hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

博愛主義でも救われますか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 15

煩悩浄化の為の仏法の信仰というのは、
結論的には、良い心を持ちましょう。
ということなのでしょうか?
だとすれば、はじめから博愛主義的に生き、そもそも煩悩封じ込めすればいいのでしょうか?
博愛主義で、十分に救われますでしょうか?

でも、これって二重人格になりそうな気もしますが。

2023年8月26日 0:48

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

博愛主義の盲点 人類のエゴ・自我・我の放置

時代は多様性、誰一人取り残されない社会の実現を目指しております。
ですが、その結果、どうか。
いくら理想だけが高くとも現実とマッチしなければその思想は改善される必要があります。
みんなが救われる社会を…!
誰一人取り残されることのない社会を…!
このようなフレーズは実に美しいです。
ですが、その一方でその隙間を狙ってエゴイズムを満たそうとする人間たちがずるがしこい手法で被害者主張マウントを取ったり、過剰な権利を要求ばかりしている。結果、国家運営サイドのサイフはどんどん抜き取られています。博愛主義だけでは何が悪いか。悪を正し、律する教導精神がない為に僧侶や宗教者たちもそういった悪徳問題の解決方法がないまま悪徳を肥やす結果を生みます。
多様性、博愛主義で難民をどんどん受け入れた結果、難民名目のテロリスト、エゴイストたちが日本に押し寄せ川口市のように治安が悪化して日本人が引っ越さなければならないような状況にもなります。
たとえるに優しくおとなしい金魚がいくら博愛主義の精神をもってもデカい魚に食われてしまう現実世界にあるのです。こちら側が悪意に利用されない姿勢を持つことがなければ単に博愛主義であればいいという思想はわが子、我が家族の安全を守れない思想となると私は以前、個人的に感じました。以来、僧侶業界の博愛的な理想は現実問題・現実社会に合わないと気づきました。つまり、ただ博愛主義・人道主義だけではなく、人の心が豊かになる❝教導精神・善導精神❞が伴う必要があると思います。
❝私は万人の友である❞
誰にでも和する精神は大事ですが、悪事をなす人間と友となれば悪事の加担。 
❝自分を殺しに来た人間と友達になる❞
他の悪をして自の浄に同ぜしめて後に自の浄をもって他を教導せしめる。
❝悪趣に赴く人間を目覚めさせる❞
人が悪事をなすのも、たまたま恵まれない環境にあったからともいえます。ですが、それをやめさせることができなければ博愛精神を主張していても、人を教導する力がない。もちろん、その精神を含めての博愛精神であればよいでしょう。
仏教では菩提心を説きますが、菩提心とは相手を自分以上の素晴らしい人に導く精神であり、すべてをよりよく導く精神であります。
よって、私のこの回答もまだまだ全てではありません。
さらによりよく進んでいく精神をアナタが持つことで博愛精神もクオリティが高まりましょう。

2023年8月26日 6:23
{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

丹下ご住職様へ
ご回答を頂き本当に有難うございます。
博愛主義の盲点 人類のエゴ・自我・我の放置のタイトルの通りでございます。
薄々は分かっていたのですが、博愛主義に振る舞う方が楽なことから易きにつきたいという甘えでございました。
私にとっては、内道は非常に難しくきついのです。
三毒旺盛な心もあれば、菩薩のような心もある。振り回される弱い自分もあれば、動じない心の時もある。
心の癖のようなものもある。
心が安定しないのです。縁に触れて穏やかでない時があり、これがきついのです。
なので、私にとっての博愛主義の考えは言わば心にお洋服を着せて心を隠すというツールみたいなものでした。
でも、これでは何も解決しない、どころか、むしろやばいですね。

菩提心→難しいお言葉です。
菩提心→これ何なのだろう。
全く分からないです。(勿論、サラッと御教示頂いておりますが、やはり、深くは分からないです)

丹下ご住職様が買いて下ったこの言葉、気になります。
今回、丹下ご住職様の今回の質問の処方箋は菩提心というお言葉を頂きました。
ありがとうございました。

追記
以前、菩提心を起こして
という言葉を聞いたことがあります。
菩提心とは誓願の言い換えであれば、
何に誓うのか、何を誓うのかという言葉ですよね。
これから、考えていきます。

ありがとうございました。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ