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煩悩とは

回答数回答 1
有り難し有り難し 2

煩悩を消そうとしたり
見ないふりをしようとしたりしてきました

良くない言葉や
良くない出来事
黒いものを見た時に
自分の中にある悪の感情に
蓋をしようとしたり
見て平気になろうとしたり
でも見ていい
見て認め
聞いて見て感じて
考えて感情にのまれない
心配は仕事のようにやってくるけど
見守り乗り越えてゆく
全てあって良くて
ありのままを
愛する事
今にしか気付きは来ないこと
全ては宇宙の采配
安心していなさい

煩悩とはこれを知るためのものでしょうか?

2023年5月20日 16:13

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

消せないものですね

拝読させて頂きました。
あなたの思いやお考えや心がけておられることを読ませて頂きました。
あなたがその様にお考えなさっておられることとてもわかる様に感じます。
あなたが煩悩をどうすればいいのかと思われるのは極めて自然なことだと思います。お気持ち心よりお察しします。
煩悩つまり私達の迷いや悩みや苦しみやむさぼりや怒りや憎しみや愚かさは消そうとしても消えるものではありません、なかったものとすることも見なかったことにもできないですからね。
その様なことを思ってしまう私達であるということを理解していくことや受け止めていくことがとても大切なことだと思います。
あなたにも私にも周りの人達にも全てのものにその様な迷いや苦しみ堂々があるのです。
自分の心を集中して平静を保っていたとしても吹き込んでくる風の様に私達の心の中や頭の中に迷いや悩みや苦しみやむさぼりの思いがフッと入ってきますし、湧き上がってくるのです。
言わば煩悩とは私達の心の中に居る客人の様なものです。主人は私達自分自身です。
或いは煩悩は目の前にいつも飛んでくる虫の様なものかもしれんません、追い払っても追い払ってもまとわりついてくるものですからね。
あなたがおっしゃる様に安心して見守り乗り越えていくものなのかもしれませんよね。その様なお考えはそれぞれの人の立ち位置ですから宜しいのではないでしょうか。
その様な迷いや悩みや苦しみをどう受け止めて付き合っていけるのか或いは制御していけるのかが生きていく中では本当に大事なことです。

あなたがその様な迷いや悩みや苦しみと向き合いながらも毎日を心穏やかにに健やかに安心なさって生きていかれます様に、皆さんと一緒に豊かに幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っております。至心合掌

2023年5月20日 17:25
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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