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世界が荒れている

回答数回答 3
有り難し有り難し 52

世界ではイギリスのEU離脱、トランプ氏の大統領就任からの大統領令連発、それに反対デモを起こす人々

日本では芸能人、有名人を執拗に叩くSNSユーザー、差別や平等にやたらと敏感になる人々、「日本死ね」が流行語にランクイン
異常気象の数々、もうすぐ来ると言われている地震の恐怖

少し古いニュースもありますが、挙げると霧がありません
この先起こることに物凄く悪い予感がします

みんなが自分さえ良ければと考えているように思えます
実際自分だけが恵まれても幸せとは感じない筈なのですが…

募金をした芸能人に売名と言い、
不倫した芸能人を総叩き
自分は責任が無い匿名のネットで発言する
誰だって叩けば埃は出るものでしょう?
子供にイジメは駄目とか言うけれど、これも集団イジメだと思います
当然、悪事を働く芸能人にも非があると思いますが、今の風潮はやり過ぎだと思います

…そう言う自分も今匿名の場で書き込みをしていますが

所謂セクハラ、パワハラも過剰だと思います
当然、改めなければいけない差別問題も沢山ありますが、
弱者を守ってくれるのは強者の温情であり、当然のことでは無いです、自分の身は自分で守らないといけないと思います

こんな世の中をどう生きればいいでしょうか?
何を思って毎日を過ごせばいいでしょうか?
こんな偉そうなことを長々と書いてしまいましたが、間違っているのは自分なのでしょうか?
世の中に対して自分は何ができるでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マクロの見方とミクロの見方

仰ることはすべてごもっともだと思いますよ。
日々のニュースを見ていると、不安な気持ちになりますよね。

インターネットの普及により、世の中のあり方は大きく変わりました。
多くの人が気軽に世界のニュースの文字情報を手に入れ、また同時に誰かの意見を沢山目にします。

しかし、世界とは一体なんでしょうか。

マクロで見れば、宇宙の中のちっぽけな星に蠢く生物の動きに過ぎません。
お釈迦さまは「娑婆世界は火事の家の如し」と喩えられましたが、本来社会とは平和ではないところなのです。
荒れているように思えるのは、平和が当たり前と思っているからです。

ミクロで見れば、自分の目から入った情報を脳が処理しているものです。
極端にいえば、情報をすべて遮断し、晴れた日の空を眺めれば「今日はいい天気で素晴らしい日だなぁ」で終わるんです。
この世は地獄でしょうか、それとも天国(浄土)でしょうか。
祖師は「心の善悪による」と答えました。
心次第で、この世はどちらにも見えるのです。

【自分】は、自分が関わる人(ご縁のある人)のみ影響を与えることができます。
「自分ができることは」と問われれば、ご縁のある人達と気持ちよく接すること、喜んでもらうこと、励まし合い助け合うことのみです。

ご縁のある人に与えた影響は、またその人がご縁のある人たちに影響を与えます。
ある意味では世界に影響を与えるとも言えましょう。

ですから、どうか心を善に保って欲しいと思います。
そして悲観的になりがちなこの情報化社会において、「いや、世の中も捨てたものじゃないんだよ」と自信を持って誰かに説ける人になってもらえたらと思います。

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おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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心の問題にするのはあぶない。

お若い方とお見受けしますが、現代社会を見つめる鋭い視野をお持ちで、とても頼もしく聞かせていただきました。

ただ、字数の都合でしょうが、世界を、社会を、隣の方を、私を悩ませる諸問題を「正しく」見つめるためには、もう少し慎重で冷静な分析が必要です。

私自身も日々起こる出来事のひとつひとつに正直うんざりしていますが、
そんな私も周りと一緒に思考停止してしまえば、この煩悩(わずらい、悩み)の流転(繰り返し抜け出せない苦しみの世界)をただ過ごすばかりです。

端的に、いまを生きる私たちの生きるヒントをご紹介します。

◆メディア、特に国内メディアは人の不幸も混乱も対立も、視聴率と話題性でしか取り上げない。(どんな深刻な問題も面白おかしく、真剣に苦しむ人の声は視聴率が取れないので取り上げない。)
メディアリテラシーは、お釈迦さまが示された「八正道」(詳しい意味を調べてみて下さい)を拠り所に、何でもかんでも単純化させないで、一度テレビやインターネットの裏側を想像し、疑ってみてください。

◆考えることを放棄しない。距離が人の共感を阻みます。苦しみや悲しみの身近に飛び込んでみる。
あなたが雑音から耳を塞いでも、それが止む訳ではありません。風邪をひけば、自身の気の持ちようを悔やむのではなく、さっさと風邪薬を飲むなり、お医者さんに罹って下さい。指に刺さったトゲは、取り除かなければ刺さったままです。(取り除いてもしばらく痛みは続きますけどね)

ご回答の諸師が心の持ちようを考えてと諭されています本当のおこころは、「とりあえず気の持ちよう、心の持ちようだから、気分転換したらいいですよ」ということではありません。

仮にいじめに遭って助けを求める子に、「心の問題だ」と答えたら、その子はいよいよ追い詰められます。なぜなら、原因は自分の心だ、自己責任だと言われているのに等しいのですから。

この世界の諸問題を丁寧に見ていくと、今すぐの特効薬はないかもしれませんが、そこに私やあなたと同じように日常を安心して暮らしたいと願うひとりひとりのいのちの存在が見えてきます。

セクハラもパワハラも色々な差別も、弱者が強者に媚びて従えば解決するという考えは、自分が「強者」や「第三者」であれば、痛くもかゆくもないでしょう。

でも、私もあなたも自分自身が「弱者」になることはないのでしょうか。

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おきもち

北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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「裸足と靴」

なすび様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人間界は、まさに煩悩渦巻く世界・・おっしゃられているように、一歩引いてみれば、まあなんと浅ましいことの多いことか・・

とにかく、仏道は、まずこの煩悩の世界からの出離を望むことから始まります。

まさに、なすび様は出離の心を持たれたように存じます。是非、三宝への帰依から、仏教の修習へと入られて頂けましたら有り難くに存じます。

さて、日顕様のおっしゃられていることと同じになりますが、このような世界における心のありようにつきましては、よく使う譬えなのですが、「裸足と靴」として以下のようにお話をすることがあります。

簡単には、裸足であれば、どこへ行っても痛いですが、だからといって、全ての地面に痛くないように布や革を敷き詰めることなどは、とてもできませんよね。

私たちのできることなど所詮のところ限られています。

しかし、裸足に靴を履かせてやればどうでしょうか。

そうすればどこへ行っても痛くなく過ごせますよね。まるで全ての地面に布や革を敷き詰めた如くに。

この例えは、「心」のありよう次第においては、この世界全てを変えるのとほとんど等しくなることがありますよ、ということを表しています。

心が裸足同然であれば、あれやこれやと悩み苦しむことばかりになりますが、しっかりと自分の心に仏法という革で防御してあげれていけば、迷い苦しむことも無くなっていくことになりますよ、ということになります。

是非、これを機会に仏教を少しずつでも学び進めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ