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精神的に辛い時のヴィパッサナー瞑想

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有り難し有り難し 10

独学でとりあえずの慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想をしてますが,よく気分が落ち込みます。
私はコミュニケーションに問題があり人間関係がうまくいかないため、特にガクンと落ちた際にSNSや人間に過剰依存し悪循環に陥りどん底(酷い体のだるさ、微熱)まで気分が落ち込みます。
まず日々の瞑想を充実させる事は大前提ではありますが、上記のようなメンタル的などん底状態の際に行うヴィパッサナー瞑想は「精神的に落ち込んでいる」というフレーズで客観視したらいいのでしょうか。

全くもってやり方が間違っている場合もよろしければ他の方法などありましたらなんでもご教授ください。
どうぞよろしくお願い致します。

2022年4月16日 17:37

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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使い分け

ヴィパッサナーは、まず、心身をリラックスさせてから行います。トイレを済ませ、空腹でも満腹でもなく、なるべく静かな環境を選んで、どっしりと座る、三時間でも四時間でもそのままいられるような状態を作ってから、心の中は、欲も怒りもとりあえずない状態にして、始めます。
 つまり、プラスマイナスゼロからプラスを目指すのがヴィパッサナーです。ある程度熟練してから、日常生活でも「今は落ち込んでいるので、落ち着こう。しかも仕事はある。やるべきことは、これとこれとこれ。あれとそれは後回し。これ、これ、これ」などとテキパキこなせるようになります。
 マイナスをゼロに戻す、それ以上に上げたいときは、ヴィパッサナーよりまず慈悲の実践です。自分が幸福であることが何より先です。具体的なことを考えずに、どうせ気分はすぐに変わりますから、ただ、幸福であるように、と念じます。集中します。それから他の生命、一切衆生の幸福も念じます。
 慈悲の実践で気持ちが暖かくなってから、ヴィパッサナーをやるとよいです。心身を昔のエンジンで例えれば、まず暖機運転してスムーズに回るようになってから発進する要領です。

2022年4月17日 7:52
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

藤本晃(慈照)さま
お坊様方からのありがたいお言葉身に染み入ります。しかもここまで具体的に実践のお言葉を頂けるとは思っておりませんでした。ありがとうございます。

慈悲の瞑想を甘く見ておりました。

まだアマチュア瞑想で歩く瞑想すら習慣化されていないので、座る瞑想は初めてすらおりません。

今が辛く気分はそのうちすぐに変わるというお坊様方からのお言葉ですら頭から居なくなっていた模様です。

素人ながらお坊様方に少しでも近くありますよう性根を叩き直すべく、精進して参ります。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ