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「人の為」ってエゴにあたりますか。

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有り難し有り難し 19

お世話になっております。
定かな答えなどない質問かとは思いますが、皆様のご意見を伺いたく投稿させて頂きます。

元々抱え込みやすい性格で、こちらでもたびたびご相談させて頂いておりますが、色々と考えているうちに、私にとって「人に認めてもらう」事が自分を認めるための手段、まさに承認欲求の塊だと感じる事が増えました。誰しも少なからず承認欲求はあり生きるうえで必要かと思いますが、私はその割合がかなり大きい気がします。そのため、周囲を気にせず主体的に生きている人は尊敬するし憧れる存在です。でも、そのように自分を信じて主体的に動く感覚が未だに掴めません。「自分の思いのままに動く」事が非常に不安で、それ以前にそもそも自分が本当にやりたい事って何だろうとふと考えます。

現在介護職をしていますが、元々これも「誰かの役に立てる仕事がしたい」との動機からでした。実際やりがいや達成感は大きく、それがまたモチベーションにも繋がっています。仕事中どんなに辛くても、ご利用者から「ありがとう」の言葉が得られると素直に嬉しいです。
一方で、自分は「純粋に人の為に何かをしたい」というより「そうする事で人から認めてもらいたい」というエゴなだけなのかなと思う事があります。人に尽くしたいというよりも、根本ではそうする事で認められたい、必要とされたいのかと思い、果たしてこれって良いのかと不安になる事が増えました。

仕事のみならず休日もです。本来なら自分のための時間のはずなのに不安で落ち着きません。趣味がないわけではないのですが、その最中でさえ、ろくに仕事もせず自分一人のために時間を費やしていて良いんだろうかと過ります。そのため、休日も家事や自宅でできる作業等に極力時間を充てています。ただ、合間に手が空いた時等、この時間に何かできないのか、一人で呑気にしているなんて無駄ではないかとすぐに焦ります。自分が所属するコミュニティを増やせば少しは変われるでしょうか。

とにかく時間に追われて働いていないと落ち着かず、且つ他者の反応を通してしか自分を認められません。でも、最早それでは真に「人の為」にすらなっていない気がします。それを口実に自分を満たそうとしているのかなと惨めで、むしろ自信を失くす一方です。

自分に自信を付け、自分で自分を認める方法、そのために必要な心がけが知りたいです。

2021年10月23日 12:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ハート♡のアクションは誰にとってもうれしい恵みと捉える

🐱ただいま、当山に棲みついているネコが私にとりついておりますのでネコ目線でお話ししますにゃ。🐈
人が受け取ってうれしいもの、うれしいこと。
それは人間の本心のレベルで決まっています。
ネコにもしてもらってうれしいことがあります。ゴロゴロゴロゴロ…。(のど撫で・デコ撫で)
あっていきなり乱暴なことをされれば「(*´Д`)は?何事?」となりましょう。
ネコふんじゃったとか、かつ節やるからよっといで、とか上から目線なの、誰でもいやでしょうに。
もし初対面で好感度高めでやさしい言葉、きれいな容姿、よき香り、配慮の行き届いた対応などがあれば、誰でもすくなくとも悪い気はしないでしょう。別にホストクラブでも高級クラブでもなく、人の接待の事でもなく、人がされて心地よいこと、心地悪いことは生物は「本心レベルできまっている」ということなのです。
仏教にも「だから」戒律があるのです。傷つけるな、害するな、盗むな、尊厳を汚すな、ウソつくな、依存するな、責めるな、自画自賛するな・けなすな・ケチるな・怒るな・そしるな…。これらもみな人間の本来のネコちゃん安心ゾーンを損ねちゃいけにゃいと言うことですにゃ。それはあらゆる生物に共通しているのです。
人間も犬も猫も鶏もされていやなことはある。
反対にされてうれしいことがある。
それをするのに人の為とか、ボランティアとか、偽善だの、自分の為だとかは絶対にありませんし、あってはニャりません。そういうものは人が人の善意をダメにする貶めワードというものです。そんな言葉や心理トラップには引っかかってはいけません。
私もある尊敬する人が一生懸命みんなの為に料理を作ってくれていたのですが、口の悪い人が「あれは自己満足だ」と酷いことを言っていたのです。そんなことを言って誰が聴いていてうれしいでしょうか。けなす。バカにする。貶める。価値を下げる。DISる。ののしる。下げる。誰もうれしくありません。爪を立てちゃいけないところに爪は立てちゃいけないのです。
あなたはあなた自身がせっかく良いことをしているのですから、今後も堂々とみんなが喜ぶ「ねこなで・のど撫で・デコ撫で」に通ずることをやってください。
あなたがやってもらってうれしいことをしなさい。🐈
そうすると相手もうれしい。そうすると承認欲求も高まりコンプも吹っ飛びますにゃ。
自信とは自分がこれだ!という確信です。

2021年10月23日 18:05
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有り難し
おきもち

承認欲求とのつきあい

ご投稿を拝読させて頂きました。
私の意見を書かさせて頂きます。

tamaさんが自信をつけていくのに、私がオススメしたいことは「読書」や「他業種の人との会話」の習慣です。私がそう考えた理由を記載します。

 さて、「自分に自信がある」とはどういう状態でしょうか。私は「自分の行動は正しい、確実だ」と確信している状態だと思います。私たちの生活は行動の連続ですので、人は自信があるときもあれば、ないときもあるのです。
 私も家にいると、自信がなくなることがあります。「他にもっとするべきことがあるのでは?」と不安になるのです。思い返せば、小学生のころは学校から帰ると友達と遊んだり、ゲームしたり没頭できたのに、中学生になると没頭できなくなりました。「勉強」という優先事項が私にできたので「遊ぶ」ことに迷いが生まれるようになったのです。そういう意味で、中学生の私は遊ぶことに自信を無くしてしまったと言えます。私もtamaさんの休日の不安が少しばかりわかるように思います。
 tamaさんの仕事での不安は、僕の場合より少々複雑ですね。語ることは避けておきますが、「承認欲求」と「純粋な自己の動機」とは、共存していけるものだと思います。一方が存在するかぎり、もう一方が許されないものではないと思うのです。とは言うものの、この不安への答えはtamaさんが(慌てずに)探していくことが、いいように思います。
 話を戻しましょう。私が上記の習慣を進める理由は、様々な価値観、世界観を蓄えることが自信に繋がると思うからです。一つのジャンルではなく、様々なジャンル、時代の本を読むことをお勧めします。同様の理由で、普段話さないような人と話してみるのもいいでしょう。多様な生き方、世界観、価値観を知ることで「こういった考えもあるだ」「こんな世界で生きている人もいるんだ」となんらかの発見があるはずです。これらを例とした様々な情報が、tamaさんにとってプラスの変化を起こしてくれるように思うのです。
_______________________
追記:仏教的なこと

「心の五つの覆いを切り捨て、
 すべての煩悩を除去し、
 なにものにも頼らず、
 愛欲の過失を断ち切って、 
 サイの角の如く、ただ一人歩め」
                  『スッタニパータ』1-66
字数制限でここまで..応援してます!
   

2021年10月23日 21:10
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有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶。男性、神奈川県、20代、機械技師。 初期仏教、真宗を主に...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
「自分に対する確信がある状態」が自信である事、なかなか意識できていなかった事に気づかせていただけました。

物事に対して、「自分のため」や「人のため」という捉え方のみならず、「自分とはこうだ」という視点に立って行動を起こす必要性が少し分かったように思います。

少しずつ自分に自信を持てるような行動を心がけていきたいです。

改めまして、丁寧なご回答ありがとうございました。

「認められたい・承認欲求」問答一覧

今までなかった劣等感

この春から異動になり、出先の支店勤務となりました。 異動が決まった時は、初めての出先の支店勤務で不安と納得できない部分も正直ありましたが、今では職場の方々がとても良い方々ばかりで安心して働く事ができてあります。 本店にいた時から違う部署になっても、仲の良いグループがあり、定期的に会ってご飯によって行ってました。 お互いの近況を報告し、それぞれに励まし合って頑張る形になってました。 先日も私が支店に異動になってから初めてご飯に行ったのですが、他の人は本店の独特の忙しさを語り、毎日忙しくて疲れていると話してました。一方で私は、出先の支店であり、のんびりとした雰囲気もあるので、急に住む世界違うなと、初めて今まで感じた事ない疎外感がありました。 また、相手のちょっとした発言に引っかかる事が多くなり、見下されているのかなと感じてしまう事が多くなりました。 同じ職場でもないので、そのグループの方々と距離を置けばいい話なのに、今までと変わりなく連絡を取り合い、「いやいや、忙しいのは良い事じゃないですか!こちらはそんな」と、まるで嫌味にも取れるような発言を無意識にし、その連絡をした後、何でわざわざあんな事言ったんだろと落ち込んでしまいました。 自分の他人を羨む気持ちの心の醜さに、嫌になりました。 自分の気持ちが落ち着くまで、そのグループから距離を置こうと思うのですが、ずっとモヤモヤする気持ちは、いつしか消える時がくるのでしょうか。ここまで自分が競争心があった事に戸惑っており、そういう自分も受け入れた方がいいのでしょうか。出来れば、前の自分のように、他の人が大変な時に、自分が話を聞いてあげられるような、気持ちの余裕があるように戻りたいです。よろしくお願いします。

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成功したい・褒められたいという慢心と焦り

ご相談があります。私は、昔から褒められて育ち、自分は優れた素質があると思っていました。人より褒めて欲しい、認められたい、褒められたいというような欲求が強いと自覚しています。 大人になっていく過程で自分はそれほど大した人間ではないことを自覚していきました。しかし一方では理想が高く、自分はもっと優れた人間であるはずなのにとかあるべきだとか、そんな思考が頭の中を不安な状態で埋め尽くしています。 最近は成功した若い人をよく見かけるので、自分の年齢と比較したり何歳までにはこれを成し遂げなくちゃいけないとかそれがこんな悩みに繋がっているんだと思います。 自分もそんな才能が欲しい、もっと言えばあるはずなのにとか思ってしまう自分の慢心に嫌になり、自分が何も結果を出せなかったら嫌だと思ってしまいます。 最近、心に余裕が無くて殺伐としています。 成功するためのこと以外のことに興味が持てなかったり、人のことを何か成し遂げてるかそうでないかで見たりします。 考え方が短絡的になっていて長いスパンで物事を考える余裕も無く、 こんな自分を魅力がなく強欲で人として一番良くない例だと思います。こんなループにハマっているからなのか自分以外の出来事に興味関心を抱くことが難しく、好きなことや趣味もなく、日々をひたすら自己啓発や不安の和らげ方に費やすようになりました。 こんな状態では生きていけないと思います。 平穏な心の状態で焦らず過ごすためには、何を心がけると良いのでしょうか。 先日カッターで手を切るような自傷行為をしてしまいました。軽くでしたが、自分がやるとは思わなかったのでショックでした。お坊様の成功への価値観や、心の折り合いの付け方もあれば、教えて下さらないでしょうか。長々と申し訳ありません。

有り難し有り難し 3
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余裕の無い自分が嫌になります。

はじめまして。 今年息子が生まれ、慌ただしい日々を送っております。 先日息子のお宮参りへ行きました。 安産祈願の時にもお世話になった大きな神社で、無事に産まれたご報告と感謝の気持ちを、と思ったのですが、 神社で働いている方の対応があまり良くなかったのです。 いつもであれば気にしないのですが 終始心ここに在らずといったような感じで無愛想、こちらから質問しないと沈黙…やり方や勝手も分からないですし、 育児の疲れと子どもの一大イベントで気が張っており、私自身もイライラしてしまい顔と態度に出してしまいました。 帰ってからこのような神聖な場所で、しかも息子の大事なイベントで嫌な態度を取ってしまった罪悪感と、すぐに心の余裕が無くなる自分に嫌悪感が沸きました。 相手にしっかりした対応を期待して求め過ぎて…バイトの巫女さんだったろうに怒ったような態度をしてしまって申し訳ないな、とも思いました。 そして何より、お世話になった神様もお怒りではないか気がかりです。 とても反省して神社の方向へ向かって謝罪の言葉を念じました。 神様は許していただけるでしょうか? 毎日念じたほうが良いのでしょうか 引き続き息子の健康を願い、見守っていただけるのでしょうか? なんとも自己中な悩みなのですが、ご回答いただければ幸いです…

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父や祖母への攻撃的な気持ちがぶり返します

以前ご相談した父とその母の件です。 前回は主に実母に対する彼らの言動について書きましたが、実は同時期、私自身もその無神経な言動を受けて怒り、疲弊していました。その時のストレスで彼らを受け付けなくなり、今も攻撃的な負の感情から逃れられません。 私は昨年、里帰り出産をしたのですが 父は私の出産からひと月が経つころ、体調不良を理由に休職しました。その後は全く家事等もせず(もとからしませんが)、何か些細なことでも頼むと不機嫌になり、身体が辛いなどと文句を言って一向に用事になりませんでした。その癖に孫である私の息子を構ったり、趣味のリモート飲みをしたりするときはすこぶる元気で上機嫌といった調子でした。 その頃頻繁に訪ねてくるようになった父方の祖母に、父をいたわってやれと言われ、この状態で私もストレスが限界だから無理だと答えると、祖母は「そんなこと言わないであげて」と哀願し、「いまは産後で気が立ってるだけよ」と言い、挙句に「それは〇〇さん(母)がそう言ってるんじゃないの?」などと返されてこちらにももう関わりたくなくなりました。 彼らへの気持ちは前回のお坊様のアドバイスで少し落ち着いていたのですが、来月帰省することになり、この頃また負の感情がぶり返します。昨夜は夢で彼らに攻撃的な言葉を散々ぶつけ、その後目が冴えてほとんど眠れませんでした。 帰省しなければ関わらずに済むのですが、母や母方の親族など私と息子を心から大切にしてくれる人がいる以上、やはり帰って顔を見せたいのです。 でも、実家であの父と過ごすのか、祖母がまたやってきはしないかと思うとたまりません。 それこそ刃物を研ぐように、攻撃の言葉を考えてしまいます。その言葉の刃物を、「使わずに済め」と思います。でももしかしたら本当は、滅茶苦茶にぶつけたいと望んでいるのかもしれません。 帰省にあたり、父には実質的な祖母への絶縁宣言をしました。私が帰ることを父が連絡さえしなければ、祖母には伝わらない、実家に来ることもないからです。 しかし、いっそもう本当に絶縁してこの悩みから解放されたいという思いも確かにあるのです。絶縁状の文章も考えてあります。 私の本音はどこにあるのか迷っているのですが、ひとまずこの負の感情を収め、言葉の攻撃をせずに済むにはどうしたらよいでしょうか。 お知恵をおかりできましたら幸いです。

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兄を殺したいほど嫌いです。

私は22歳の大学生で、4月から社会人です。6歳上の28歳の兄が大嫌いです。お互い実家に住んでいながら、もう3年くらい口を利いていません。 兄は小中高大すべて公立・国立の学校でしたが、私は、兄が通っていた中学校は治安が悪かったという理由で母に強制的に私立の中高一貫校に入れさせられました。私は本当は公立の中学校に行きたかった、ということは兄も知っています。 兄はそんな私が憎いようです。お金をかけてもらっている、自分は公立で我慢したのに、と思っているようです。しかし私から見れば兄は塾に通わせてもらっていたし、部活動の送り迎えなども母に全てやってもらっていました(ちなみに父は私が3歳のときに家出しており、別居中です)し、地頭はいいですし、羨ましいことも多いです。 しかし兄は私を表面的な部分でしか考えてくれません。「あいつは苦労していない」と言いますが、私は兄がしていない苦労をしました。電車では痴漢に何回も遭いました。中学校では友達から無視されて一人ぼっちになりました。大きな声で悪口を言われたこともありました。高校では厳しい部活と勉強を頑張って、推薦ではありますが国立大学に入りました。 でもそれを伝えても兄は理解を示してくれません。ずっと、自分の方が辛かった、大変だった、お前は楽をしている、と繰り返します。よく、母にも「あなたが甘やかしたからだ」「俺にばかり苦労させた」と28歳にもなって未だに叱責しています。 私はどうしたらいいか分かりません。もうこんな兄の相手をするのも嫌になり、段々嫌いになってしまい、口を利かないのは私にとって好都合となりました。 しかし母は私と兄が仲直りしてほしいと思っているようです。ですが、私はもう兄と仲良くするつもりはありません。兄の人間性が、もう大嫌いなのです。怒って大声で怒鳴ったり、ドアを勢いよくバターンと閉めたりする兄のどこを評価して仲良くしたいと思うのか、理解できません。 この春から社会人なので一人暮らしを始めるのがいいとは分かっていますが、正直赴任地は田舎なので今の実家を離れたくないです。兄が出ていくのが一番なのに私が出ていくのも腹が立ちます。母だって、たまに叱責されると兄にうんざりするくせに、共依存のようにお互いに依存してて気持ち悪いです。 私は兄に対してどんな気持ちでいればいいでしょうか。許すべきでしょうか。

有り難し有り難し 7
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