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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

2022/08/23

戦う意味とは?

先日、NHKで『戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜』という番組が放映されていました。 日中戦争、太平洋戦争の戦時下の動員に仏教自らも(当番組では対象を同派としていましたが、国民総動員法の元ですので宗派に関係はないと思います)戦争に加担してしまった、その実態を取材した内容でした。 77年前のはいえ、生々しい出来事の記憶です。 一方、日本史という仏教が伝来し、今日に至るまでの長い目で見たとき、お坊さんはある時、僧「兵」でもありました。また、信仰のため、民衆のため、中々アグレッシブな姿になる事もあったと思います。 私は、仏教については高校の教科書程度の知識しか持っていませんが、印象としては「穏やかな宗教」といったものです。 例えば、キリスト教やイスラームには「聖戦」という教義がありますよね。 では、仏教ないし仏教徒が「戦う」とき、戦いを「是」とする考え方はあるのでしょうか? もちろん、それぞれの事象の背景には「そうなる経緯」があります。ですので、一概には言えないと思いますが、こんな考え方、こんな教義があるというものがあれば、宗派関係なくご教示願いたいです。 あと、これは愚痴?ですが、いつも戦時下の鉄の供出にはがっかりします…お寺さんの鐘もさぞかし由緒があったろうに…。 お忙しい中とは思いますが、ご回答をよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 20
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2022/07/29

生きている人への「回向」と、私の仏教観

 いつもお世話になっております。このほど、私の尊敬している 学者の先生が、てんかんをお持ちだということがわかりました。 先生は、お仕事で危険な薬品をお使いになります。万が一の事が、 非常に心配です。  そこで、休日に酷暑の中スーツを着て、たくさんお寺や神社を回り、 先生をお守りくださいと神様や仏様にお願いをしました。営業さんの ようです。  ちなみに、私は本来、願い事が嫌いです。願掛けや縁起物、 お守り等に依存するのは本来の仏様の教えからは逸れる (親鸞上人の「正像末和讃」に、とても共感しました)、仏様の 教えは、「ヒト」をバックアップし、パフォーマンスを引き上げて くれるもの、「お見守り」だと考えているからです。  巷で妄信されているような、「拝んでいれば大丈夫」ではないと 考えています。  大学入試に例えると、受けるのは自分、周りの方は、叱咤激励、 応援してくれるだけ。それが受験生さんの大きな支えとなりますが、 「私が代わりに受けてあげる!」まではいきませんよね。  なので、自分が試験を受けたり、自分の障害の寛解について などの願掛けはしたことがありません。お守りも、持っていません。  護摩札はありますが、それは、「本尊」として拝んでいます。 ちなみに願意は、「御礼」です。  回向というと対象は死者、というイメージでしたが、法話で 「自分以外の生きている人を守り給えと祈ることも、回向に入る」 と伺った気がします。これには、なるほどと思いました。  しかし、若干「願い」にも入る気がするので、願った後は、 現実的な事をしようと思いました。例えば、 ・先生は動画配信をなさっているので、動画を拝見する ・ご自身のホームページでアフィリエイトもなさっているので、 ページのリンクからサイトにアクセスし、その商品を購入する ・てんかんについて勉強し、応急処置など、理解を深め、いざと いうときに行動できるよう備えておく  仏教は「神秘主義」ではなく、「現実重視」と思って、「相手を苦から 遠ざけ、楽を得る一助となる事をする」「自分のためには、正しく事物 を見極め、邪見に惑わされぬよう努力する」これが、私の仏教観だと 思っています。  長くなりましたが、私の回向、仏教観について、先生方のご高見 を賜りたく存じます。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2022/07/09

餓鬼のような人

昨年に続き、今年も餓鬼についてご相談させてください。 今年実父が亡くなりました。問題は母、叔母、墓のある在家団体です。 母は自己中心的でお金に執着し、他人の悪口で自分が優位に立つことばかりいい、また他人の財産を狙ってばかり。母方祖母の相続では叔父と相続トラブルを起こし絶縁状態、私や父との生活でも自分が優位なようにと常に画策。父の葬儀後は、遺産相続に奔走、四十九日も行わず、遺産はほとんど全て母のものにして、さらに私の夫の遺産や収入等も当てにした生活を要求、私ともトラブルになっています。 私が何か言えば、「私は母親なのに」「あなたは冷たい」と逆切れ、不法侵入を繰り返す等犯罪めいたことも。知らない人には都合のいいことを言うなど、人格障害レベルの自己愛です。 叔母は父や私が在家団体と一定の距離を置く(叔母の信仰の仕方に従わない)ことに不満があるらしく、父の葬儀に戒名はつけない、墓にも入れない等と言い出しトラブルに。夫の納骨、三回忌についても、納骨法要だけで三回忌法要はなしと決めてきました。元々在家団体の活動で勝手に父や私の名前を使ったり、金銭トラブルを起こしています。在家団体の方も叔母に都合のよい対応で曖昧にする部分があります。 亡父は、在家団体の信者である祖母、叔母が家族を放り出し、開祖等への供養に熱心である様子に対し、家族に対して最低限の対応はすることと供養の対象は三界萬霊の方と私に言っていました。 お墓は私の方で維持するため在家団体との最低限のお付き合いはしますが、夫の三回忌法要を断られたこともあり、今後、身延山で本願人として夫と父のお位牌を立て、ご供養は移すつもりです。また、このお盆にあたり、身延の方でお塔婆供養を申込しました。 以前にご相談した際に「触らぬ餓鬼に祟りなし」「人の振り見て我が振り直せ」「「善導の精神」こそが菩提心なのであり、衆生済度の精神」とのご回答をいただきました。 仏教的に母、叔母、在家団体に対して今後どう対応すべきか、他にできることがないか、ご意見をいただければと思います。また、日蓮宗の信徒というわけでもなく身延山にお位牌を立てる形になるので、日蓮宗の方からのご意見もいただければと思います。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1