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父が亡くなって3ヶ月

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苦しむこともなく安らかに息を引き取り、お浄土へ修行に出られた我が父のことで少々ご相談致したく。

確かに父は死を迎え、我が家からは表面上姿を消しました。
然しながら何かにつけて見え隠れする父の存在の大きさに息子として見ると詠嘆するばかりです。
「それに比べて我が身のなんという小ささよ」
とふと、自分が卑下の心にとらわれてしまいます。

無論、こんな心にとらわれるのは馬鹿げていて何も生み出さないのですが時折熱病のように我が身を襲うのです。

超えられなかった父の存在、超えるべきであった父の存在。
両者の間で惑う自分がおります。
「僕は父のようになれただろうか?」
「僕は父のようになれないのだろうか?」

「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実が苦しいのです。
如何ともし難い現状ですが、少しでも抜け出せるお言葉をいただけたら幸いでございます。

合掌。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつまでも誇りに思える立派な父と解釈を

お仏飯はタン塩様、はじめまして。一妙寺の赤澤と申します。ご心痛お察し申し上げます。

母の愛が海よりも深ければ、山よりも大きいのが父の背中です。どうかご自分を卑下などなさらないでください。

お父様を超えることはできません、なぜなら自分がいくつになっても父なのですから。そしてあなたはあなたなのですから。

「僕は父のようになれただろうか?」
「僕は父のようになれないのだろうか?」

世の中には父親のことをお仏飯はタン塩様のように思えない方もいらっしゃいます、いつまでも尊敬できる父がいるというのは有難いことです、父を超えるのではなく、誇りに思える立派な父がいると発想を転換されたらいかがでしょうか。

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サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプ...
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「比較と劣等感」ではなく「敬愛と追慕心」

お父さんが社会的に立派過ぎて子供がコンプレックスを持ってしまい、ノイローゼになってしまった人がいます。
親の抑圧やプレッシャーもあったのでしょうが、本人が真の意味で独立していなかったことも原因であると思います。
あなたは自分が自分を愛せるために親しめる道を歩むことです。
実はお父さんの子ではないからです。
ドキッとさせて申し訳ありません。
だからと言って世間を騒がせているDNA問題ではありません。
お父さんと、お母さんの子だからです。
父親の期待に応えたくてもジャンル、分野的に、体力、知力的に出来ないことがあります。
あなたはあなたをやればいいのだと思います。
あなたは父の子であり、母の子でもあるからです。
顔が似てるからって別に100%似ている側のDNAを全部そっくりもらっているわけではありません。その両方の力、智を頂いているのですから、その中で咲かせる花を咲かせば良いのです。血はつながっていても、育った畑は違うのですから。
でも敬愛する気持ちは大切です。
先日亡くなられた農家の方が生前、何度も仰ってました。
「親父には到底かなわん」
それは尊敬の気持ちだったのです。
否定的な気持ちではなく、ポジティブに、目標として、理想として、とても追いつかないけど、立派だなあ、と。お父様を認め、讃えるのです。
私がお預かりしているお寺の本堂を建立しててくれた宮大工の棟梁様も「先代や昔の人には到底かなわない」と。
それでもその方は日本では誰もが認める名棟梁です。
「比較と劣等感」という誤った道の求め方を捨てて、前へ進むための「敬愛と追慕心」の気持ちを御霊前に捧げてください。あなたのとお父様との魂が共鳴し合い、お父様が行くべき道へと導いてくれましょう。

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おきもち

比較するべきことじゃないと思いますよ(^_^)。

お亡くなりになられたあなたの愛する大切なお父様のお姿が頭の脳裏から離れない。
まさにそれであってこそ親子なのです。
しかし、あなたはお父様のコピーロボットではありません。
あなたはあなたが育ってきた環境によって今のあなたが作られ、お父様はお父様が育ってこられた環境によってお父様が作られてきたと僕は思います。
だから、あなたとお父様は同じではありません。
しかし、お父様をお慕い申し上げ、お父様ならばこうしていたのではないのか…と考え、実行に移すことに対してお父様はたいそう喜ばれると思いますよ。
心のこもった何よりの御供養かと(^_^)。
ただ、その実践のためにあなたの心に悩みがつきないのならそれはよくないでしょう!!。
あくまでもあなたはあなた。自分自身を拠り所にしてください。そんなあなたをお父様は守り続けてくれますよ。

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みなさん、こんにちわ。童楽寺の副住職の小林裕淳(ゆうじゅん)といいます。悩...
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あと一歩です

「「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実」~ここが大きなポイントなのに、それを「苦」と受け止めていらっしゃいますね?

生まれてから未成年の間くらいまでは、男の子は母親似、女の子は父親似が多いようですが、中年を過ぎるころから不思議と男は父親、女は母親に似てきます。顔のつくりというよりも、雰囲気、後姿、声など。

ボクは幼いころから顔は母親似と言われ続けてきましたが、40を過ぎたころから読経中の後姿などが父親に似てきたねと言われるようになりました。

人は生まれて最初に長い時間を過ごす同性が両親です。ですから、無意識にその言動を覚えて成長し、大人になると覚えた言動がこれまた無意識に出てくるんだと思います。

そして、両親に言われた教え、躾などを踏襲し、それをまた我が子に教え、躾ていきます。両親が亡くなり、その姿かたちが消滅しても子の中にはしっかりそれが残り続けます。

超えるとか超えられないという問題ではなく、両親が生んでくれた事実、そしてともに過ごした事実こそが「私」を形成しているのです。ですから、あなたが思っている以上に、あなたはお父様(むろんお母様も)とともに存在し続けています。つまり、父のように成るかどうかを問う以前に、すでに成っていらっしゃるということであり、「「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実」こそがあなた自身の根源だと思います。

合掌

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真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...
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3歩進んで2歩下がる

お仏飯はタン塩さま
なごみ庵の浦上哲也です。

仏さまと成られたお父さまの存在を、より大きく感じていらっしゃるのでしょうか。
でもそれは、お父さまにとっても貴男にとっても、ある意味幸せなことのような気がします。親子として生まれても、必ずしも誰もが縁深いわけではありません。そんな中、何かにつけてお父さまの存在が見え隠れするのは、それだけ強い絆で結ばれているということではないでしょうか。

超えられなくてもいいじゃないですか。
超えるべき、なんて思わなくてもいいじゃないですか。
自分にとって最も近い仏さまとして、見守って頂きましょう。

あと、貴男がお父さまの存在を大きく感じる原因のひとつに、やはりまだ時間があまり経っていない、ということがあると思います。
季節が2巡り、つまり2年すると、頭だけでなく腑に落ちてくることがあると思います。それまでは3歩進んで2歩下がる、前向きになったり苦しくなったりするかもしれませんが、それも大切なことなのだと思います。

また苦しい時には、hasunohaにご相談下さい。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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「比較」すること

お仏飯はタン塩様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度のお父様のご逝去、改めまして誠にお悔やみを申し上げます。

以前のご質問にてお父様とは生前に確執がおありであったとおっしゃられていましたが、臨終に際して「すべてを許した感情」と御礼にて述べられておられまして、お父様の死を冷静に受けとめられたご様子でございましたものの、まだまだ色々とお父様の存在がお仏飯はタン塩様にとって大きくおありのようでございまして、おつらいお気持ちの程をお察し申し上げます・・

ただ・・「お仏飯はタン塩様」は、「お仏飯はタン塩様」であり、「お父様」に成ることはできませんし、「お父様」とご自身を比較なさられることはあまり意味がございません。

「比べる」ことにつきましては、最近の問い「どうすれば自信がつきますか?」( http://hasunoha.jp/questions/348 )にて扱わせて頂いております。あるいは、問い「周りの友人が羨ましくてたまりません。」( http://hasunoha.jp/questions/290 )や問い「人の成功を喜べません」( http://hasunoha.jp/questions/184 )、問い「友達の幸せを喜べない自分が嫌い」( http://hasunoha.jp/questions/124 )の皆様のご回答、拙回答も参考となるのではないかと存じております。

是非、「比較」することはあまり意味のないことだと、少しくでもご理解を賜われましたらと存じます。

もちろん、「お父様」のようになりたいとして、一つの目標として努力し、ご自身の向上に繋がることになれば、それは誠に良いことではございますが、比較し、自分自身のことを卑下し過ぎることは、卑下慢、あるいは卑慢と申しまして悪い煩悩の一つとなります。

このことに関しましては、下記の問いにて扱わせて頂いております。

問い「自分を大切にして欲しい時。どういった言葉を掛けたらよいか。」
http://hasunoha.jp/questions/378

お浄土の「お父様」への御供養をなさられつつ、報恩を思いながら、お父様に恥じない生き方を心掛けて、どうか少しずつでも自信を持って、ご自身はご自身の人生を歩まれて頂きたいと僭越ながらにも存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

数々のお言葉誠身に染み入りましてございます。
そういえば釈尊の教えに「自灯明法灯明」と言う言葉があったのを思い出しました。
ここで言う法は父親の存在であり、自とは我の進む道。
まさにそのことであったのだと頓悟した次第です。
有難うございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

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先日、義父が亡くなりました。 私がコロナに感染し家に持ち込んだ為家族もコロナになり、もともと持病が有り弱っていた義父にもうつしてしまいあっけなく亡くなりました。 入院して3日、急変したとの連絡あり病院へ行きましたが人工呼吸器を付けられていたのでまだ生きていると思っていました。 義家族と病室に居ると看護師や医師が来て死亡確認していいかと言われそこで初めてすでに亡くなっていることを知らされました。 急に意識がなくなり呼吸が止まったというような説明を医師からされました。 私は両親を看取っているのですが、完全に心臓が止まるのには時間がかかるはずなのに死亡確認の時にはすでに止まっていると言われました。 何故もっと早く知らせることができなかったのだろうかと少し不信感を感じました。 コロナが5類になったとは言えそう簡単に面会はさせられないのは分かるのですが、独りで逝かせてしまったし看取ることも出来なかったのが心残りで、せめて意識のあるうちに会わせてあげたかったと医師には言いました。 どうにもならない事とはわかっていましたが言わずにはいられませんでした。 私が感染しなければ義父は生きていたであろうと思うと義家族に申し訳なくて仕方がありません。 私が殺したのも同然だと。 主人にも義妹にも私が原因です、ごめんなさいと謝罪しましたが誰も責めません。 優しい人たちなので有難いのですが余計に辛いです。 義母は憔悴しきっていて、責められるかもしれないと思うと怖くて言い出せなかった。 ずるいですよね。 親類やかかわった人にも慕われいていたようで、遠くからも大勢弔問に来ていただきました。 それを見ているとなんてことをしてしまったのだろうと苦しかったです。 もともと持病が有り8年闘病して痴呆が出てきていましたが、薬との相性も良かったようで病状も落ち付いていて体力は落ちてきてましたが元気でした。 まだしばらくは生きれたでしょうに、私が殺したようなものです。 自分を責めるな、誰も悪くない、仕方がない事だとまわりは言いますがどうしようもなく心苦しくなります。 人前では気持ちを誤魔化し平静を装っていますが、義母や主人の落ち込み様を見ると申し訳なくて… もともと過去の嫌なことを思い出して後悔し落ち込む質なのです。 これから自分や周りとどう向き合っていっていいのか分かりません。

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