タイトル通りです 金運財布と言われれば、財布買ってはお金貯まらないと又財布を買い、 ラッキーカラーや占いや、詐欺師紛いの占い師に脅され大金使ったり。 もう嫌だけど何かあると、アレのせいだコレのせいだと考えてしまいます。 もっと、自分を信用したいです。 心構えをご教示いただきたいです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お釈迦様は言いました。 「私の弟子は占いなどしない。」 これからは占いを捨てて物事を論理的に考えて判断しましょう。
ありがとうございます、何かに頼れば何とかなるという考えは捨てたいと思います。
宝くじを買うのが趣味なのですが、高額当選した人はその後の人生は良くない…とか聞くのですが、やはり運を使ってしまったのでしょうか…。 私の考えとしては、もし高額当選しても、今まで通り働いて普段通りに生活していれば良いのではないかなと思っています。 人生の中で「運」を使い切るとかそういうのってあるんでしょうかね。 まだ高額当選したことありませんが……(^_^;)
私は最近購入したく思っているバッグがあります。しかしそのバッグを買おうとすると、欠品していたり、買う前日に仕事のミスをしてしまったりとよくない事が起こります。このような経験は初めてで、お伺いしたいのですが、このバッグは買うべきではないという事でしょうか?
以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。
初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。
運命について質問させてください。私の死んだ親は不思議な体験はしていましたが、全ての宗教の神の存在を信じていませんでした。最初から信じてなかったわけではなく、ある時から信じなくなりました。だが運命は確実に存在すると言ってました。私は若い時はそんな事はないと思ってましたが人生色々あり、この年になってやっと親の言っていた運命がわかりかけてきました。望んでも頑張っても手に入れる事ができない、幸せを手に入れる事ができないのは悲しいですが運命なんじゃないでしょうか?余談ですが日本では運命論は嫌われていますが西洋哲学では昔から研究されています。ある人の本にはキリスト教の救済も仏教の救済も結局運命に対しての後手でしかない。運命には絶対勝つ事ができない、と書いてました。悲しいですがその通りだと思います。お坊様のご意見をお聞かせください。また仏教では運命論はありますか?
いつもお世話になっています。今日は人生の運気、周期について質問させてください。元々私は運気が良い方ではなく、むしろかなり悪いほうです。これは私の思い込みではなく今まで仕事も婚活もがんばりましたが、残念ながら仕事面も大したことなく、結婚も一回も出来ず50代になりました。若い頃は自分で努力すればある程度は何とかなると思っていたのですが。そして最近ですが去年9月に病気に倒れ救急車に運ばれました。命に別状はなかったのですが、それからあまり体調が良くありません。そして、今年1月に別に新たな問題が発生しました。このハスノハさんにも 困っています、なにかお祈りを教えてください。 と質問させていただきました。おかげさまで3月に解決しました。ところが今月6月になってこの問題が再度持ち上がってきました。人生において運気が悪い時や悪い周期があるのでしょうか?元々運が悪いのでまたかなり心配になっています。どうすれは良いでしょうか?回答お願いいたします。
はじめて質問させていただきます。 数年前に職場で知り合った方がいます。 初対面時に、「あ、この人だ!」って直感的に何かを感じました。(初対面のはずなのに、昔から知ってる気がするなーという感じです。) 同じ職場の時は「何か」を感じただけで、仕事の話以外そんなに会話をしなかったです。 その方と職場が別になり疎遠になってしまって居ましたが最近になって久しぶりにお会いしました。 久しぶりに会った。同じ職場の時あまり話さなかった。にも関わらずすごく会話が弾みました。 話してるうちに初対面で感じた感覚を思い出しました。 この方は、何か私の人生において何かご縁等ある のでしょうか? また、このような直感は当たる。大切にした方がいいのでしょうか?
いつもお世話になっております。私は10年ほど前に悪性リンパ腫を患いましたが、抗がん剤が効いて助かりました。しかしその後も、部位は違えどガンを2度も発症したのです。 それでも、運良く助かっているのです。昨年、婚約者はたった3ヶ月の闘病で亡くなり、今年母も旅立ちました。私だけが残された意味とは?生かされたことはありがたく思います、ですが1人残されて悲しくてなかなか前を向くことが出来ません。 毎日、仏壇に話し掛けています。母の49日、納骨も近くなり 遠くへ行ってしまうのですね 喪失感から抜け出せません。 どうしたらよいのでしょう
不運な人とそうでない人の人生の違いは何から生まれるのでしょうか?例えば、虐待をする両親の元に生まれた子や、紛争の国に生まれた子、理不尽な酷い殺され方をした人。 前世からの因縁とか、前世で悪いことをしたのかと考えていましたが、仏教で輪廻転生がないと知り、前世の因縁などないのかもしれないと考えてきました。 私は、かつて卵巣腫瘍があり癌の可能性があると手術をしたら、悪性度が低い癌で放射線治療や投薬もなく、命拾いしました。しかし、同時期に希少がんを患った親友は亡くなりました。妹は乳がんを患い、完治したと言う事だったはずなのに再び別の乳がんを患い、現在全身転移で、完治見込みなしです。私は、命拾いして妹や親友はなぜ助かる見込みがないのでしょうか?
私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?
躁と鬱と私と共に生きる西條るじん僧侶
和歌山の駆け込み寺・中田三恵住職
「心の厄がはがれていく本」をご紹介!
教えと名言・逸話
仏教の根幹となる教え
仏教が説く8つの苦とは