非常に難しい芸術の世界で、少しずつ評価を得られるようになりましたが、もともと有名になりたいなど全く思っておらずむしろ競争など嫌いで、お金も必要程度で、でもそれをピュアな芸術の音楽で稼ぐのは難しいと知りながら、今日まで自立を目標に頑張ってきました。
おかげで今、夢に見た場所で夢に見たプロジェクトに参加できているのですが、あまりにも幸せでこれ以上自分には表現は必要ないのではと感じます。
自分の努力もあったとはいえ、報われる環境にいれた幸運に毎日感謝するばかりで、数年前はカップラーメンだった食事も、野菜が食べれるし、暖かい服も買えるし非常に幸せです。
しかし現状に満足したことで、自分が表現したいことがなくなりました。もっと若かった頃は、自分を誰かに理解してほしい一心で、若さのエネルギーで前に進んでいたように思いますが、国を変えてみたり、異なる文化や考えの人と過ごしたおかげで、人間そもそもわかりあえない存在だとも知りましたし、正しさも千差万別で、自分の信じていたなにかは自分にしか価値がないと知ってがっかりも少ししました。
今の生活費も、芸術では難しくても、普通に働けば稼ぐことはできる額だし、自分を他人にわかってもらう必要はもうなくなって、表現をやめた方がいいのではないかと思います。大人になったのだと思います。他人の作品を聴いても、他人の人生について聴かされているだけのような気がして、どうでもいいです。
家族を持ち始めた友人はきっぱりとやめていく人も多いです。私はそういった守るべきものみたいなものもないので、自由なように感じます。金銭的自由は、もっと貧しかったころの学費の返済などがあるので完全とまではいきませんが、自分に必要なお金の量もわかったし、貧乏でも音楽が必要なのか、わかりません。
楽しそうに表現を続ける同業者を見て、「それだけ何かを信じられるって羨ましい」と思います。かといって、外から自分の人生を決めてくれるものもありません。
名声はむしろ避けたいですが、努力をわかってくれる人がゼロも寂しいです。今はそのちょっとのわがままだけがエネルギーのような気がします。
私にとって、このまま不安定な音楽業は必要なのか、今の幸せを大切にするために「普通の社会」に戻っていくか、どちらなのでしょうか。大人になってしまったせいで表現に不向きな人間になったと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
芸術のことはあまりよくわかりませんが、人は日々表現して生きているのですよね。言葉や文字、身振りや表情、絵などで伝えたいことを、それぞれの方法で表情しています。音楽もそのひとつなのではないかなと思いました。
私たち僧侶は、お釈迦様から伝わる教えを実践し、自分自身がお釈迦様と同じ救いの体験をした事で知った内容があるから、人を救いたくなるわけです。
その内容、方向性を伝えようとそれぞれの坊さんの方法で表現をします。ハスノハもその一つかもしれません。
自分が満たされた、大人になったなら、それも音楽にならないのでしょうか。
自分のための音楽ではなく人のために音楽をする。まだ満たされていない人のために新しい表現の内容があるのではないかなとふと感じました。
辞めることはいつでもできますし、音楽に刺激が必要なら旅行も必要かもしれませんね。
拝読させて頂きました。
あなたの今の心境を伺いました、そうですか音楽や表現活動をこれからどうしていくかお悩みなさっておられるのですね。
その道を志すことはそれぞれの人の生き方ですから他人がとやかくどうこういうものではないかとは思います。
あなたが今満たされて生きている中で表現していくことに新たな意味や目的や希望を見出せなくなってしまったのであれば、しばらくは表現活動なさらなくてもいいのではないかと思います。
あっさりやめてしまうのもさみしいかもしれませんけれど続けていく為にはそれなりのエネルギーは必要ですし、それだけの時間を割いていかねばならないでしょう。
一度やめてみてあなたがこれからどう生きていきたいのかをこらからの人生の中で見つめていくのでもいいのではないかな?と私は思います。
少し離れてみるとやはり自分にはそういった表現することが必要だと感じるかもしれませんし、新たに心の中から沸き起こってるく表現することへの渇望も生まれてくるかもしれません。
それは予測することはできませんけれどもいずれあなたの人生のターニングポイントであふれ出てくるのではないだろうかと思います。その時には今までの表現とは全く違った表現方法であったり感情だったりスタンスだったり訴える力が出てくると思います。
いずれにせよあなたは今もあなたの人生をアクティブに生きています。そしてこれからも様々なものごとや出来事を体験する中で様々なことを表現してきたいとお感じなさると思います。
あなたの大切な人生ですからどうかこれからの未来をじっくりと見据えていきましょう、そして悔いのない人生を歩んでいきましょう。あなたを心より応援していますね。
Kousyo Kuuyo Azumaさま、
邦元さま、
ご回答をいただいてからお時間が経ってしまい、申し訳ありません。
その間、目の前のことに慌ただしくしながら自分の人生について日々考えていたら、気づいたらこんなに時間が経っていました。
きっと人生とはこうした感じで、目の前に集中していくことで道が開け、そして気がついたら死んでいるのかもしれません。
今幸せだからこそ、この幸せがいつまでも続くわけではないとわかりながらも、その幸せがなくなることの恐怖や不安に苛まれていたのだとも思います。幸せを手に入れたからと言って、そこから何もせずずっと幸せであるはずはないから常に手入れをしていくのが、人生の厳しさであり楽しさなのでしょうか。
そうした不安が現状なさそうに見える友人たちが羨ましく見えますが、お互いに人生何があるか誰もわからないですよね。
まだまだ迷いながら、生きていることに感謝しつつ芸術を続けてみようと思います。なんとなく、お坊さんの生き方は非常に芸術的だなと最近思います。今一瞬を精一杯生きて表現していることが、まさに共通しているような気がします。ありがとうございます。