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世に溢れる争いの「主成分」とは

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有り難し有り難し 8

 ご閲覧ありがとうございます。質問というより、お坊さんからご意見を頂いて考えを深めたいという思いからお訪ねします。
 私は自分の意見を磨き、批判含めた言い合いに慣れるため、普段からネットで社会問題について議論し合っています。やはり何事にも意見の対立があり、○○派というように議論者がわかれています。それでも私は双方が求める最終地点は同じであると信じているので(被害者のいない世の中、など)、対立側の意見もなるべく正しく理解しようと「理解力が乏しくすみませんが、あなたの意見についてもう少しよくお聞かせ頂けませんか」と訪ねます。対立側の方にももちろん誠実に話を聞いてくださる方はたくさんいらっしゃいます。
 しかし残念ながら、多くの方がわざとかと思うほど無理に意見をねじ曲げて理解し「これだから○○派は……」と中傷を重ねているのです。どちらの派にもある現象です。そこからはもう言い争い地獄の始まり。私が上記のようにできる限り丁寧に問いかけても、どうしてか「攻撃された」と勘違いされ、攻撃的かつ私の問に一切答えていない返信をもらうこともあります。そして、片方の派の誰かの意見に矛盾点を見つけると、本人に指摘するのではなくその発言を同士達の溜まり場に持っていっては「これだから……」と嘲笑しています。ネットなんてこんなもんかもしれません。
 しかしながらこれはネットの一部の話には収まらず、誰かの批評や噂話など家庭内や友人、ニュース番組、議員さんのやり取り、さらには国レベルで見られる現象だと感じました。
 相手の揚げ足を取りながら、話の本質を全く理解しようとしない、聞く耳を持たない態度に始めはただ疑い深いのかと思ったのです。しかし、徐々に「これは疑い深いのではなく、自分等は正しくて対立するヤツは悪者だと思い込みたい、傲慢さから来るのではないか」と考えるようになりました。 
 慢というものには私も非常に耳が痛く、普段から自分の中に度々感じている大罪でもあります。そして、この傲慢さから人と多くの衝突を起こした記憶もあります。他の人より私は慢という感情が強いかもしれません。
 これらのことから、世に溢れる争いは「傲慢」が主成分ではないかと(もちろん一概には言えません。むしろごく一部のことかも)考えているのですが、この意見に対するご指摘やご意見をぜひ頂きたいです。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

我見で見ないこと

そうした。傲慢さ我儘を、我というのでしょう。我見で物事を見ると、真実は歪みます。蜂が飛んでいる姿を見て、ただハチが飛んでいるだけなのに。”怖い”と思う人がいます。「ギャー」なんて声を出して走り回る人もいます。
真実はただハチがいる🐝それだけ。
そこに、我見を通して見ることで、刺されるかも、こっちに向かってくるかも、刺されたら痛いはず、なんて取り扱いを始めます。

🐝とであったときは、自他の境もなく、ただハチと名前も付いていないこれ→🐝がこのようにあるというのが真実を写す目の働きです。

争いはその後の思いや考えの世界。妄想の世界です。リアルではない頭の中のやりとりであーだこーだ事実を歪めて話すから苦しみが出てくるのです。そこをハッキリさせておけば争いは無くなります。からだで学ぶのです。目、耳、鼻、舌、身体の働きに学ぶと良いと思います。自我が邪魔をするのですね。

追伸
うまく生活に活かせるようになってきたとのことで安心しました。
仏道は実践です。ぜひやってみてください(^^)

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

邦元 様
 前回の質問でもお世話になりました!
 お言葉たいへん身に染みます。人と話している時に「ん?今のは皮肉?」なんて脳内でつっかかり、その人と別れた後もず~っと気になってしまう……なんてことがよくあるんです。そこから「嫌われてるのかも」「馬鹿にされてる」なんて妄想を繰り広げてみたり。考えてもわからないのに。もしも本当に皮肉を言われていたのだとしても、もう過ぎ去ったことなのに頭の中でリピートして独りでに傷ついて次からはその人を恐れるようになるんですよね。これこそ全くの自我による邪魔だと思います。そして、ネットで「攻撃された!」と思い込んでしまう彼らも、きっと私と同じく自我フィルターを通してしまっているのでしょうか……。体で学ぶ、現実にあるものをありのまま受けとるべし、自分の胸によく刻み込みたいです。
 ありがとうございました!

邦元様、追伸です。前回の質問の件ですが、友達の意地悪というか、故意のある失礼な発言に対して、いつものように笑って済ますことなく、無反応で返すことができました。はじめての経験です。友達も少しぎょっとした雰囲気がありましたが、すぐに言葉を言い換えてくれました。ありがとうございます。今後も続けて行きたいです。

追伸へのお返事
 ありがとうございます。精進に励みます(^^)!

「他人・友人関係」問答一覧

疎遠した友人と自分の犬について

私はパートで働いています。 3年くらい前に人間関係が上手くいかなかったことを理由に十数年くらい付き合っていた友人と疎遠しました。 その友人の心は非常に狭く何年か前に無職で自分もどうにか助けてあげようとしましたがその人から何度か辛辣な言葉も浴びせられたのでもう無理でした。 今、もしその人と話したとしても返ってお互いが精神的に傷ついてしまうこともありラインなどといった連絡も一切していません。疎遠後に2度くらいラインの連絡が友人から来ましたがまたしてもどう頑張って話しても辛辣な言葉を浴びせられぐだぐだのまま話が終わりました。 友人の愛犬は3年前に亡くなりました(これは疎遠後の時の出来事です。)。十数年生きたそうで友人は深く悲しんでいました。 私も小学生の頃からその犬を何度か見たことがあります。 今年から私も母が犬を飼いたがっていたのでポメチワのミックス犬と暮らし始めました。 私の犬は最近散歩が出来るようになり友人が暮らしている家と私の家は歩いて10分くらいで近所なのでその友人に私が犬と一緒に暮らしていることがバレないか非常に怖くて心配です。 嫉妬されそうだと思いました。 なので母が犬を飼いたがっているのが分かった時から私はかなり複雑な思いをしました。 ですが母が家族の犬を来るのを期待してるのを見て私はとても反対出来ませんでした。 それで犬を飼い始めることになりました。 また、今年の2月に7歳の文鳥を亡くしました。今も時々涙を浮かべます。 なのできっと友人が愛犬を亡くした時と同じ気持ちになっていると思います。 友人が疎遠後に新しいペットと暮らし始めたのかどうかもわからず文鳥を亡くしたとはいえもし犬と暮らしていることがバレたら友人がどう思うか不安で仕方ありません。

有り難し有り難し 20
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人と会話をした後辛くなります。

こんにちは。 自分は人と話した後、いつも辛い気持ちになります。 人のことは好きですし、会話自体も好きです。 初対面であったり、滅多に合わない人であれば普通に会話ができます。 しかし、例えば会社の同僚など「親友ではないけど知らない中でもない」人相手だと途端に話せなくなります。 話しかけても気持ち悪いと思われるのではないかと考えたり。 仮に話せたとしても、自分の発言に後悔したり。 会話が終わった後も、「あいつはだめなヤツだと思われたのではないか。」と考えてしまったり。 勿論それらが妄想であることも理解しています。 実際にそんなことを思う人たちでない事も理解しています。 しかし、いざ会話をしようとすると、そういう思考で頭がいっぱいになってしまうんです。 そして最後には、「これは嫌われても仕方ないよな」という行動をしてしまいます。 例えば、 話を振られたとしても苦笑いしかできなかったり。 (本当は沢山話したいのですが緊張してしまいそれしかできない) 「お疲れ様です」の様な挨拶も、聞こえるかわからないい声量になってしまったり。よって無愛想なイメージを持たれたり。 そしてそんな事をしてしまっている事にまた嫌悪感を覚え、やがて誰とも話さなくなります。 自分は人のことが好きです。 できることなら接した相手には気持ちよくなって欲しいと思います。 しかし色々考えすぎてしまいイメージ通りに動けず、逆に相手に不快な気持ちを与えてしまいます。 そしてそれを自覚し、物凄く辛い気持ちになります。 こういう気持ちになるなら。またこういう気持ちにさせるなら、人と接しない方がマシだと考え、孤独になろうとします。 (在宅ワークが認められているので家に引きこもってしまったり。会社の懇親会があっても仕事だと言って途中で抜けてしまったり) けど人と接することは好きなので、また更に辛い気持ちになるループです。 お坊さんの皆様方は様々な方とお話をする機会があるかと思います。 人と話した後、何故こんなことをしたのだろうと、後悔したことはありますか。 またそれにより、人と接する事が怖くなった事はありますか。 もしあればどのように乗り越えたか、教えていただけませんか。 仏教的な考え方を提示いただく形でもありがたいです。 わかりづらい文章で申し訳ございません。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 4
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わたしを馬鹿にする友人との付き合い

お世話になっております。今回はとある友人(以下A)との関係についてご相談させてください。 Aとは2~3年前に共通の趣味を通じてSNSをきっかけに仲良くなったネット友達です。Aとは何かと気が合い、休みのたびに出かけたり自宅に招いたりと懇意にしていました。 しかし、先日Aと外出した際、買い物やコートなどでわたしの荷物が非常に多くなってしまったときにAがなんの声かけもなしにわたしの荷物を半ば奪うようにしました。その際、Aの不注意でわたしが仕事等で使用する高価なノートパソコンを落とされました。幸いにも傷や不具合はなかったのですが、なんの声かけもなしにパソコンケースを奪われ、かつそのパソコンを購入するのにどれだけ苦労していたかもAは知っていたのに落とされ、非常に腹がたち、以来、Aとは連絡をとっていません。 思い返すと、Aはふざけているつもりなのかわたしを小馬鹿にするようなことばかりを言っていた気がします。わたしが4年かけて構想と執筆を行った修士論文を「ただのおまえの性癖じゃん」と笑ったり、わたしが努力して何かをすると必ずからかってくるようなひとだったと思います。わたし自身のトラウマに向き合って、メンクリに通いつつ、毎日泣きながら頑張って頑張って書いたものをただの性癖じゃんって……思い返して悔しくて悲しくて涙が溢れてきます。 数日後、所用がありAと会うことになっているのですが正直気がのらないですし、その後Aの扱いをどうすべきか悩んでいます。Aといて楽しいことばかりだったのもあります。不快な思いをさせられたのはたった数回ですが、そのたった数回で縁切りを考えたくなるぐらいにはAとの付き合いはトラウマになりつつあります。 縁切りをする以外に何かいいお考えはないでしょうか…?

有り難し有り難し 2
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ