地球上の生命は生まれてから死に向かって生きるのはなぜですか。
自分以外の生命との出会いは、いつかくる別れ、いずれどん底の悲しみ苦しみを味わうのに、相手に対する止まらない愛情を育てながら同じ時間を過ごし、そして自然とくる別れに向かって進んでいかなければならない。
家族、子供、友達、動物、地球上に生きる全てと出会い、生活のために働き、愛情表現をしたり、辛い思いをしたり、傷つけたり傷つけられたりもする。
いつ誰に何が起こるか分からない。
なぜ、生まれた喜びと同時に、誰もが悲しく苦しい死へ向かうのでしょうか。
出会えた事が、生まれてきてくれた事が、とてもとても尊い、ずっと一緒にいたい、ずっと生きていたい、なのにそれが叶わない。
なぜですか?
なぜ生まれ、生き、死へ向う事を生命は繰り返さねばならないのでしょうか。辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんばんは。浩文(こうぶん)です。
今日もお疲れ様です。お腹がすいてきましたね。
誰かと一緒にご飯でも食べに行きましょうか。
まさみさんはそう思って浩文和尚と
ファミレスに向かいました。
テーブルにつくと浩文和尚はまさみさんに
こう言いました。
『どうせすくのに何で食べるんだろう。
食べる意味あるんだろうか。』
まさみさんは笑いながら言いました。
『お腹がすくからこそおいしいんじゃない。』
浩文和尚ははっとしました。
『そうか。お腹がすくからおいしいのか。』
「アイスティーご注文のお客さまぁ」
浩文和尚は思いました。
『どうせのどが渇くのになぜ飲むのか。』
まさみさんはため息をつきながら言いました。
『のどが渇くからこそおいしいんじゃない。』
「お会計、1560円でぇす」
浩文和尚は店員さんに言いました。
『どうせ死ぬのに何で働くのか。』
まさみさんはとうとう怒って浩文和尚に言いました。
『働くってそれだけですばらしいことよ!』
『働くのは生きるためだろう?
どうせ死ぬのになぜ生きるのか。』
『もういいかげんにして。せっかくの食事もぜんぜんおいしくなかったわ。』
おいしい食事も楽しいひとときも
働く生きがいも
浩文和尚のせいで台無しです。
まさみさんは浩文和尚のようになりたいですか?
吉井様
ありがとうございます。何もかも台無しにしてすみません。台無しにする者にはなりたくありません。
愛する子供と、せっかく出会えたのに、いつか死に別れる日が来ると思うと辛くてたまらなくなってしまい、質問させて頂いた次第でございます。すみません。