hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

妙好人について

回答数回答 1
有り難し有り難し 5

初めて質問をします。よろしくお願い致します。
先日、祖母が亡くなりました。それをきっかけに浄土真宗の教えを(ネットの情報からではありますが)学び始めました。

妙好人について書かれていることを読んで思ったことがあります。

他力信心を得ると言うことは、仏の悟りには至らなくても高いところの悟りに達しているように思い、阿弥陀様のお力を気づかせて頂くのは、簡単なことの様に説かれているものの難しいなと思っています。

他力信心によって死への恐怖や不安がなくなるのは、頭では理解できたかなとは思っています。しかし日常生活生活における死に直結しない様々な不安があります。なぜそれらも気にならないようになれるのでしょうか?

ご助言をよろしくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

浄土真宗は聴聞に極まる

こんにちは。

浄土真宗にご縁があったのですね。
嬉しいことです。

「阿弥陀様のお力を気づかせて頂くのは、簡単なことの様に説かれているものの難しいなと思っています」とのことです。なるほど、お感じのことは浄土真宗の聞き初めの頃によく抱く疑問ですね。

南無阿彌陀佛を聞き信じてお念仏する、浄土真宗はそれだけです。
この阿弥陀仏を拠り所にせよ(南無せよ)との仰せを、拠り所にさせていだきます(南無させて頂きます=信心)。これだけなのです。

この意味では、本当に「簡単」です。

しかし、この至極「簡単」なことを「難し」くするのは、常に人間の側です。
例えば、こんな自分では往生極楽できないのではないか。
何かをしなければ、信心を得られないのではないか。
等々と、先回りして考えすぎたり、力んであらぬ方向を向いてしまったりするものです。

ただ、南無阿弥陀仏を聞いて、聞いて、聞きぬく。
これ以外に、「他力信心」を頂く方法はありません。

妙好人の言動のどの辺りを指しているのかは分かりませんが、「死への恐怖や不安がなくなる」とは思いません。『歎異抄』にもあります通り、親鸞聖人は病気を患えば死に至るのではないかと心配もするし、極楽へ進んで往きたいとは思えない、と仰っています。「娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」、つまり、力落として往かざる得ないという心境で極楽へと参らせていただくのだ、とも仰せです。

南無阿弥陀仏を聞く前であっても、腰を据えて聞いた後であっても本質的に人間は煩悩という自己中心の姿に変化はありません。死、或いは様々な「不安」などの自分にとって都合の悪いことを恐れるのが人間です。

しかし、南無阿彌陀佛を聞くことで、生き死にの方向性は定まります。

どこに往くか分からない命ではなく、極楽への途上にある命にならせていただく。
独りではなく、阿弥陀様とご一緒の人生だと気がつく。
愚痴、不平不満の我が口から、お念仏が出る。

このようなことは、聞いてすぐにわからないけれども、聞かなければわからないことでもあります。

難しくしているのは、いつも自分。
そして、浄土真宗は聴聞に極まる。
これを念頭に是非とも継続した聞法をお続けください。

南無阿弥陀仏

追記
ご返信ありがとうございました。
またご質問ありましたらお寄せください。

{{count}}
有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

初めての質問でしたが、とても丁寧にご回答頂きありがとうございます。
近くのお寺の聴聞にも参加させて頂きたいと思います。
また疑問が出てくると思いますが、その時はよろしくお願い致します。

「浄土真宗」問答一覧

救われない予感がします

浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。 これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き 謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました 過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」 という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません 今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら 時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました 今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします 過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました 前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません 阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか

有り難し有り難し 40
回答数回答 2

亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

浄土真宗のお念珠を教えて頂きたいです。

私は真言宗のお坊さんを目指している中学生です。 将来おばあちゃんが亡くなった際、おばあちゃんは浄土真宗(代々の)で供養し、 私と母は真言宗に改宗して、おばあちゃんのお墓は墓じまいする。と決めました。 (おばあちゃんと母は苗字が違います) お寺とのお付き合いもないので、おばあちゃんの葬式は新しいお寺さんになるかと想像しています。 しかし浄土真宗は浄土真宗です。私達が真言宗でもお墓参りと法事にはしっかり浄土真宗で臨みたいね。と母と話しました。 そして私は来年高野山の高校(通信)に行きます。急に仏教学校に入りたいとお願いし、認めてくれて応援してくれた。今まで育ててくれたお礼に、仏教好きな私なりに、お念珠をプレゼントしたいと考えています。 その際、今後使える真言宗の念珠+ おばあちゃんの供養や墓じまい後のお参りの時に使える浄土真宗の念珠をプレゼント予定なのですが、 Amazonで見ていて、いいのは見つけましたが2連の念珠が多いように感じます。 しかし浄土真宗本願寺派や真宗大谷派は公式には略式念珠、単念珠を紹介しています。 しかし葬儀サイトにはみな女性用は2連なんです。 そこでお聞きしたいのは、お坊さん的に浄土真宗の女性用のお念珠は2連なのか単念珠なのか、どちらをおすすめだとお考えでしょうか。 西本願寺、東本願寺共にサイトで2連は蓮如結び、単念珠なら松房と書いていたので、そのものを購入予定です。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

厭離穢土欣求浄土の意味

「厭離穢土欣求浄土」の意味について、今年の大河ドラマをはじめ昨今の小説やドラマでは「この世を浄土のような平和な世にする」というスローガンだと説明されていることが多いですが、浄土宗は唯心の浄土ではなく指方立相の浄土を説くはずで、凡夫に浄土は築けないと教えているはずですから、この解釈は浄土宗の教義に矛盾していないでしょうか。元来の意味が厭世的過ぎて現代人に受け入れにくいので無理矢理こじつけたように思えます。これはむしろ即身成仏を説く真言宗や娑婆即寂光土を説く日蓮宗の考えに近い解釈ではないでしょうか。 凡夫に浄土が作れるのなら弥陀も念仏も要らないことになってしまいます。 ただ、「浄土宗は死を待つだけの教えではないのか? 法然上人の時代のように道を歩けば死体がゴロゴロ、いつ自分もその仲間入りするかしれない世ならともかく、現代ではそんなに今生きているこの現世を否定しなくてもいいんじゃないか?」というこの胸に芽生えた疑問への答えとしては厭離穢土欣求浄土の現代風解釈は便利なので、指方立相の浄土とは矛盾すると知りながら都合よく取り入れてみるのも悪くないかなとも思っています(真剣勝負と八百長との狭間をウロウロするプロレスファンなので、こういう曖昧な考え方は得意なのです)。 できれば浄土宗のお坊様のみならず、他宗のお坊様のご意見も聞きたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ