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悟りや天国に優しさは必要ない?

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仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。

酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。
(実家は浄土真宗です)

などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

2023年2月23日 5:28

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を忘じきる

優しさとはなんでしょうか。
歴代の祖師と呼ばれる悟りの方々は、法によって生かされているので、人の都合で物事を見ていません。だからこそ人間にとって都合の悪いこともいうのです。
真理とは人間にとって心地よいことばかりではないですから、怒ることも悲しいことも含めて受け入れる。ただそこを握らないことです。だからこそ人を赦すということができるのです。

優しさのなかに我慢があったり、本音と違う嘘があると苦しいでしょう。それは握っているからなのです。

それを手放した真理に安住して生きていることで、周囲の人を導きたくもなるのです。理屈でない働きをしている事実を示すことで、気づかせてあげたいと思うのでしょう。

そこの慈悲に気づけた人が救われるのです。心地よいことだけを求めていると、都合に流され、いつまでたっても救われないのですね。

2023年2月23日 7:19
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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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仏教にも慈悲の視点はありますよ。

さらにいうなら、他者への優しさより自分の悟りに関心が高い存在は阿羅漢。
他者への布施や回向を優先されてるのが菩薩。

仏教の礼拝対象になってるのは菩薩です。

冷淡というのはあくまで、他者が感じる印象です。
わたしは冷淡というより他者より自身を大切にしてる人という視点を持っています。

イスラム教の教えも素晴らしいと思いますが、浄土真宗のお経、読んでみませんか。
他者を救わなきゃ一人前の如来と言えないから頑張るよと宣言している阿弥陀如来を冷淡と扱うのは、阿弥陀如来ちょっと可哀想。。
と思いました。

+++
三部経見てくださりありがとうございました。

浄土真宗十派で構成している真宗教団連合の憲章には目的として
世界平和の推進と人類永遠の福祉への貢献が謳ってあります。

ちょっとのお経で変わるほど世界は生優しくないですが、これ以上の悲しみが広がらないように私も地味ながら活動してます。

聖火さまの人生を陰ながら応援します

2023年2月23日 8:05
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有り難し
おきもち

自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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質問者からのお礼

質問の追記です。大切なのは何を伝えるかではなく、伝え方だと思います。イエス・キリストの「自分を低く控える者こそが最も偉い者である」というような言葉に習うならば、「この聡明な俺がバカなお前に教えを施してやろう」というような人が聡明だとは思いません。もし人を見下して傲慢な態度を取る者でも知識さえあれば偉大ならば、自分はイスラム教の方が合っているかもしれません

ありがとうございます。阿弥陀如来は、私は尊敬しています。私も阿弥陀如来のように、全てを救うお手伝いをしたいと思っています。浄土に生まれて阿弥陀如来の部下になって、浮かばれない魂などを救うお仕事ができたら、どれほどよいだろうといつも思っておりました。浄土三部経、素敵なお話ですよね。大好きです。

お坊さんの皆様も永遠に幸福でありますように

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

有り難し有り難し 21
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悟ると諦めるの違いは何か。

質問失礼いたします。 行く先先で虐待、人間関係、ブラック企業と色々ご縁が続く私でございます。 代わらず嫌な出来事は多く目の前にあり、 夕飯の支度をしながら 疲れたな、死んでやろうか。 などと思うこともありますが、 まあそれも無駄だな、と思いながらなんとかストレス回避をしながら楽しみをみつけて毎日過ごしています。 過去のトラウマはだいぶ歳のせいか痛みを覚えてくる事は減り、まるで他人の事のようになってはいますが、周りを助ける経験や知識として生かす事が出来るようになってきています。 そんな最近の趣味が、 人と議論することや、 思考実験的な小説を書く事なのですが、 仏門を題材に小説を書きたく思い、 悟りと諦め、 または悟りとは何なのか、が気になっているのですが、説法頂くことは可能でしょうか? 仏門が目指すところは、 楽しく生きて死ぬための基本的な知恵だと思っています。 本を読んだりしてはいるのですが、 お恥ずかしながら、今回書こうとしているのは家が寺の為そのまま住職を引き継ぎ、 まだ自分の目指すものの先が見えず悟りとは何かと悩むおそらく浄土真宗の僧侶の話です。 (浄土で救われるなら、生きて頑張る必要はないのでは?ととんだ浅はかな考えを持っている、若い住職です。) 寺を訪れにくる人たちの過去の虐待経験や家庭の問題を受け身で聴き、俗世を憂う話です。 お坊様達は、痛みだらけの世の中をどうかんがえていますか? 痛みばかりでも、人生捨てたもんじゃない、と思いますか? できれば、このような経験を自分がした事がある、というお坊様のお話もきければと思います。 過去の事は過去、自分も他人も許し前を向く、というようなことをしてみても、やはり古傷はいたいです。 悩みではなく質問になってしまい申し訳ありません。 宜しくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ