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頼れる人がいない

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自己愛性パーソナリティにより鬱を引き起こしていて、健康も仕事も趣味さえも失って生き地獄にでもいるような心苦しさですが、これから自分の人格や状況に向き合い精神を立て直していくつもりです。
その心の健康を再建しようとする中で寂しさが大きな壁になっています。

内向的で疑り深い性格から、親族や長年の友人に対しても心が開けず悩みや弱音を打ち明けられません。
そのために心が寂しさに蝕まれてとても辛いです。

正直、現在の心の寂しさの80%くらいは心の病気によるものだと思っていますが、この状態で壁を乗り越えようとしても深みに嵌る気がしています。
寂しさに負けず、孤独でも自分の問題に立ち向かうには、どんなマインドでいるのが良いですか?

2021年5月24日 21:38

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたを応援したい。寄りかかりたくなったら、いつでも支えるよ

孤独だと、やっぱり寂しいよね。
一人で立ち向かえるほど、人は強くないわ。
でも、あなたが、自身と向き合い精神を立て直そうとしているなら、応援したいです。

なかなか心が開けず、悩みや弱音を打ち明けるにも、勇気がいるだろうと思いますが。知らない人だから、気にせず話せるってこともあるのよ。

あなたのそばで、見守っているからね。
伸ばしてくれるなら、その手をちゃんと掴むからね。
だから、踏み出してみよう。
立ち止まったり、寄りかかりたくなったら、そっと支えるからね。
そんなときは、ハスノハで休憩したらいいのよ。一緒に話そう。

いつだって、あなたの味方だよ(*^^)v

2021年5月24日 22:33
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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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コンパッションマインドを育てる

おこめ 様 相談ありがとうございます。

どんなマインドか?
セルフ・コンパッション・マインドが良いかと思います。
自分に思いやりをむける、優しさ、愛情を向けることです。
自己愛性パーソナリティ障害は、他人からの評価をとても気にしますが
セルフ・コンパションは、他人の評価は気にしません。
自分の心の状態を、客観的に(マインドフル)に眺めて
今苦しんでいる状態をただ受け止めて、自分が悪いのではないという理解から始まります。それは人間の進化にうえで起こった脳のいたずらとあなたの成長における環境の影響により、そのような心理状態に陥っているのだと、解釈していきます。
そのうえで、脅威にさらされて凍りついた心を、癒す方向へ導きます。
その癒しに、自分に向けた思いやりや優しさ愛情が必要となり
勇気をもって思いやりの心を育んでいく必要があります。

まずは、マインドフルに自分の今の状態を客観的に眺めることをしてみてください。心は柔軟でいろんな感情が渦巻いていると思います。寂しさにとらわれ過ぎている状態から、一歩離れてみてみるとよいでしょう。
そして、呼吸に意識をむけて、だんだんとゆったりとゆっくりとした深い呼吸の出る息と入る息に注意を向けて生きましょう。入ってたり出たりする空気の流れと身体の感覚へも注意を向けて、自分の楽なリズムの呼吸を見つけていきましょう。
楽な呼吸がリズムよく長くできるようになったら、過去に誰かかから思いやりや優しさを受けた時を思い出してみましょう。簡単なことでいいのです。誰かに笑顔であいさつされたとか、優しい言葉をかけてもらったとかです。
その時の思い出して、どんな感覚だったか思い返してみてください。温かさ、抱擁感、安心感などです。その感覚を心にとどめておくように繰り返し練習してみてください。最初は難しいかもしれません、誰でもすぐに自転車に乗れないのと同じで、繰り返し練習が必要です。心の筋トレだとおもって実践してみてください。
やがて、寂しさから解放されていき、心にエネルギーが溜まり、壁に立ち向かう勇気が持てるようになるでしょう。参考にしてください。一礼

2021年5月24日 22:47
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おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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私も鬱ですよ

おこめさん、初めまして。
私も鬱で、20年ほど前に発症しました。3ヶ月ほど布団から出られない時期がありました。その後、躁転し、躁鬱病と診断されました。

相談内容を拝見し、私の時と同じような気持ちなんだろうなぁと共感してしまいました。

中々、人には分かってもらえない病気ですよね。朝が怖いために夜眠れない日々が続きました。誰に相談してもわかってもらえない、そもそも人と関わりたくないので、相談すらできない状態でした。

私は、少し落ち着いた時に、その辛い思いをノートに書き殴りました。綺麗に書く必要はありません。横書きだったり、斜め書きだったり、大きさもまちまちです。とにかく書き殴りました。

そのことで少し自分を客観的にみることができるようになりました。

20年間、色々な変遷があり、ここには書ききれないのですが先ずは無理に壁を乗り越えようとするのではなく、とにかく休むことです。「寝る」、「食べる(過食はダメですよ)」が以前と同じようにできるようになれば少し落ち着きますから。最終的には、私は「この病気(鬱)と一緒に生きていこう」と思えるようになりました。そう思うことで少し楽になりました。

返答になっていないかもしれませんが、辛い時には、またいつでも相談してください。

2021年5月25日 6:36
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おきもち

私は、浄土真宗の僧侶です。僧侶ではありますが、浄土真宗の教えをバックグラウ...
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「鬱の症状・うつ病に向き合う」問答一覧

相反する気持ちへの対処法

本年もよろしくお願いいたします。 過去の質問の通り、私は6、7年ほど前からうつ病を患い、寝たきりに近い状態になりつつも何とか社会復帰を願っています。 今自分にできることをやって、今の自分を良くすることを考えるようにしたい。それは間違いなく本心のはずです。 でもどこかで、自分の心はそれを必ずしも良しとしていないように思うのです。 例えば、夜寝ようとしても全然眠れないとき。これでは次の日に用事があれば間違いなく影響してしまうのですが、何かイライラしている。そして、最近あったこととか、うつ病であることすら隠れ蓑にしてイライラに身を任せたり、怠惰をむさぼったりしてしまう。ドカ食い、ゲームやスマホの長時間使用などが止まりません。それでよくなるはずがない。 心のどこかで、変わることを恐れている自分がいるようなのです。 「社会復帰したくない、ずっとこのまま自由に穏やかでいたい、人生の波風を立たせたくない」・・・。 それこそ社会復帰じゃなくても、痩せなきゃいけないのにドカ食いしていたり、お金を節約しなければいけないのに豪遊しようとしたり、正しい道が分かっているのにいろんな理由を付けてそこから外れる行動をとってしまうことが多いです。 あるいは忘れようとした悪い記憶を思い出して、怒りが止まらなかったり、復讐まで行かずとも一泡吹かせることはできなかったのかなどと思ったりもします。 そういう部分も人間にはあるとは思います。うつ病の人が、心のどこかで「治してよくなろう」と思っていないから治療が進まず、後戻りすることすらある。そんな話も聞きます。 でも、「人間大なり小なりそういうものだから」「こういうことはよくある」でもう片づけたくはないのです。 自分としては、相反する気持ちも受け入れて、何とか悪い行動はとらないようにしたい。「正しい」「悪い」の判断が良いかわからないけど、「正しい」道から外れて「悪い」行動をすれば絶対後悔するのはわかっているのです。 相反する想いに折り合いをつけて、自分を壊してしまいかねない思考・言動を避ける。難しいのかもしれないですが、そういう事が少しでも出来るよう、アドバイス等あればご教授いただけますとありがたいです。

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期待されるのがしんどい

期待されることがしんどくて仕方ないです。この気持ちはどう考えれば晴れるのでしょうか? 指針になるようなお考えをお聞かせください。 以下、長くて申し訳ないのですが現状です。 ここ最近、鬱病にかかり数ヶ月休職したあと、元の職場に復職しました。 復職後はなんとか体調管理をしながら仕事をこなしていたのですが、この度、異動することが決まり、その件で感じたことです。 異動連絡のあった当初は「閑職に飛ばされるんだろうな」と思い、鬱の療養のことを考えても今より楽な仕事につかせてもらえるのは正直ありがたいなと思ってました。 ですが蓋を開けてみると「花形部署」勤務。今までと全く違う業務内容に花形部署ならではの質と量を求められることになりました。 こんなことをされても鬱病だから無理だと訴えても「優秀だから辞めてほしくない」「だから一番やりがいがあって、かつ、調整が効く部署に配属に決めた」「できる範囲の仕事をやってくれたらいい」と言われるのみ。 周りに相談しても二言目には「優秀だから期待されているんだね」「優秀なんだし、そんなに頑張らずにやればいいんじゃない?」との反応。 だんだん周りに「辛い」と相談しても自分の優秀さや会社に評価をされてるという自慢をしているような雰囲気になって、誰にも相談ができなくなりました。 私は一度もその部署に行きたいとも、出世したいとも言ったことはありません。 今の部署も出世するルートのある部署ではなく、マイペースにやれる部署でした。 それに私は優秀なのではなく、真面目で言われたことを言われたままにコツコツやるタイプなだけです。 ですが、その性格も鬱病で駄目になりました。なのに周りはまだ期待をかけてきます。それに応える必要なんてないはずなのに、応えてもらえなくて悲しむ相手を見て罪悪感がわいて、つい頑張ってこなそうとしてしまいます。 毎晩、どうしたらいいか分からなくなって、悲しさだけがポツポツと湧いてきているような状態です。とても悲しくて、やるせなくて、しんどくて辛いです。 どうかこんな私に、何かお言葉をいただけると幸いです。 よろしくお願いします。

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母が鬱かもしれません

鬱かもしれない田舎に暮らす母への適切なフォローと、これからの私の心持ちで漠然と悩んでいます。 60を超えた母がいます。この間、痙攣を起こし、救急搬送されました。検査の結果体に異常なし、心因性ではないかと診断されました。 田舎で父と父方祖父母と暮らし、近いですが別の地区に母方祖父母が2人で暮らしています。高齢な親たちの面倒を、母がひとりで面倒見ているような状態です。 私の姉に子が生まれて里帰りをしたり、母方の祖父母が立て続けにガン手術をしたり、相続周りの話をしても聞く耳を持たない様子だったりと、去年から心が忙しない日々を送っており、時折激しく家族の愚痴(父の兄弟が義父母の面倒をみないことなど)をこぼすこともありました。福祉に明るい姉には、鬱傾向を相談していたようです。 母は以前から、パニック障害のようになり呼吸が苦しく飛び降りてしまいそうな気持ちになることがあったり、プライドが高く自分で全部やろうとするので頼るのが下手だったりします。 父は母が居ないとダメになってしまうのが目に見えてるような人で、責任感はありますが急に気性が荒くなるので話し合いがあまり得意じゃありません。(私たち子どもも昔からうんざりです) 母には精神科受診を勧めました。最近私自身も心が疲弊し精神科受診を体験したので、そのエピソードも交えて。ですが田舎のため、精神科が圧倒的に少なく、適切なカウンセリングが受けられるかもわからず、またどこに行っても誰かしら知り合いがいるため、精神科受診のことを変に噂しそうな田舎独特の空気もあります。母自信もそこをかなり気にしており、都会はいいわねとこぼします。 そばにいて、優しく話を聞いたり、病院選びに付き合ってあげれたらいいなと思いますが、私が都内で働いているため、なかなか難しく。 父に任せるしかありませんが、母を想うより先に自分の不安が苛立ちに変わってしまうような甘ったれな部分もあるため、日々の中で母がさらに落ち込まないか心配です。その辺りも姉と相談しながら、適切な医療にアクセスできるようフォローはしたいと思っていますが…。 元気だった母のこんな姿に、私も少なからずショックがあります。このような時の心持ちのために、何かお言葉をいただけたら、私自身気を強く持てるかもと思い、ご相談しました。 乱文申し訳ございません、よろしくお願いします。

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産まれてきたことを謝罪したい

鬱が非常に酷く、特に罪業妄想の症状に悩まされています。 最近は「産まれてきたことをどうにかして償わないと」という妄想が 毎日頭の中を反芻し、それ以外のことが考えられなくなることが多々あります。 仕事をしている間は、まだ気が紛れるのですが、土日は布団の中で時間がすぎるのを願い、 ただ時間が流れるのを待つだけの日々が続いています。 皆は時間が資産だというのが羨ましいです。私にとって寿命は途轍もない負債です。 ただ、いま自殺してはいけないのはわかります。職場や家族、親族に迷惑をかけてしまいますし、 それによってダメージを受ける方や、後処理に手を焼く方々が居るのは十分承知しています。 具体的な質問ですが、仏教では産まれてきたことは罪なのでしょうか? その罪を償うとしたら何をしたらいいのでしょうか? 寿命をまっとうすることが罪への償いなのであれば、苦痛に耐えられる自信がありません。 また、幸福の追求は義務であり、不幸に甘んじることは怠惰なのでしょうか? 今は非常に不幸ですが、それを打破するために動く体力が無く、 それを無理矢理にでも生み出そうとすると、それも不幸に直結します。 最近は産まれてきてごめんなさいという、両親に対する罪悪感で気が狂いそうです。

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鬱状態が5年程続いている

高校を卒業してから今まで5年間、ずっと現在進行形で鬱状態です。 去年の10月から今年の5月まで少しでも体調を良くしたく精神科に通っていましたが、言いたいことをあまり言えず、先生も自分にはあまり合わないと思った為現在は通っていません。 高校を卒業してから専門学校や社員としての生活を無理してやっていました。 友達ともあまり会わなくなってしまい、生活するのがつまらなくなってました。 当たり前のことですが、高校卒業後は人生自体を自分で決めていかなければならないので、正直今でもこれからどうやって楽しんで生きればいいか分からないです。 生き方自体を見失ってます。 今からでも自分自身と生活を変えたいとは思っていますが、5年程の鬱の日々に対して未だに後悔が消えず、全く前向きに行動ができないです。 若い頃の年齢を無駄に過ごしてしまったと思っています。 高校を卒業してから、一年一年も早く過ぎていくと感じていて怖いです。 趣味も幾つかありますが、この鬱のせいで心から楽しむことが出来ません。 楽しい人生にしたいのですが、私はどういう気持ちでこれから生きていけばいいのでしょうか。 出来ればこの後悔を消し、少しでも前向きに生活し自分自身にも自信を持ちたいです。

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ