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瞑想をやる気が起きない

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有り難し有り難し 21

タイトル通りですが、やる気の波がありましてどうしてもやる気が起きない、少々の良い波が来て瞑想を始めるが全くもって集中力がない。

強引に始めて押さえつけると自我が暴走する。瞑想が実にくだらないものに感じてしまう。

しかし次の波が来るまで待てば良いと考えてますので後は仏道の習慣化ですかね、特に問題視してませんが何かご指摘がありましたらお願い致します。

真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。
よろしくお願い致します。

2023年3月9日 16:19

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出来ないと思わずに、少し離れてみるのも気がラクかもしれません

プロフィールや今までの質問も読ませてもらいました。瞑想を続けておられるとのこと、その変化や効果はありましたか。

信じてやっていくのもいいと思いますが、こうもヤル気が起きないときは、基本に帰るといいますか 今一度 方法の確認が必要かもしれません。
長く続けていますと、その慣れで型が崩れてしまっていたり、環境を整えずに始めてしまっていることも。

やる気が起きないときは、やりたいと思えないときですから。出来ないと思わずに、少し離れてみるのも気がラクかもしれませんよ。

2023年3月10日 12:12
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

中田 三恵さま

素晴らしいお言葉ありがとうございました。

瞑想での効果と変化ですがかなりのブレが起こっておりますのでメリット(少)リスク(大)といったところです。指導を受けてはおりませんので環境が整うまで取りあえずの瞑想となってしまってます。

お言葉を受け今一度瞑想を見つめ直してみます。

現在瞑想を一時中断し、脳科学研究チームが開発したイメージトレーニング法(実践3年目、瞑想2年で中断。)と仏教の三学を実践しておりますが、10数年ぶりに症状が軽快致しました。本投稿の件に関するこのお言葉で本当に地獄のような日々が変わりました。改めてお礼を申し上げます。瞑想はもっと整ってから実践しようかとおもいます。
また、当コメントを見て同じような方々への何かご参考となればと思います。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ