hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死ぬこともできないです。

回答数回答 3
有り難し有り難し 42

希死念慮に苛まれています。

私は恵まれていると思います。
両親、兄弟は健在で仲も良く
友人にも恵まれており
楽しいと思える日も過ごせています。

ですが、数年前から双極性障害と言われました。

元々、根暗だったのを「こんな考え方良くない」とポジティブに振る舞ってきましたが最近では、ネガティブに襲われます。

親友に裏切られたこと
職場でいじめられたこと
そこから人間不信になったこと

お金もなくやりたいこともできず
生きてる意味ってあるのだろうか
と考えても無駄なことを延々と悩んでしまいます。

そう過ごしているうちに
「死にたい」
と思う日が増えてきました。

ですが
「こんなに恵まれてるのに死ぬの?」
「死んで解決するの?」
「周りの人に迷惑かけるし、何より悲しむよ?」
「自分より辛い人はたくさんいるんだよ」
「自意識過剰、悲劇のヒロイン気取り」
と自責する思いと

「ツラい、消えてしまいたい」
「このまま引きこもって誰とも関わらずに朽ち果てたい」
「何も考えたくない、死んでしまいたい」
と自殺願望が
頭で渦巻いて、おかしくなってしまいそうです。

両親・兄弟には言えていませんが
友人は私の精神のことをある程度理解してくれています。
本当に恵まれてると思います。
みんな「大丈夫だよ」と笑ってくれます。

ここでお坊様の皆さまに相談しても、きっと「生きなさい」と言ってくださるのでしょう。
(仮に「死になさい」と言われたとて、動機がなければ死ぬ勇気はありません。)

その言葉はとても嬉しい、温かいのですが
生きるのは苦しい、死ぬのは怖い。
その事実はいつも変わらず脳内を蝕むのです。どんな言葉を頂いても、このとても苦しくて怖い、生きながら死んでいるような感覚が消えないのです。

私はどうすればいいか分からない。

死ぬ決定打がないので死ぬことはできないままに、日々希死念慮に苛まれます。
生きることは楽しいこともありますが
基本、私にとって生きるとは苦しいことなのです。

私はどうすれば救われますか。
生きるか、死ぬか
どちらを選べば幸せなのですか。
死ぬことに理由があれば死んでしまうことも許されるのですか。

2021年6月8日 16:57

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ちょっとした幸せを感じたくて、明日を越えていく。

毎日が、葛藤だよね。頭の中も心も、グルグルとあなたを迷わせているのではないですかね。
生きるか、死ぬか。
答えを出そうとしてしまう。
曖昧でいるのが、しんどくなっているのですよね。
双極性の苦しいところですよね。

本当は、それらから解放されて、理解ある仲間と一緒に、前を向きたいのにねぇ〜自分に対しても嫌になっちゃうよね。

思うようにいかないから、生きることって苦しくなるけれど。そのストレスを、何かで誤魔化したり、どこかで発散させたり、誰かに伝えて聞いてもらったり受け止めてもらったり、大丈夫だと支えてもらったり背中を押してもらったり。みんな、そうしながら、生きているのだと思うわ。

生きなさいと、偉そうなことを私は言わないし、逃げ出したいことがあって当たり前だよねって思う。生きながら死んでいるような感覚って、本当に怖いわね。抜け出したくなるよね、もう解放されたいよね。

だから、周りをもっと頼りませんか。大事な人だから、心配もしたいのよ。頼ってくれたらいいよって、きっと思っているわ。一人は怖い。だから繋がっていてねって、手を伸ばしておきましょうよ。

楽しいことばかりじゃないけれど、ちょっとした幸せを感じたくて、明日を越えていく。
そんな日暮らしでもいいのではないかしら。

ハスノハでも、毎回、あなたの気持ちを聞かせてくださればいいわ。どんなネガティブも、一緒に頷いてあげたい。しんどい時に、辛い時に、一緒にそばにいてくれる人は、頼ってもいい人なんだよ。みんな、誰かを支え.支えられしながら、毎日を過ごしているのだもの。

2021年6月9日 11:11
{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
このお坊さんを応援する

仏道を学び、実際に歩んで下さい…

 【希死念慮】の言葉には希(のぞ)む、念(おも)う、慮(おもんぱか)る と自分の思い、また考えを意味する文字が並びます。
 だからこそ このとても恐ろしく、実際に自らの命を絶ってしまうほどの「希死念慮」を無くすためには、「自らの思い、考え」から離れることが大切です。
 その実践として自ら修行をして心を整え、鍛えて、その思いから離れようとするのが「自力聖道」の教えです。
 また、その【我の内から溢れ出す思いを自らではどうにも出来ない者に対して〈その思いを私に預けなさい、手放しなさい、私に任せなさい〉とおっしゃる阿弥陀という仏に委ねていく】教えが「浄土教」(浄土真宗)の教えです。
 あなたにはそれを選ぶ権利があります。どうぞ自らの思いから解放される道を歩まれますことを…真実なる人生を歩まれますことを、心より御念じ申し上げます。
 『生きるか、死ぬか どちらを選べば幸せなのですか』…幸せという自らの感情を人に尋ねますか。人に委ねますか。他人のその答えに納得出来ますか。納得した方を選びますか。ならば私が申し上げます…「生きる方が幸せです」と。この回答に納得なされましたか…。
 『死ぬことに理由があれば死んでしまうことも許されるのですか』の問いも同じです。その答えは自分で出すべきです。
 もちろん、この上なく重い問いですから、答えを軽はずみに出してはなりません。その答えを仏法にこそ求めて下さい。真剣に問い、また学んで下さい。
 多分、その答えを出すのに一生掛かるでしょう…いえ、一生を掛けても得られないかも知れません。
 だから、その答えを仏様に問い尋ねましょう。尋ね続けてまいりましょう。
 あなたには今お時間があるようです…といっても、人生の時間は有限。無為に過ごしてはなりません。
 だからこそ仏教を学んで下さい。その学びは「決して」無駄にはなりません。いえ人生を歩む上で、人生を充実させ、実りあるものにする為に必須の学びです。
 安心して仏道を歩んで下さい。
 私達(仏法を喜び、学ぶ者)の仲間になって下さい…。

2021年6月9日 10:51
{{count}}
有り難し
おきもち

恵まれて幸せなのに自殺願望への処方箋

堪忍袋さま

つい先程に回答した内容と被ってしまうのですが・・すみません。

最近、まっいいかな、これぐらいでよいかな、このへんで終わらせとこかな・・と、一見、恵まれているにも関わらず(逆に恵まれていて幸せだと思っているうちに終わらせたい)、そんな感じの自殺願望がここのところ多いように思います。

もちろん、生きることがしんどくてつらい、苦しいのは誰も同じなのですが、これ以上、しんどくなりたくない、つらくなりたくない、苦しくなりたくないということもどこか絡んでいるようにも思えます。

しかし、気休めに、これからきっといいことがあるよ、もっと幸せになれるよ、などとかも、そう安易には言えないですし、まず信じてももらえないでしょう。また、誰も保証できないことでもありますから。

では、仏教的にはどう答えるのかとなりますが、

やはり、業(カルマ)と輪廻について理解していただかなければならないところとなります。

今の生を安易に終えたとしても、(過去世から、もちろん今世の)業(カルマ)によって、次の行き先、生まれ先が決まることになるため、当然にその業(カルマ)の状態次第では、また人として同じように苦しみ続けることになってしまう、もしくは、人よりも悪い境涯に生まれてしまいより苦しんでしまうことも。もちろん、人より善い境涯、天や浄土に生まれられる場合もありますが、そのためには、それなりの業(カルマ)の善い状態が必要なものとなります。

ですから、仏教では、できるだけ善い境涯へと向かえるようにとして、この生もできる限り有効に活かして、できれば、確かなる仏道を歩み、業(カルマ)を清らかに調える、智慧と福徳の資糧を積むということが求められるところとなるのであります。

是非、仏教についてこの機会から学ばれて頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

2021年6月9日 11:24
{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答一覧

なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

かわいそうと思ってはいけないのか

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。 細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。 (暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります) ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。 傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。 私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。 それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。 「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ