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「お寺」を含む問答(Q&A)一覧

お寺の後継問題

はじめまして。お世話になります。 実家の寺は、子院で男性の住職でないと継ぐことが出来ません。 ですので、当初は長女である姉がお坊さんと結婚して寺を継ぐと言いだし、 妹である私はそのつもりでおりましたが、姉が発達障害のグレーゾーンである事が専門の病院を受診して分かりました。 姉の代わりに私が継がないといけないのかとも思いましたが、 姉なりに頑張ろうとしていたのか父の知人からお坊さんを紹介してもらい交際を開始していました。 当時、父も母も仏教精神なのか何なのか、発達障害をさほど深刻には捉えていなかったようです。 しかしながら姉は日頃から昼夜逆転の生活を送っており、父母からお寺のことを何ひとつ教わろうとせず、交際相手に会う日と習い事に行く日以外には、部屋にこもり食事も一食しか摂らず何もせず寝ているという生活が続いており家族皆を悩ませていました。 私は、昔からお寺のことで母から大変な話や、母が苦労している姿しか見たことがなく、お寺と関わりなく生きていきたいと思っていて、実家を離れて一人暮らしをしながら児童発達支援の仕事をしていました。しかし任せられる仕事量も多くなり過労で体を壊し病気になり仕方なく実家に帰省しました。現在は胸郭出口症候群の治療のためリハビリ通院しています。 そんな状況にもあって、家族と関わる時間が増えた事により、姉の惰性的な生活と、姉の不機嫌だと癇癪を起こしたり、更に父母に当たり散らす行動を多く見る中で、姉に我慢ならず堪忍袋の尾が切れました。 父母姉そろったところで、こんな無責任な姉にお寺を継がれ滅茶苦茶にされるより、私が継いだ方がいいのではと気づいたら泣きながら話している自分がいました。 進んで継ぎたいという気持ちではないのは昔と変わりません。 お寺は私物ではないですし、これからこの問題にどう向き合っていったらいいか悩みます。悩む分だけ体は正直で、中々私のからだは痛みが増し未だ癒えません。自分の体も良くなるのか心配になります。助けてください。

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お寺に通うことは可能ですか

3度目の質問になり恐縮です。 新型コロナがおさまった後の話ということで、ご相談させていただけますか。 タイトルのとおり、お寺に通うことは可能かどうかについてです。 私は子供のころ、比較的お寺に親しんで育ちました。 法事以外でも、近所のお寺でご住職様のお話を伺ったこともありますし、仲の良かった友人の実家もお寺でした。 両親は、お寺の方を信頼し、お墓参りなども大切にしていたと思います。お寺の静けさと、さりげない人の気配に、子供時代の私は安心したことを覚えています。 その後、私の実家のお墓は兄が守ってくれることになり、私は地元を離れて結婚しました。 夫の実家は、事情があってどの宗教からも距離を置いており、夫の両親も夫も、今後お墓を持つ予定はないそうです。 そのため、私と家族は今、お寺や神社、教会といったすべての宗教と縁のない生活を送っています。 しかし、私は近年、年を重ねるごとに様々なことを考えるようになり、また子供のころのように、時々お寺に行ってお坊様のお話を伺ってみたくなりました。夫は「自分は宗教にはかかわらないが、君が一人で行くぶんには構わない」と言ってくれています。 少し地域のお寺を調べてみましたが、檀家でないのに一人でふらりとお寺を訪れるのは少し敷居が高い気がいたしました。法話の会も開催されているようですが、檀家の方や年上の方ばかりだと少し気おくれしてしまいそうと感じたり、一人で参加するのが不安であったり、いろいろなことを気にしてしまいます。 それならば一人で仏教を勉強しようかとも思いましたが、私は仏教を学びたいというよりは、どちらかというと、お寺やお坊様とつながりを得たいのだと思います。 私には今、ふと心が迷ったときに、自分の家以外に向かう場所がないからです。 お坊様に個人的に悩み事を相談するために伺いたいわけではなく、ただ、お堂でしばらくの時間座らせていただくだけでも十分気持ちが安らぐ気がいたします。 もちろん、自分の家は安らぐ場所ですが、ずっと引きこもってばかりです。 社会との接点として、お寺とつながりを持ちたいというのは、あまり一般的な考えとはいえないでしょうか。(ふさわしくない場合は、はっきりご教示くださってかまいません。申し訳ありません) 御多忙な折に、読んで頂きありがとうございました。

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複数のお寺、手元葬のあり方が知りたい

私には2人の父がいます。私が5歳の時に他界した父、12歳~22歳までの養父(他界)血のつながったちちのお墓は遠く離れた場所にあり、数年に1度ぐらいしか行けません。 養父の納骨堂は近くにありますが、そこには母が再婚する前に亡くなった養父の奥さんにあたる人と一緒に入ってらっしゃいます。 ずっと一人暮らしをしてた母が自分もそこに入らないといけないと、お寺には関わってきましたが何だかとても寂しそうでした。 その母も認知症になり、介護のため私は夫に許しを受け母と2年近く同居しましたが、私が頑張ることが出来ず、心身ともに疲れ果て母を施設に預けてしまい2年がたちます。 実家は空き家になるため、お寺に相談して過去帳だけ手元に持っていればいいとの事で仏壇はそのまま養父と奥様の名前の書いた過去帳を持っています。 10年間養父にはお世話になりましたが、そちらのお寺とは繋がりを持つきになれず、母がもし亡くなってもそのお寺に入れる事は考えられません。 母は私の手元に置いておきたく思っています。 血の繋がった遠くにいる父もどうにか手元に置けないかと悩んでいますがそちらのお寺こそまったくの疎遠になっています。 母が記憶のある間は年に数回遠いお寺にお金を送っていたようです。 私が嫁いだせいで旧姓の2つの名字のお墓があり、どうしたらいいのか困っています。 そもそも母を手元に置いても成仏出来るのか?49日や1周忌などはどうしたらいいのか? ほとんど行けないお寺に置いておくよりいつでも傍で話しかけられるようにしたい!と思うのは生きている私達のわがままなのでしょうか? 妹がいてその話もしています。初めは「じゃ、私はどこに拝みに行ったらいいの?」と言っていましたが、手元にいてもらえれば会いに行かなくてもいい事がわかり納得しいます。 妹ももっと遠くに住んでいるため納得してくれたようです。 疎遠になってる実父のお墓はいずれにせよちゃんと私の代で供養しないといけないと思っているのですが、どれだけの費用がかかるのか怖くて聞くに聞けずにいるのです。 ご先祖さまの事なので手をあわせつつ悩んでいます。

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真言宗僧侶と神主の資格は両立できますか?

僕は仏教と神道が大好きで神様と仏様を同じように尊い存在として崇敬しています。 明治以前両者の距離は極めて近くほぼ同じ存在と言ってもよい状況でした。 僕はそれこそが仏教、神道双方の良い所でありそれが自然な形であると信じています。 今は失われてしまった神仏習合を実践しこれから先神道と仏教の距離を少しでも近づけることができるように、また双方の立場から物が見れるように僧侶兼神主になることが僕の目標です。 僕の家も寺院なのですが父にこのことを話すと家の宗派ではこの夢を実現するのは難しいと言われました。 そこで僕は真言宗の僧侶になろうと思っています。 そのための具体的な道筋もある程度決めてあります。 真言宗の大学に通い僧侶の資格を取った後、神主の養成学校で神主の資格を取り将来的に神社本庁の神社で働くという感じです。 寺院ではなく神社の側で働くのは、鎮守社や権現様をお祀りする形でどちらかと言えば神道の要素に寛容な仏教に比べ神道は明治時代に徹底的に仏教要素を排除した状態のまま基本的に変わることなくそのまま今現在まで続いており仏教以上に神仏習合の下地が出来ていないからです。 宗派として真言宗を選んだ理由は元々真言宗に興味があった事と歴史上真言宗は他宗派や神道など他の教えに対し積極的に共通点を探し共に進んでいく姿勢を持っていたからです。 しかし一つ問題があります。 真言宗における僧侶の資格と神道における神主の資格、この両立が出来るのかが分からない点です。 先ほど書いた通り僕は神社で働きます。 その状態でも僧侶の資格を持ち続けることは真言宗では可能なのでしょうか? 知り合いに真言宗のお坊さんや信徒の方がいないため聞いて確かめることも出来ません。 勿論お金や労力など神主の仕事をしながらも宗派、教団のために出来ることは全て果たしていきたいと思います。

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小さな冤罪

彼岸会に参らせて頂き、別院で2時間程の行事に参加した後の事です。 本殿(観光地となっています)前の野外で親子で順に1人づつお線香に火をつけていた時、本殿の奥から 「あんたお金払わないといかんよ」と怒鳴られました。あぁ、間違いかな と思い「払いましたよ」と応じたところ 「ずっと見ていたから払っていないの分かるよ」「悪い事はしたらいかん」「この人が払ったよ、見とった あんたは払っていない」 と、こちらが いついつこういう形で払ったという度に表に出てくる事なく中から大声でおっしゃるので、本殿の中に入りお参りするのも悲しく辛い状況になりました。 「この人が払ったのは見た」という、この人とは私の家族です。家族でひとりだけお線香代をくすねる訳無いと思うのですが。 お線香代は、良心販売方式で箱に100円入れる様になっていて本殿中からは3M以上離れています。 同行していた幼い子がお中日のお線香初体験を楽しんでいましたので、この子に気持ちが落ち込んだ事が伝わってはいけないと思い本殿にすすみ手を合わせましたが、疑いをかけた人物は不審な者を追うような目で睨みを利かせていて怖かったです。 まだ昨日の事なので、幼い頃から親しんだお寺に怖い印象が湧いてしまいそれが悲しく辛いです。どの様な心持ちで思い直せば良いのでしょうか?

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お寺を移る場合について教えてください

一年前に父が急に亡くなり、本家に勧められるまま本家当主と住職が古くから友人関係としての付き合いがあるお寺(臨済宗になります)にお世話になることになりました。 つい先日、父の一周忌を終え、節目としてお寺を移りたいと考えています。 理由としては、昔から本家筋から難癖や高圧的な行動を受けることが多く、折り合いが悪いという状態にあります。本家と付き合いがあるお寺さんでこれからもお世話になると本家関係で不都合が生じてしまい(この一年で実際に何度かありました)、出来ることであれば避けたいと思っています。 移らせていただきたいと考えているお寺さんには事情などを説明し、受け入れていただくという話はついています。 なので、質問としては、一年お世話になったお寺さんに移らせていただきたいという旨の話をしっかりとつけるべきかどうか。つけるべきであれば電話だけでいいのか直接伺うべきなのか。お気持ちとして包ませていただいた方がいいのか。など、寺を移ることに関して、行った方がいいことなどを教えていただきたいです。 なお、お墓はまだなく、今のお寺さんに遺骨や位牌などは一切預けていない状態です。 よろしくお願いします。

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実家の継承と信教・婚姻の自由

私は福岡県の日蓮宗の寺の次女で、今は実家から企業に勤務に行っています。実家の寺は長女の姉が婿養子を貰う予定でしたが、うちの正干与の寺の住職が持ってきた見合いの話を受け、東京の寺に嫁がせることになりました。 よって私に実家の寺の継承の話が回ってきたわけですが、私は継ぐ気もなく、会社員の方と恋愛しているので、僧侶と結婚する気もなく、そろそろ実家を出ていくつもりです。しかし父は3年間したら戻ってこいと言います。そこで思ったのですが、日本国憲法では職業の自由も婚姻の自由も保障されているのに、人々の幸福のために働いている僧侶たるもの(父)が、そのように実娘の意にそぐわない婚姻をさせようとするのは、僧侶としていかがなものだと思われますか?姉も結婚などしたくなく泣いておりました。前時代的にもほどがあるし、うちの寺も檀家が減っており今後経済の保証があるかどうかもわかりません。寺の継承のための親のエゴでしかないように私は思います。実際姉の嫁入りの話も私には秘密裏に行われており話し合いもなにもなく決まりました。反発をすると感謝の意が足りないと言ってきますが、それと継承の話は話が別だと思います。 また、父母は私に「信仰しろ、拝みなさい」と言ってきますが、信仰とはそのように強制されるものではないと思っております。また生まれた家がたまたま寺であったというだけでその寺の宗派の信仰をしなければなりません。これは寺に産まれた場合、信教の自由はないのでしょうか?"改宗は良くない、バチが当たる、絶対に良いことがない"、などとよく言われてきましたが、改宗は本当に良くないことでしょうか。 現在の日本では宗教より法律が上です。私の人権、私の法の下の平等は宗教により制限されている気がします。 他のお正人方のご意見をお伺いすることができればと思います。

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寺族の道か、尼僧の道か

今年、寺嫁になった者です。 嫁ぎ先の寺院の現状と将来を考えると、寺族登録より自身が尼僧になった方が、 次期住職になる夫の支えにより役立つような気がしております。 夫の父である住職が兼務住職で忙しそうで、当初、4月の寺族登録を10月に見送られました。 私自身で登録手続きを、と提案もしましたが、手続きは住職で、の一点張りでした。 今夏、以前から夫の家族より受けていたモラハラが酷くなり、さすがに堪えかねて、彼等に意見を申し上げたところ、寺族登録の予定で散々振り回したあげく、 住職から「寺族登録を当面見送り」と脅されました。 しかしながら、私自身も夫の家族に対し、不信感が募っており、こちらから、寺族登録はしていただかなくても結構です、以前から夫には、年内に無理をして登録しなくてもよい、と話していたので、とも添えました。 よって、今年の寺族登録は見送り、現在に至ります。 寺族登録は年齢制限がないと夫から聞いております。 夫が住職になったタイミングでよいのでは、とも夫に話しましたが、夫は寺院内では萎縮しており、義父母は予想以上に夫に対し高圧的です。 夫とは交際から仲良くしていたのですが、今夏の住職からの「寺族登録を当面見送り」の脅し以来、夫婦仲に亀裂が入り、現在、別居中です。 寺院の将来の為にも安易に離婚せず、解決・改善の道を進むには、寺族登録にすがることなく、自身が尼僧となり、自立した姿となり寺院と宗派に貢献する案を考えました。 寺嫁は尼僧の資格取得は可能でしょうか。 曹洞宗の僧侶の方で、何かアドバイス頂けることがございましたら、何卒、よろしくお願いいたします。

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困窮者はお寺を頼れますか

今までの質問や他の方との問答で、個人的な悩みについて色々助けていただきました。ありがとうございます。 社会的に気になることについても、ここでお尋ねできるでしょうか。 貯金のおぼつかない生活をする中で、もし仕事が途切れて家賃も通信費も払えず情報も頼れる先も見つからなくなったような時、役所でも「まだ働ける可能性がある」「血縁者が存命」などで生活保護が受けられず追い払われてしまった時、行き当たったお寺で助けを求めることはできるのだろうかと疑問を持ちました。考えてみれば、ホームレスのような方をお寺で見かけたことはないように思います。 キリスト教の団体では募金や炊き出しをしているのを知っていますが、仏教ではあまり目につきません。 一部、セーフティネットとなるべく取り組んでおられるところもあるようですが、ネットで名前があがるのは一部の意識の高いお寺の個別の取り組みのように見えます。 歳末ですが、越年、越冬が難しいような方にいま頼られたら、お寺の皆さんはどのように対応なさいますか。 個々のお寺でなくても、困窮した人を現実的に助けているような場所、団体を紹介なさったりすることはあるのでしょうか。 せっかく公開の質問ですから、私だけでなく、今ネットは見られるにしてもいつ厳しい状況になるかわからないような人みんなのためと思ってお答えをいただければと思います。 これは厄介な質問と思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。

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改教と、これから通うお寺さんについて

こんばんは。 ハスノハに参加した時私は一応クリスチャンだったのですが、あれから色々あって、改教しようと思います。はっきり言ってしまうと、もうだいぶ前からすべての出来事に神の意志が働いて起こるというのが信じられなくなっていました。 最近わけあって近所のお寺さんでお世話になったので、まずはそこへお話を聴きに行こうと思います。ですが、そこは真言宗なので、通うと私は真言宗になってしまうのでしょうか? 以前仏教の本を読んだのがきっかけで、自分がすーっと入っていけそうな宗派のイメージができていて、それが真言宗ではないというだけで、真言宗が嫌というわけではないんです。 ただ、やっぱり最初にお話を聴きに行くお寺さんの宗派が違うといけないでしょうか。 ちなみに、私の家は普段どこか特定のお寺さんでお世話になっているのではなく、例えば父親の法事の際には植物園のようなお墓(父が眠っている所で、そこにお寺さんはない)にお坊様が短時間いらっしゃってお勤めをして帰られるという形です。 前は自分がお寺さんにお話を聴きに行くなんて考えていなかったのに、色々な事があってこんなふうになって、人の心も変わるものなんだなと実感しています。

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