性欲とどのように向き合えば
このような質問をしてよいものか迷いましたが
悩みが深まるばかりでしたので、質問することにいたしました。
本当に汚い文章で申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。
お坊さんは、煩悩である性欲とどのように向き合っていらっしゃいますか?
私は大変悩んでいます。
大学生になってから1人暮らしを始めて性欲が強くなってしまい
2、3日に1度は自慰行為をしてしまいますし、
アダルトビデオ(AV)もみてしまいます。
しかし、人格形成のうえで良いこととは思えません。
できることなら自慰もAVもやりたくも、みたくもありません。
にもかかわらず、自然と性欲が湧き上がってきてやってしまいます。
このままじゃ駄目だと、ひたすら自慰やAV鑑賞を我慢したこともあります。しかし、寝れなくなったり、学業に集中することができなくなりますし、我慢することも違うように感じています。
それでいま、
「人として道を踏み外さないようにするために、性欲とどのように向き合えば良いのか」
ということで悩みが深まっていました。
そこでお坊さんにご意見をいただこうと思って質問いたしました。
人として道を誤らないために
・自慰行為はやめるべきなのか
・アダルトビデオをみることはやめるべきなのか
あとは自由に性欲についてお答えいただければ幸いでございます。
ご指導のほどよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
性欲はあって当然。それが人です。
悶々として何も手につかなかったり、また、人として道を誤りそう(性犯罪に走りそう)なら 、自慰行為はすべきでしょう。そのためにアダルトビデオを観ても良いと思っています。
確かに自慰行為には後ろめたさが付きまといますが、私は男の生理だと、単なる排出行為だと割り切っています。溜まったウンコを我慢できないように、溜まった精液を出さなければならないのは、身体のためであり、ごく自然な事ではないでしょうか。我慢してイライラしたり夢精してパンツを汚すくらいなら、さっさとスッキリして学業等に勤しみましょうよ。
性欲は悪ではありません。そこに恋愛など人間関係が絡んでくるのであれば話はややこしくなりますが、個人的な自慰行為のことであれば、人格形成とは全く無縁であるとお思いください。
意識次第で、聖欲にもなり、排泄にもワイセツにもなる。
❝聖欲❞となすべし
性欲は持って生まれたものですから否定すべき事ではありません。
性欲は男性女性にとっては当然のものですし、用い方を誤らなければ生命の誕生につながる聖なる欲、聖欲・生欲ともなります。
肉を食べると性欲が高まるということを聞いたことがあります(定かではありませんが)。
性欲あっても、これはイケないんだ、煩悩なんだとか、問題にしないこと。自分を責めないことです。
むしろ、もともとそなわっているものを毛嫌いしたり悩んでいることの方が煩悩なのですから。
コンビニにいく度に思うのですが、どこのコンビニに行っても必ず男性向けのアダルト雑誌コーナーがありますね。
かれこれのスペースをしめていますが、性欲を聖なる欲から卑猥・ワイセツなものにどんどんランクダウンさせてしまうも人間です。
ですが、そういうものが無ければ性犯罪も増えるでしょう。
美術館で裸の女性にムラムラする人はいないでしょう。
そういう美的表現としてのものとして多くの人が認知しているからです。
反対に美術から卑猥度を高めていけばワイセツになるのです。
女性の裸も男性の裸も、意識次第で芸術にもなれば、ワイセツ物ちんれつ罪にもなるのです。
意識次第、です。
性欲について
namunamu様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
以前に自慰行為につきまして、下記の問いを頂いたことがあります。
問い「我慢」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003003695.html
自慰行為は、一つの生理的に大切な機能でもあるため、極端に自制する必要はなく、適宜適切に行うというのが大切となります。
「・・普通に人間の持っている生理的な機能、生殖的な機能を否定することは、人間の種の存在意義、自分自身の存在意義を否定してしまうことにもなりかねないため、それは良くありませんが、あまりに何か依存的に極端に陥ってしまっているとすれば、何らかの問題が発生している可能性が高くなりますので、そこは気をつけなければいけないのではないかと考えております。・・」
また、仏教では、欲望・煩悩を悟りへと向けた善い力へと転換を図ろうとするところもございます。
問い「仏教との出会いについて」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002945537.html
「・・密教においては、そのような感情(愛欲など)を悟りへ向けた力と変えようとすることもございます。下記はその一端の参考例となりますが、解釈には非常に慎重さを要しますので注意が必要となります。世間一般における認識・通説・真理(広義の世俗諦)などにおいて、その内容を捉えようとしますと、とんでもない間違い・過ちを起こすことがあるため、このことは十分に前提として踏まえておいて下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/理趣経
http://ja.wikipedia.org/wiki/愛染明王
・・
「欲」については、無いと生きていけなくなるものでもあり「絶対に無くさないといけない」とまで強く思う必要はありません。私たちも菩提心(悟りを求める)という欲や、一切衆生を救えるような存在となりたいという欲がないと仏道を歩むモチベーションが保てないものでございます。
要は、悪い欲と善い欲を見極めて、善い欲を増幅させて、悪い欲を抑えていけるようにしていくことが大切になるのではないかと存じております。
川口英俊 合掌
邪淫は十悪の一つです。
仏教では性欲に溺れることをよしとしていません。
キリスト教のように自慰行為を直接的に禁止をしていませんが、性交渉を絶つことが出家者であり、仏道を歩む行者であります。
仏教者の「修行」とは、期間が限定されるものではありません。
言うなれば、仏になるまで修行は続くのですから、「性欲はあっていい」というような思考は到底許されません。
性欲は煩悩の一つです。
失くさなければ仏にはなれません。
人間であるからには性欲がついてまわります。
アダルトビデオを見て自慰行為をすることは、道徳的にも全く間違っていません。
むしろ健全であると言えます。
しかし、人間として健全な生活をしていては、六道に落ちるという教えが仏教です。
回避するには仏にならなくてはいけません。
それぞれの仏になる方法を説いているのが各宗派です。
性欲を制さなくても仏になれる道もあります。
是非、仏法を聞くご縁にしてください。
この本をオススメします
質問者からのお礼
ご回答ほんとうにありがとうございました。性欲は抑えてもイライラしてつらいし、かといって自慰行為をするとまた後悔するといったように、どうしようもない状況になっていました。だいぶん気が楽になりました。「セクシィ仏教」も今度購入してよんでみようと思います。
意識次第で、芸術にもわいせつなものにもなる・・・
ほんとそのとおりだなと思いました。
ありがとうございました。
性欲に関して悩んでいたことから、仏教に出会うことができました。今回のご縁を大切なものにしたいと思います。ありがとうございました。
善い欲を増幅させ、悪い欲を抑えていくことが大切というご指摘
ほんとうにそうだなあと思いました。
自分の欲は善いものか、悪いものかの見極めが大切ですね。
ありがとうございました。