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他人に心を開けずひとりぼっちです回答受付中

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有り難し有り難し 10

人に妬まれることに不安を感じます。
それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。

私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。
元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。

他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。

そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。
他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。

これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。
本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。

会話の時はひたすら聞き手になっています。
聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。

長々と申し訳ございません。
このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか?
そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。

またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

2024年4月27日 3:08

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教は救ってくれます

根本的に、自分の身を通して以外で生きていないという事実に目を向けていただきたいと思います。
たとえば、生まれてから現在まで自分の目で見た景色以外は見ていないはずです。そして、生まれてから毎日食べてきたものの味も、他人の感じた味を味わったことは一度もないはずです。
いつでも自分のこの身体をとおしたことしかないのです。

つまり、あなたの感じている妬まれないようにというのもあなたの思ったこと。他人の思いだと感じていることも、あなたの想像であるのです。

仏教はこうした真理に目を向けるから根本解決できるのです。人にどう思われていても自分の問題にはならないのに、自分が問題にしているから悩むという仕組みに気づくと、自分次第でどうにでもなるということなんです。

知らぬが仏という言葉がありますが、最初から相手の気持ちなんかわからないのです。どこまでいってもそのひとにならない限りわからない。そして、その気持ちもコロコロ変わるのが人。
幻のような物なんです。そこに焦点を当てた生活は迷うに決まっています。

だからこそ事実に目を向けるのです。主語を自分にし過ぎずみんなも救ってしまうほどの大きな生き方をしたら良いのです。

わかりづらいかもしれませんが、気になったら更に聞いてください。

2024年4月27日 10:24
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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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ご相談、読ませていただきました。他人に妬まれることや自分を出すことに対する不安や葛藤は、多くの人が経験することです。特に自信がない方や内向的な方にとって、他人との関わりや自己開示が難しい状況はよくあります。このような感情や状況に苦しむことは、決してくだらないことではありません。自己認識や対人関係に関する悩みは人間の普遍的な課題であり、大変重要なものです。
正しい人間関係とは、相手を尊重し共感し合いながら、誠実なコミュニケーションを通じてお互いを支え合い、成長し合う関係のことを指します。自分を出すことは、他者との関わりの中で自分を表現し、認めてもらうことであり、その過程で相手に自分を理解してもらい、深いつながりを築くことができます。自分を出すことは決して傲慢な行為ではなく、自己の本質を表現し、他者との間に真のつながりを築くための重要な一歩です。
自分をどの程度出すべきかについては、自己開示のバランスが重要です。相手にも自分にも気持ちよく、安心して接することができる程度で自己開示を行うことが理想的です。また、自己アピールと謙虚さのバランスも重要です。自分の強みや能力を謙虚に認めながらも、自信を持って自己表現することは大切です。他人とのつながりを築く上で、自分を受け入れ、認めることが自己成長に繋がります。
最後に、自信を持つことや他人との関わりにおいては挑戦が不可欠です。恐れや不安を乗り越えることで成長し、自己肯定感を高めることができます。自信を持って自分を表現し、他者との関係を築いていく過程で、少しずつ自己成長を体験することで、より豊かな人間関係と充実した人生を築いていけるでしょう。挑戦や自己開示が怖い気持ちも理解できますが、その中で少しずつ前に進むことが大切です。あなたを応援します。合掌

2024年4月27日 10:26
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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傲慢ではないです

ご質問拝見させて頂きました。私も同じ考えを持っていますので話を聞くということが主になりがちです。ですが相手とお話をする以上、受け答えが必要となりますよね。その際に自己主張をされたり自己権利を強調されたりしたら、確かに傲慢となるかもしれませんが、お話に同調されたり、そこから日常会話に広がったとしても全く普通の会話であり不安になる要素はないと思います。私も褒められることに慣れていないため内心言われたら浮かれてしまう気持ちもありますが、そこは煩悩を抑えて、謙遜も大切なことでしょう。基本的な人同士の会話は表面的なやり取りが多いため、自分を出すというよりは自分が偉いみたいな立場や関係性に上下をつけるものは口にしない、ということを守って頂けたらきっとスムーズが会話が出来ると思います。ご参考までに。
ちなみに、あなたは全く傲慢ではありませんのでご安心ください。誰もが会話は不安の中でするものです。正しく伝わるかな?妬まれないかな?傷つけないかな?ということを常に考えることが大切だと思いますよ。  合掌

2024年4月27日 6:10
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有り難し
おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
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質問者からのお礼

皆様、丁寧な返信をありがとうございます。
自分のことばかり考えていたようでした。
相手のことも考えながら自分も認めつついいコミュニケーションを取れるようになりたいです。バランスを考えて、また挑戦していけたらと思います。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

自分が嫌いです。

2度目になりますが、また相談をさせていただきます。 私は、小学校の頃に自分がしてしまったことをとても後悔しています。 私は小学校低学年の頃、授業中に発言したい人が手を挙げるとき、自分じゃない子を先生が当てると物凄くその子を睨んでしまっていました。 また、所属していたクラブチームのようなところでも一つ一つのメニューが終わってタッチするような場面で意図的に誰かを避けたりしてしまっていました。 他にも、無視したり睨んだりというようなことをしてきてしまっています。 小学校4年生ぐらいの頃に先生に1度叱られた時、友達に素直に謝ることが出来ませんでした。 また、小学校低学年の頃、友達に和式のトイレの仕方を教えるために一緒にトイレに入るということもしてしまいました。実は相手は嫌がっていたのではと思い、卒業する前に謝ろうと思いましたが、正解が分からなくなってしまい結局何も言えないまま進学してしまいました。その子はとても優しく、小学校のとき校舎内で会うと声をかけてくれました。その後会えた時、話しかけてみた時はかなり引かれたというか表情は暗かったような気がします。 私はきっと日頃相手に対して威圧的な態度を取ってしまっていたと思います。 このように、酷いことばかりしてきた私は、相手への申し訳なさと後悔、その中で、私は捕まってしまうのではという恐怖が生まれ強迫性障害気味になってしまいました。自業自得です。 今もこの相談内容を読んだ人に訴えられるのではと恐怖を感じています。 世界 で私以上に酷く最低な人間はいないと思います。 数え切れないほど多くの人を傷つけてしまった私が、幸せを求めてはいけないことはわかっています。 ですが、きっとまともに反省もでにていないのに、どこかで幸せを求めたり、自分を好きになってもいいのかなと思ったりてしまう自分がいます。 また、私の行動によって心に傷ができてしまっているのでは、そうなったら私はどうしたらと思ってしまう自分もいます。反省できていない証拠ですよね。 私は将来医者になりたいです。ですが、こんな酷い人間が夢を持っていいのか、や訴えられたらどうしよう、相手は傷ついてしまっているかもしれないのに、と色々考えてしまいます。 私はどう生きていけばいいのでしょうか。 読みずらい文章ですが、読んで下さりありがとうございました。

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私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

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自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

有り難し有り難し 3
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自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

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過去を恥だと考えてしまいます。

はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

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