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死にたくないのに死にたいです

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死にたくないのに死にたいと思ってしまいます

助けてください

私は恵まれていると思います。家族にも学校にも問題はなく、アルバイトにはやりがいを感じています。勉強も好きですし、打ち込める趣味もあります。体調がすぐれない日が多いことは悩みですが、それが原因で死にたいと思う程ではありません。自分のことがどうしようも無く嫌いなわけでも、死んだほうがマシな人間だとも思いません。

けれど頻繁に、全てがどうでも良くなり、どうしても今すぐに消えたい、死んでしまいたいと思ってしまいます。そのような状態になるとものすごくイライラして、涙が止まらなくなり、何も手につかなくなってしまいます。最近では夜中目が冴えて眠れないことも多くなり、精神科で処方してもらったお薬を飲んで無理矢理眠っています。

死にたくなるタイミングを手帳につけたところ、生理が関係しているかもしれないと思い、婦人科や精神科に行ってお薬をもらっていますが、どうにも良くなりません。運動してみたり、食事を改善してみたり、カウンセリングを受けてみたこともありますが、死にたいという気持ちを抑えることはできませんでした。

もう死にたい思いに支配されたくありません。思いつく手は全て打ちました。もうこれ以上、どうしたら良いのかわかりません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「妄想雑念だ」と確認するだけで良し

ちょっと実験してみましょう。
楽な姿勢で身体の動きを止めてから、
口で「あ・い・う・え・お」
と言いながら同時に
心で「一・二・三・四・五」
と念じてみてください。
それを何回か繰り返してください。
できるだけ「一・二・三・四・五」以外のことを考えないように意識を集中しながら「あ・い・う・え・お」を途切れさせずに、行けるところまで行きましょう。
集中して!
それでもやっぱり、心の中に色んな妄想雑念が割り込んで来ませんか?
私たちの脳みそはそのように、意思とは関係なく妄想雑念を出力してしまう気まぐれな臓器なのです。
だから、妄想雑念を気にする必要はありません。
「あ、また妄想雑念か浮かんだ」と気づくだけでOKです。
勉強中や仕事中など、集中しなければいけない作業のときに妄想雑念が浮かんだら、「あ、妄想雑念だ。今は集中すべきことに集中しよう」と、意識を戻してください。
「あいうえお」「一二三四五」と同じ要領で。
雲は月を隠せても、月を壊すことはできません。
雲が過ぎ去れば再び明るい月。
心に妄想雑念のお客さんがやって来ても、妄想雑念は心の主人ではありませんから、必ず消えてゆきます。
だから安心してくださいね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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死にたいのに死にたくないです。

・死にたい
・死にたくない
どっちがより大きいですか?

「死にたい」が大きくても
「死にたくない」があれば
死にません。

「死にたい」は
「消えてしまいたい」と同義で
「実は生きていたい」という気持ちの表れです。

年齢を考えれば
思春期ということだろうと思います。
その自分を
客観的に見つめる眼を持ってみませんか。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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死魔

れいさま

仏教には、仏縁者に「三障四魔」という邪魔が入ることがあり、その一つに「死魔」がございます。

そういった魔である可能性があります。

この魔の正体は、無明(根本的な無知)・煩悩であります。

これに打ち克っていくための教えが仏教でもあります。

ですから、仏教をしっかりと学び修していって頂けましたら、この死魔にも打ち克つことができるものとなります。

「生を明らめ死を明らむるは、一大事の因縁なり」

生と死とはいったい何か、その真理を知ることで、死魔を退けたいものです。

そのために役立つ一つの書籍を紹介します。

宜しければ参考になさって下さいませ。

「チベット生と死の書」(講談社・ソギャルリンポチェ)

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

最悪の事態になりそうで、気が狂いそうです

正気を疑うような内容ですが、本当に切迫しているので、お話を聞いていただきたいです。 本当は表で話したくないのですが、非公開相談はお金がなく、緊急事態なので勇気を出して話します。 最近、家族を殺したらどうなるかという異常な興味と衝動がわいてしまいました。 しかも、性的な欲求も加わっているような感じがするのです。その光景を想像した時に体が性感を感じてしまい、耐えきれないほどのゾワゾワした感覚が全身に広がり恐怖を覚え、今の切迫した状況に陥っています。 恐怖と不安で毎日泣いてしまい、食事も喉を通らず、本当に興味と衝動に耐えきれず家族を殺したらどうしようと動く事すらできず、ほぼ寝たきりの状態になっています。 「大切なものを壊したらどうなるか」という思考から来ているのですが、大切なものは壊れてほしくないはずなのに、それが大切な人ならなおさら命は二度と戻ってこないとわかってるのに「二度と戻らないからこそやってみたいと思わないか?」という思考が頭によぎってきます。 特に一番大切に思っているはずの母にその衝動が向きます。他の家族にも向く事はありますが、母の時ほど切迫しません。みんな同じくらい大切な家族なのですが… そしてなぜか、衝動のほうが強くなり家族への情が消えてしまったような感覚があります。 私は家族に危害を加えてしまう事を恐れているのか、興味と衝動に従えない事に苦しんでいるのか、そもそも興味と衝動が単なる錯覚のか、それすらもわからなくなっています。 楽しいような、笑いそうな感覚もあるように感じ、自分に酔っているような感覚もあります。 私自身が元からおかしいのか、脳がおかしくなっているだけなのか… おそらく加害恐怖なのだとは思います。 母本人は相談を全て受け止めて聞いてくれて、「そうなったとしても反撃するし、グロテスクなものや血を怖がるあなたにはできないから大丈夫」と言ってくれます。 「自分も人も命と人生は一つしかない」「自分の一時の興味のために、大切な家族の一つしかない命も自分の一度きりの人生も壊すのか」と考えたら、少し気持ちが落ち着きました。でも、またいつ興味や衝動が起きてそれが勝ってしまうか…本当に怖いです。 もしこの衝動が消えなければ、家族が傷つかないよう、自殺する事を考えています。それも家族が傷つく事だとわかっていますが… どうか解決のヒントを教えてください。

有り難し有り難し 7
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いつ死ねるのだろうと考えてしまう

子どもの頃に「朝起きたら死んでたらいいのに」と思うようになってから、ずっとそういう気持ちがどこかにあります。 幼少期から20代は辛い環境にあり、絶対幸せになるんだと思ってガムシャラに頑張れました。紆余曲折をへて、思い描いたことは手に入れたように思います。はたから見たら何の不満もなさそうな環境にあると自分でも思います。何をぜいたく言っているんだと、お叱りを受けると思います。 でも、心の奥底に、私はいつ死ねるのだろうという気持ちがずっとありときおり顔を出します。 何か楽しみを見つけられたらと色々とやってみましたが、楽しそうなフリはできても本当のところは楽しむことができていません。独りになると、虚しさだけが残っています。 あんなに好きだった仕事にも、楽しみにしていたはずの子どもの成長にも、優しくしてくれる家族や美味しい食事や贅沢なことにも、非道いと思いますが本心では興味が持てず、漫然と過ごしています。 目標にしていた幸せな環境を作ることができたので、生きる目標を失ってしまったからでしょうか?これからどのように生きたら良いのか見出せず、時間が過ぎていく日々で苦しいです。

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自分を許せない

生きていたくないですって何度も相談してしまって申し訳ございません。介護の仕事をしていて相手の立場になってやらないといけないのに自分を優先してしまう時もあります。何度も同じことを大きな声で求めてくる方がいます。食後の薬と歯磨きを自分が食べ終わったら一番にやってもらいたいからです。しかし食事介助が必要な方がいるので待って欲しいと伝え少しの間は待ってくれますがそのうち「くれないならいいや」「歯磨き連れて行ってくれないならいいや」と投げやりに言ってきます。食事介助が終わり残りの方の服薬については別の職員に頼んで全盲の方の服薬と口腔ケアを行ないます。居室に歯磨きに誘導する時に「ここはお家じゃなくて他の方もいます、食べ終ればすぐにお薬を出せないです。順番にやるので大きな声を出さないで待っていてください」と強めの口調で言ってしまいます。認知症なので一度、言った事を忘れてしまう事は分かっていますが どうしても強い口調で言ってしまうのです。そんな自分が許せず家に帰って衝動的にリスカしてしまいます。少しでも傷つけてしまった心と同じ痛みを味わおうと思ってです。今までは仕事中でも声を荒げたくなることはなかったですが ここ最近はイライラし通しです。こんな自分を許せません。入退院を繰り返してした時には看護師の方はどんな時でも優しい言葉でした。その経験を受け医療の資格がなくても出来る介護の仕事を選んだのに今の私のやっている事は正反対です。仕事に行こうと思っても精神的に苦痛になります。心療内科の医師は妥協も大事と言ってきますが出来れば自分を痛み付けたりしないです。後悔もしません また仕事に行くと今日こそは優しい言葉で話そうと心で思っていても同じ事を繰り返しています。こんなやさしさの欠片もない私は生きていていいのですか? どうすればこのような私は死ぬことが出来ますか?生きていていいのですか

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自分さえ居なければと思ってしまう

すべての苦しみから逃れたいという気持ちと、自死や自暴自棄などで身近な人に迷惑はかけられないという気持ちの間で葛藤しています。 私の悩みの種の大元は人間関係にあります。周りの人と同じように、誰かと暖かで安定した関係性を築くことができず、それがコンプレックスになっています。つかみはうまくいっても、関係が思い通りにいかなくなるといつも人が怖くなって逃げてしまいます。長く一緒に生きた家族との間でさえなんともいえない気まずさがあります。 人間関係で失敗して誰かを傷つけたり迷惑をかけたなら、反省して同じ過ちを繰り返さなければよいのですが、いつも私は反省するよりも先に拗ねてしまい、「私は相手の人生を損なった。私がいなければ最初から何も起きなかった。こんな私の存在のせいで誰かが不快になることもなかった。」と考え、人と関わることを避けたくなります。そして人とうまく関われない自分には価値がないと思い、自らの人生を虚ろに感じます。そうしているうちにやがて自死について思考が至りますが、私と関わった人に罪悪感を与えたり、家族に迷惑をかけたりする可能性があると思うとできません。自死もまた私の存在によって周りを不幸にさせる行動のひとつだからです。しかしこのストッパーさえなければ私はいままでのどこかのタイミングで自死を選んでいます。「自分が生きていても迷惑をかけるだけだ」と感じたとき、死ぬのもまぁ迷惑だけどそっちのほうがコストパフォーマンスがよく思えてしまいます。 私の不幸の根幹は私の深刻な逃げグセにあるのだと思いますが、だからこそ「変わる努力をしろ」という真っ当な言葉からも逃げたいんだと思います。自分自身の人生から逃げています。 全てが面倒です。 くじけずに生きていくことがすべてだとは分かっていますが、くじけずに生きていくための元気がありません。 自分に生きる価値がないと思っていながらどう生きていけばいいでしょうか。どのように考えればよいでしょうか。どのように考えれば死の魅力から逃れて、自分や他者を大切にできるようになるのでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ