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「供養」を含む問答(Q&A)一覧

分骨に対する抵抗を無くすにはどうしたらいいのでしょうか

亡くなった父のきょうだいから、浄土真宗の本山へ喉仏を分骨するよう強制されているのですが、心の中ではしたくない気持ちが強く、辛いです。 遺骨は亡くなった父ではなく魂はそこに宿ってるわけではないということはわかっているのですが、ふとした瞬間に、実家近くのお墓に遺骨すべてがいてほしい、という気持ちがわきだしてきて、どうしようもなく悲しいです。 今まで数ヵ月は、遺骨は実家にあり、なんとなくまだ実家には父が変わらずいてくれている、という感覚でいました。ですが、納骨と、分骨のための遺骨を取り分ける日が迫ってきており、いよいよ父が実家からいなくなってしまうような感じがしており、その影響もあって辛さが増しているような気もしています。 また、インターネットで、喉仏は特別というか、遺骨の中でもメインの部分だということも見かけ、そんな大事な場所がそう簡単に行けない場所に連れていかれてしまう、ということも辛いです。ずっと地元のお墓にいてほしいと思ってしまいます、、、 分骨するよう言ってきている父のきょうだいは、本山に近いところに住んでいるので、分骨してお参りしたいのだと言っています。 その気持ちも解るので、私のこの気持ちはわがままだと思いますし、遺骨や喉仏に執着しているようであまり良くない気もしています、、、 が、どうしても遺骨が遠くへ行くことが辛くて悲しくて、ふと、遺骨を隠してしまいたいとか、本山への分骨の時に遺骨を持って逃げてしまいそうだとか考えてしまいます。 また、この親戚が、これまで母に嫌味などひどいことを沢山言ってきた人間なので、好意的に見ることができないというのも大きいです。 分骨しないというのは不可能なのでどうにか心穏やかにいたいです。 どうかお知恵をお貸しください。よろしくお願い致します。

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檀家でない場合、お経をあげていただくことは難しいでしょうか?

初めて質問いたします。何かアドバイスいただけたらありがたいです。 <背景> ・宗派:学会系(ただし熱心ではなく、父方祖母の代に親戚付き合いから宗旨変えしたと聞いています。どちらかというと宗教に関心の薄い家です)。 ・父方親戚は学会系の方が多く、これまでお葬式をあげる際は「友人葬」として親戚の方に題目?を読もらっていました。 ・父が一人っ子で祖父母も亡くなって時間がたっているため、父方親戚とは疎遠気味です。 ・祖父母のお墓は地域の共同墓地(宗派がないところ)です。 <相談内容> 先日弟が事故で無くなりました。少し普通ではない亡くなり方(犯罪等ではありません)だったため、疎遠気味だった父方親戚には知らせず、ごく身内だけで葬儀を行いました。 数か月たちそろそろ納骨を考えているのですが、納骨時にお経をあげていただく伝手がありません。父方親戚にお願いすればあげてもらえそうですが、事情により伝える予定はありません。 できたら宗派の近い日蓮宗系の方に、納骨の時だけ立ち会っていただきたいのですが、何か方法はないでしょうか? お墓近くの日蓮宗系寺院に相談したところ、檀家になることをすすめられました。ごくまっとうな意見だと思うのですが、すぐには踏ん切りがつけられず家族で悩んでいます。

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ちゃんと供養出来ている?見返りを求めていることになる?

お坊さんのご意見をお聞かせ下さい。 数年前に祖父が亡くなり、親戚のおばちゃんと話していた時のことです。 そのおばちゃんは、「自分自身もいつかあの世に旅立つ時が来る。その後も残った家族にしっかり見てもらいたい(供養してもらいたい)から、今しっかりとご先祖様の供養をしている」と言っていました。 それを聞いた私は、独身で結婚の予定も全くありませんし、このまま天涯孤独になる可能性もないとは言えません。なので、例え自分が独りで息絶えたとしても、「その後を姪たちに見てもらえたら・・・」「供養するという姿勢をしっかり見て覚えて欲しい」と同居こそしていませんが少しでもその姿勢を見せたいと毎朝のお仏壇にご飯を供えることを買って出ました。 もちろん母の家事を軽減させたいという理由もあります。 うっかり寝坊してしまった時や、家の別の用事をする時などは母と交代してやっています。ご飯が残っていたとしても、毎日お供えする分だけのお米を研がないといけないので、体調が優れない時は正直なところ、面倒だなと思ってしまうこともあります。ですが、私が今存在するのはご先祖様があってこそ。自分だって毎日お腹を空かせて食事をするわけなのだから、ご先祖様だって同じと言い聞かせ、今も続けています。ちゃんとやっているでしょ!と、つけ上がっているつもりは一切ありません。 もちろん、日々見守って頂いているという感謝もありますが、既にお話した通り、将来自分が生命を全うした後、残った家族に見てもらいたいという気持ちがあるのも事実です。 果たしてこれは見返りを求めているということになるのでしょうか? ちゃんと供養出来ているのか心配になってきました。 どうかご見解をお聞かせ下さい。

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2023/01/11

お墓はあるけど納骨できない

いつもありがたいお言葉、ありがとうございます。 母方の祖母が亡くなりもう12年ほど経ちます。未だに納骨できず申し訳なく思っています。祖母は私の母より長生きし、105歳で老衰で亡くなりました。檀家であり、お墓もあります。私の父も母もお墓に入っています。しかし、祖母は長生きだった為、晩年は自宅を売却して施設に入った為預貯金がほぼなく、自身も『知り合いもいなくなったし葬式はしないで』と話していたのでその通りの直葬にしました。ところが、お寺の住職から『本寺で葬式をしなかったのだから納骨はさせない』と言われ、確かにそうだったのだと思い、自分が悪かったとは思うのですが、こんなにも長い間、納骨せず祖母もどれほど私を恨んでいることか。 当然戒名もなく、『長年本寺に施しをしてくれたのにかわいそうではないか、今なら特別に30万円で葬式、戒名もつけてあげます』と言われました。 私は一人娘で、祖母の死去後は夫からのモラハラなどで弁護士を立てたり、子供達がコロナで職を失ったりでとても生活が苦しく一時、生活保護を受給、国からの借金もあり、返済が始まっています。 もちろん、大切な祖母、納骨してあげなくては、と思うのですが、手元に置いておくことは成仏できていない、不幸に陥るのでしょうか。因みにここ数年優しく変わって祖母の納骨も気にかけてくれた夫も昨年急逝しました。まだ若くして亡くなってしまったのも、祖母の納骨をしなかったせいでしょうか。これからなんとしてでもお金を貯めてこのお寺に納骨するべきか、自宅に近いところに改葬すべきか、どちらにしても経済的に行き詰まっており、かと言って保護を受けるほどの貧困でもなく…。どのようにこれから供養していったら良いのでしょうか。

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愛犬の死について

愛犬の死の受け止め方を教えてください。 昨日10年7ヶ月一緒に暮らしていた愛犬のポメラニアンが旅立ちました。 数日前から元気が無く、食欲もない状態で心配になり動物病院へ行ったところ、血液検査はできず皮下点滴のみで帰りました。 帰ってからも脱力で横になっており、日付が変わる4日の2時頃腕の中で息を引き取りました。 1年前に血液検査で腎臓の数値が少し高いと言われ、その後経過観察でしたが、体重減少に気づかず、おそらく進行していたのだと思います。 どうして頻繁に病院へ連れて行かなかったのかと、自分を責めております。 それ以上に、愛犬との生活では私の出産、育児に追われている中で少なからずスキンシップが減ってしまい、寂しさからのストレスもあって、弱ってしまったのかなとも思います。 出産前は、国内旅行に連れて色んな景色を見せてあげたり、家で過ごす時には膝の上に置いてあげてました。環境の変化に戸惑いがあったと思います。 亡くなる少し前から、寂しそうにクッションに寝ていた姿が忘れられません。 闘病することもなく本当に飼い主孝行の愛犬で、最後看取ることができましたが、気遣いすぎる愛犬は本当に幸せだったのでしょうか。 教えてください。

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三人目の子供を中絶してしまいました

私には愛する子供が2人います、夫も私と子供を愛して大切にしてくれ、幸せいっぱいでした。 子供は2人で、3人目は考えられないね、と話していた矢先の妊娠でした。 病院で妊娠が確定しますますパニックになってしまいました。 とにかく不安要素しか頭に浮かんできませんでした 私自身の体調の事、ほとんどワンオペ育児だった事、時期的な状況、なによりまだまだ小さくママっこで抱っこの取り合いばかりしている2人の子供に寂しい想いをさせてしまう 様々な不安要素を頭で積み重ね、苦しくて苦しくてどうしても産む決心が出来ず、夫と母と話し、中絶をしました。  手術が終わって次の日から後悔が止まりません。 何故あんなことをしてしまったのか、お腹にいたのは我が子で、今いる子供たちと同じように私に愛され抱かれるべき命だった  手術の日、あの時こうしていれば、やはり何があろうと産むべきだった、そればかり考え時間を戻したい、とそればかり考えてしまいます。 2人の子供達を可愛く思うたびにあの子もこうして私に抱きしめられ守られるべきだった、と自分を責めて苦しくなります 私が後悔で苦しんでいる事で、母や夫も苦しめている事は分かっています この事を一生抱えて生きていく、それは覚悟しています、けれど子供たちには何も罪はないのです、笑わせてあげたい、楽しい時間をたくさん過ごさせてあげたい、その前提に私が笑顔でいないといけないと言う事はわかっています、しかし今はそんな自分も許せない気持ちでいます。 供養は先日してもらいました、あの子は守ってもらえると思えましたが、供養してお地蔵様に祈りながら、我が子をこんな所へ一人で行かせてしまった、と涙が止まりませんでした。 いつか、準備をきちんと整えて、再びあの子を授かりたい、その時は必ず幸せにする、その為にまた選びたいと思えるママになる、そんな考えにすがって生きるのは間違っているでしょうか?

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