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自分の考え方が世間の標準と違い過ぎる

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有り難し有り難し 22

今の世の中で当たり前とされている考え方の大部分が間違いに思えて仕方ありません。歴史を見ると社会の考え方というのは変わっていくものなので、おそらく数十年〜百年経てば、現代は中世ヨーロッパの魔女狩りと並ぶ狂った時代とされて、僕の考え方が部分的にせよ正しいとされる自信はあります。ですが、今を生きる上では生きづらくて仕方ないのです。以下に僕の思想の例を挙げます。僕はどんな心構えで生きればいいでしょうか? 毎日バカな世間に腹を立てながら生きています。

・民主主義は「自分のことは自分で決める」を子供の頃から叩き込まれてきた欧米人だからできる事で、日本には合わない。政治を考えたがらず、責任を負うぐらいなら誰かの言いなりになって我慢する方を選ぶ日本人の国民性には独裁政治の方がいい。
・僕は医療職ですが、インフォームドコンセントについても同上。素人は口を挟まず、専門家である医師の言いなりになっているのが一番間違いがない。
・女性の社会進出は当の女性すら望んでおらず、働きたくない女性が多数派。なまじ女性を社会進出させるから夫婦間でも家事育児の分担などと言い出してその負担比重が不満を招き離婚の原因になる。従って、男性は外で働き、女性は家事育児に専念すべき。
・女性は理論ではなく感情で動くのだから、社会で重要な役割に就くべきではない。
・愛などくだらない。新婚気分が醒めれば愛も醒めるから、愛を根拠に結婚するのは愚か。金目当てで(というより稼ぐ能力を評価して)結婚する方がよほど健全。
・LGBTQなどアホらしい。
・された側が嫌だと感じたらハラスメント成立なんて理不尽極まりない。
・言い聞かせてもわからない子供を殴ってしつけることは許容されるべき。
・社会の変化が起きれば今は有能とされている人も無能とされる側にいつなるかわからない。ゆえに実力主義社会では誰もが安心して暮らせない。無能でも安心して暮らせる年功序列と終身雇用の社会に戻すべき。

2023年6月30日 23:21

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

概ね同意します。心配は無用でしょう。

思想の根幹として、私はあなたに共感を覚えます。
端々に違いはあるでしょうが、まあ、おおむね同じようなことを考えています。
確かに生きにくさを感じないこともありません。

しかしご安心ください。
あなたが言うように、歴史の流れの中で思想は変遷していきます。
それはなぜなのかを説明します。

いつの時代も最先端の思想は『繁殖に滅茶苦茶不利』です。
むしろ賛同する人間を絶滅させるための思想なのではないかと疑ってしまうほどです。

古代ギリシャで哲学に打ち込んだ者はその多くが独身のまま死んで遺伝子が淘汰されました。
中華で科挙に通るほど勉学に通じた血族の多くは王朝が滅びると運命を共にしてきました。
軍国主義を唱えた者たちはその多くが戦場で命を散らします。

なぜ思想が変遷するのか。
それは担い手が残らないからです。
その証拠に、その思想の中で担い手を再生産させるイスラム教やヒンドゥー教は古来の形をよりはっきりと残しています。
日本の“家”という形が圧倒的少数であったはずの武士階級で長い間存在し、今でもその残り香がある程度には存続したのもまた顕著でしょう。

これは現代の思想も同じです。
女性の社会進出は出生率を下げます。
LGBTQはそもそもの数が少なく、その間に子供を持つには現在のところコストが非常に高いです。
同意すればするほど、同意する人間の遺伝子を減らすという罠です。

ハラスメントも、長い時間をかければハラスメントに強い人間が社会の上層部に残っていく仕組みは変わらないでしょう。

この様に、本当に生物として、人間として、社会として合理に則っているならば、駆逐されることなく再生産され、未来に繋がります。
産業的にも生物的にも再生産を阻害する思想がどうなったか、社会主義を見れば明らかではないですか。

しかし、社会主義が一時期であれ隆盛し、世界の半分を支配したのも事実です。
その間、社会主義の欠陥を見抜いた人々は忸怩たる思いだったでしょう。
とどのつまり、世界とはそういうものなのです。
人間は愚かで、間違える生き物です。
もちろん、自分を含めて。

心構えとしては、人に期待しすぎないことです。
穏やかに、なぜその思想に浸っているかを観察してください。
思想に手を出すなら、そう言う達観も同時に手に入れないと、後々精神をすり減らすことになってしまいますから。

2023年7月1日 11:00
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有り難し
おきもち

けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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腹を立てて、収まったら実現できることを探す。

 こんにちは。あなたがどんな人生を送ってきた(あるいは学習してきた)ことを契機に、そのように仰っているのかは分かりませんが、非常に多岐に渡りますね。
 そういったものを、個人レベルから政治レベルまで、まずは色分けされてはいかがでしょうか・その上で実現できそうなものから手をつける。
 個人レベルのこと…例えば家族観。政治が家族の「一般的な」形を規定するなんておかしい!と私は考えますが、そうであっても自らの家族については自分の価値観に合うお相手を探し、家庭を作っていけばいいのです。…あなたはこの点、「イヤ生活力で判断すべき」とおっしゃるかも知れませんが。
 ただ、これにしても「今は稼げているけれど将来どうなるか分からない」ことを重視するならば、「やっぱ愛情?」という思考実験をするのも悪くないのでは?
 次に集団とか社会のレベル。「女性は感情で動くので」というのがあなたの価値観ならば、あなたの任用責任が及ぶ範囲ではそれを全うすればよいと思いますよ?「社会で」を実現したいなら、あなたがその地位につけばよい。
 さて、そろそろお分かりかと思いますが、「あなたが独裁者になる」というのがあなたの腹立ちを根本的におさめる方法です。しかも革命とかではなく、今の社会の手続にのっとって、その座を手に入れなければならない。
 あとね。
 あなたがこんな風に自由に考えたりものを言えるのは、民主主義の恩恵でもあると思いますけど、どうですか?

2023年7月1日 11:00
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

>佐藤上人

お久しぶりです。また回答をいただけて嬉しいです。
釈迦に説法ではありますが、仏教では因+縁=果という鉄則がありますね。僕がここまでの思想を持つに至ったには、その原因(縁)があります。その点を、「あなたがどんな人生を送ってきた(あるいは学習してきた)ことを契機に、そのように仰っているのかは分かりませんが」と一定の理解を示してくださったことを大変うれしく思います。
ご存知の通り、僕も佐藤上人と同じ宗門を戴いていますので、自分が民主的手段で独裁者になるよりは、こんな愚かな穢土には何も期待しないという厭世的な気分になることの方がずっと多いです。

>けいじょう上人

巨視的な視点からのお話、大変ありがとうございます。まるで司馬遼太郎のエッセイを読んでいるような気持ちになりました。
そして、このような尖った意見に実名で賛意を表してくださった勇気にも敬服します。

論旨の趣き、スカッとするのではなくじわっと心に染み入って納得ができました。ありがとうございます。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ