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何をするのも酷く恐怖し、先に踏み出せない

回答数回答 3
有り難し有り難し 52

私は幼少時代から笑い者にされたり、怒られたりしてきました。
褒められたり評価された経験が何一つない為、何をするのも怖いのです。
その為か何事も中途半端に投げ出して逃げてしまう悪い癖がつきました。

中学時代はその事でいじめられ、高校はなんとか卒業するもアルバイトでいつも失敗し、働く事に恐怖を感じてしまい就職できませんでした。

今はたまに思い出したようにアルバイトをしていますがやはり長続きしません。
どうしても怒られる、笑われるといった事が怖くてたまらないのです。
(容姿や物覚えの悪さも拍車をかけていると感じています)

もう若くもない歳に近づいてきています。なんとか現状を打開する強いメンタルを持ちたいのですが…。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失われ 傷つき 壊れるようなメンタルなら捨てろ

埼玉なら一度坐禅会に来るとイイですよ。
多くの人は坐禅会とは坐禅をするものだと思っていますが、メインはメンタル強化、メンタル入れ換え、アップデート、自分の底力の引き出しを開けることです。
あなたは今後もバカにされてもヘーキ、ヘッチャラになるべきです。
アナタのようにいじめられたり、苦しい思いをされてきた人には将来的に大きな天の使命があります。
打たれ弱い自分があらゆる罵詈雑言に打ち克った経緯を情報にして世に広める事があなたの使命の一つです。
確かに人間は自己評価が低い、成功体験がないと自分に自信がもてない、という面はあります。でもクラスで成功する人の仕組みとはせいぜい30人の中の1人2人です。では残り28人は無価値ですか?
おそらく評価されるべき門が狭く、限られていただけのことであって、あなたの持つ繊細さや、細やかさは、評価される前に負のレッテルを貼られてしまっただけのことではないでしょうか。そんな学校や社会の入りたての入り口ですべてを評価されたわけではありません。
あなたの負のサイクルの一番の原因はこころのウジウジ君なのです。
自分が自分を人の評価によって、より一層貶め(おとしめ)ているのです。
心が卑屈、ネガティブ、後ろ向き、ひがみっぽい、じめじめ、うじうじ。
部屋でいうとカビです。
不健康極まりないので今日から悟りの窓を開けましょう。
悟りの窓とは自分が自分のネガティブ意識にばかされないことです。
あなた、人にバカにされているんじゃないです。
「自分にバカにされてるんです。」
この意味が分からないとおそらくこれからもバカにされます。
この意味が知りたければ当山の日曜参禅会まで。
自分が馬鹿にされることが嫌なのでしょう?
ならばバカにされないように努力しようとは思いませんか?
努力せずにバカにされたままでいることがあなたが選択する尊厳、プライドならば私はあなたを救うことはできない。決意をもってお寺に来て禅を学びなさい。あなたの一生の力になるでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

誰も自信なんて無いですよ。

 Akiraさん。ワシも小学生のころからいじめられてきました。味方だと信じてきた人から裏切られたことで人生が嫌になったこともありました。でも褒められたり評価された経験は本当に無いとは言い難いです。あまりにも悪いことが多くありますとどんな褒め言葉も悪くとらえてしまったり、いい記憶よりも悪い記憶の方が残り易いと思います。何でも悪くとらえるあまり味方になってくれた人も信じられなくなることもあると思います。いじめにはそんな副作用があります。「なにくそ!こんなことで負けてたまるか!」と思う人は成功者だけでほとんどはネガティブな性格になってしまうのです。だから、いじめは皆止めて欲しいと訴えたいです。
 ワシはネガティブな性格が治りませんが、何とか立ち直れたのは周りの人たちに支えられたこととしか言いようがありません。僧侶の道を選んだことで修行という共同生活を強制的に体験せずにはいられません。1年目のころは修行やお寺の務めが分からずやはりいじめのようなものに遭いました。しかし、長く続けている内にいつの間にか仲良くなったことを覚えております。ひょっとしたら、学生と社会人、子供と大人の違いでしょうか?未だによく解りません。
 ワシは社会人は仕事を淡々とこなせば給料も頂けるし、別に友達が居なくても生活は出来ます。ワシもそんなに友達はいません。容姿がどうのこうのは社会人にはベスト5には入らないかも?仕事が出来るか出来ないか?ではないでしょうか?
 仕事が続かないのは自分に合ってないだけです。職場でいじめられたらさっさと止めなさい。ワシも合わない仕事はすぐに辞めました。いじめに遭った時も辞めました。今は収入は少ないですが周りが良い人たちばかりなので充実しております。時にはいじめられた時のことをフラッシュバックして人間不信になりますがすぐに立ち直れます。周りが良い人たちに囲まれておりますので。
 あなたの納得のいく回答は残念ながらありません。只一つ言えることは引きこもらないで一日一回人と接すること。話すのではありません。買い物をすればレジで人と接します。自分のタイプの女性を女性を探しに街に出て、見つかればラッキー(あまりじろじろ見ると怪しまれる)。「ハンサムスーツ」で行っていましたが、幸せ探しをする。
 どう、参考にならないでしょ。
 

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有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

恐怖心への対処法

Akira様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

恐怖心には、必ずその生じてくる原因があり、その原因が分かれば、しっかりと対策することで、その恐怖心は無くすことのできるものとなります。

問い「恐怖心から最初の一歩が踏み出せません。
http://hasunoha.jp/questions/403

『・・恐怖や不安というものは、実体としては無い、「空」なるものなのでございます。もちろん、実体として無いとは言えども、全く無い訳ではありません。また、そのような心が生じるのは、何もないところから生じることもありえません。必ず何かの原因や条件によりて生じていることであり、つまり、「縁起」なるものと考えることができます。そこで、その原因や条件をしっかりと捉えることで、その原因や条件を何とか改善させれば、きっとそのような心が起こることも何とか改善することができるはずであります。・・』

失敗する、怒られるということにも必ずや原因があるはずです。そうならないようにあらかじめ対策を講じることできっと対応ができるはずでもあります。

もちろん、人間誰しも失敗することは当然にあります。問題は失敗したとしても、次に同じ失敗をしないように努力すること、失敗を成功への糧にすることが大切となります。

また、あまりにも他人の評価を気にしすぎて萎縮してしまっている可能性もあります。

他人は他人、自分は自分、あまり比べないことです。比べても所詮は仕方のないことでもあります。これまでも「比べる」につきましては色々と回答させて頂いております。最近では下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「父が亡くなって3ヶ月」
http://hasunoha.jp/questions/404

更には、自分は自分として認めてあげての自信もしっかりと持つべきではないかと存じます。

問い「どうすれば自信がつきますか?」
http://hasunoha.jp/questions/348

とにかく恐怖心は自分自身の心が作り出してしまっている妄想によるものがほとんどです。その妄想に負けないように冷静に現実のあり方をしっかりと分析して、その原因の一つ一つに丁寧に対応していくことで解決を目指されてはどうかと存じております。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございます。

>丹下 覚元さま
自分自身にバカにされる…おっしゃるとおりです、何かあると「どうせ自分は…」と納得してしまっています。
実家からお寺まで結構遠く経済的に厳しく中々行ける機会が無いのですが、いつか必ずお伺いします。

>大鐵さま
確かにあまり外には出る事は無いですね…友人は少しだけ居ますので今後積極的に会う事を心がけてみます
幸せは思わぬ所に落ちているのですね(笑)

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ