってありますし、口に出した一言の誤解から友人関係にヒビが入ることだってあるのです。
であればあなた自身がお変わりになる必要はなく、今のままで十分人間的魅力がお友達には伝わっているのではないかと思います。だからこそお友達たちはあなたとのお付き合いを続けておられるに違いありません。
また「あの時ああいえば・・・」といった過去は変えることが出来ません。大きな過ちであれば過去の出来事と言えども反省をしなくてはなりませんが、些細な出来事に躓いてしまうことは大切な人生の無駄遣いです。人間というのはネガティブな思考が頭に浮かぶとどうしても何度も何度も思い返してしまうものです。これを「反芻思考」と言います。「反芻思考」は「もう考えない」と意識的に思わないと止まらないと言われています。「考えるのを止める」と意識的に思うことで反芻思考は止まると言われています。この点だけは変わる必要がありそうですね。

あなたが、日々お健やかに過ごされますことを願っております。
皆が幸せに過ごせますように。
いかなる境遇にあろうとも心安らかでありますように。

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有り難し
おきもち

武本法修
山寺の住職をしている真言宗善通寺派僧侶です。貧乏なので兼業で行政書士をして...
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質問者からのお礼

深く納得いたしました。お言葉をいただけたことがきっかけで、私のことを好きでいてくれる友人やお世話になった方々からの優しい言葉を思い出すことができ、心が楽になりました。幸いなことにこれから何度でも会う機会のある友人ですので、今回の反省を生かしながらも、気負わずに自然体で話そうと思います。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

自分が嫌いです。

2度目になりますが、また相談をさせていただきます。 私は、小学校の頃に自分がしてしまったことをとても後悔しています。 私は小学校低学年の頃、授業中に発言したい人が手を挙げるとき、自分じゃない子を先生が当てると物凄くその子を睨んでしまっていました。 また、所属していたクラブチームのようなところでも一つ一つのメニューが終わってタッチするような場面で意図的に誰かを避けたりしてしまっていました。 他にも、無視したり睨んだりというようなことをしてきてしまっています。 小学校4年生ぐらいの頃に先生に1度叱られた時、友達に素直に謝ることが出来ませんでした。 また、小学校低学年の頃、友達に和式のトイレの仕方を教えるために一緒にトイレに入るということもしてしまいました。実は相手は嫌がっていたのではと思い、卒業する前に謝ろうと思いましたが、正解が分からなくなってしまい結局何も言えないまま進学してしまいました。その子はとても優しく、小学校のとき校舎内で会うと声をかけてくれました。その後会えた時、話しかけてみた時はかなり引かれたというか表情は暗かったような気がします。 私はきっと日頃相手に対して威圧的な態度を取ってしまっていたと思います。 このように、酷いことばかりしてきた私は、相手への申し訳なさと後悔、その中で、私は捕まってしまうのではという恐怖が生まれ強迫性障害気味になってしまいました。自業自得です。 今もこの相談内容を読んだ人に訴えられるのではと恐怖を感じています。 世界 で私以上に酷く最低な人間はいないと思います。 数え切れないほど多くの人を傷つけてしまった私が、幸せを求めてはいけないことはわかっています。 ですが、きっとまともに反省もでにていないのに、どこかで幸せを求めたり、自分を好きになってもいいのかなと思ったりてしまう自分がいます。 また、私の行動によって心に傷ができてしまっているのでは、そうなったら私はどうしたらと思ってしまう自分もいます。反省できていない証拠ですよね。 私は将来医者になりたいです。ですが、こんな酷い人間が夢を持っていいのか、や訴えられたらどうしよう、相手は傷ついてしまっているかもしれないのに、と色々考えてしまいます。 私はどう生きていけばいいのでしょうか。 読みずらい文章ですが、読んで下さりありがとうございました。

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他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

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私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

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自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

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自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ