2023/02/07あの世について無記と言う姿勢は正しい?
あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか?
中学時代の世界史の教師が言っていたことですが
昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し
お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った
若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが
お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった
やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ
と話していました
ウィキペディアの記述によると
【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】
とあります。
お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね?
お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ
日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった
といったところでしょうか
(毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた)
お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、
私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。
死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで
自分もその責任を感じるはずですから・・・
歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く
平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは
子供の将来を心配して亡くなったことも
そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており
死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず
話をお釈迦様の話に戻しますが
お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか?
私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが
人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?
有り難し 25
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