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禅やマインドフルネスについて

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有り難し有り難し 46

いつもお世話になっております。この度は、禅やマインドフルネスについての質問でございます。
当方、少し大きな壁や課題があると途端に不安になり、焦ってしまいます。これまで失敗経験が幸か不幸か少なかったこともあり、極度に失敗や叱責を恐れています。失敗を恐れるなとは言われるのですが中々難しいですね…。
最近は、友人の助言もあり、人に言われたことは大半は受け流して、自分が改善すべきところだけを取り出して改善していくこと、人の意見を過敏に100%受け取らないこと、これを意識していこうと頑張っています。

このような不安定な経緯もあり、またこれからの生き方を漠然と心配し、色々な本で禅や、そこから派生したマインドフルネスというものを少しですが知ることができました。将来への焦りや苦しみは、今ここに極度に集中すると消えて、結果的に人生がうまくいく、というものだったと記憶しています。読んでいて私はなるほどと思いました。焦っている時は何事も手がつけられないというのには覚えがあります。

一方、生きていればもちろん誰でも様々な苦難が降りかかります。時には圧倒されそうな困難もやってくるかもしれません。それをも今に集中することでただひたすらやるべきことをこなしていくとすれば、このプロセスには理論上、焦りや苦しみといったものは存在しないものなのでしょうか。なんだかちょっと信じられない自分がいます。
また、もし苦しみがないのなら、苦しみを経験しない人生ということになると思いますが、苦しみがない人生というのも、なんだか不思議とそれでいいのか…?という疑問が湧いてきました。

自身が禅やマインドフルネスを知って日も浅いため、理解が生半可で的外れな質問になっている可能性はありますが、迷える大学生にお教えいただけたら幸いです。

ここからは質問ではないのですが、率直な気持ちとして、禅やマインドフルネスは、大変魅力的な考え方だとおもうのですが、あまりに自分が短いながらに生きてきた価値観とは違って、心からまだ受け入れられていません。でも、心の底では、このような生き方ができたらな…と羨む思いがあります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

興味があることは大切な第一歩

まず禅やマインドフルネスに興味を持っていただいたこと大変嬉しいです。
ここでは禅と言わせていただきますが、禅は考え方ではありません。考え方や捉え方でどうにかしようとするものではないのです。ですから、今に集中するというようなことではないのです。
そんなことしなくても、今しかないし、集中しなくてもそうなっちゃうじゃんというものが禅です(^^)
今外に出ましたが否応なしに寒くなりました。感じようとか、今に集中しなくてもこの体は今にいるのです。これを感じるところを五感とか六根と言います。眼、耳、鼻、舌、身、意を窓口として今に生きているのです。
そこには考え方や捉え方は存在しない。間髪入れず同時に活動している。こちらからとかあちらからという感じすらないほど同時なんです。
だから悩みすら存在しない。
悩み苦しみは全て後追い。0.1秒後を追ってます。だからこそ、禅はそれ以前を知ることを大切にしている。つまり今にいること。
必ず楽になりますよ。
ぜひやってみてください。坐禅会に行ってみてください。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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流行における禅やマインドフルネスへの注意

鳥の羽様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

禅やマインドフルネスへのご関心、誠に有り難いことでございます。

しかし、昨今の流行りをみますと、禅やマインドフルネスの禅定面ばかりが重視され過ぎて、仏教において最も大切とするべきところのものが欠けてしまっているようにも思えます。

何と申しますか、自己啓発系になってしまっているような感じにも。

仏教の根底には、まず何よりも、全ての者たち、一切衆生を救うために悟りを得たいとしての志である「菩提心」が必要となります。

それがどこか、自分のため、自分の幸せのためというところのためだけに陥ってしまっているように思えます・・

菩提心を起こしての「智慧と慈悲」と「自利利他」をバランスよく保ってこその禅定の意義であることを少し意識して頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

早々と回答いただきありがとうございます。今を強く意識するとか、意気込むものではないのですね…。
邦元さんの、「そんなことしなくても、今しかないし、集中しなくてもそうなっちゃうじゃんというものが禅です(^^) 」と、「悩み苦しみは全て後追い。0.1秒後を追ってます。だからこそ、禅はそれ以前を知ることを大切にしている。つまり今にいること。 」という部分を読んでまさに目から鱗といったところでしょうか。禅についての理解が前進したように思います。

たまたま、私の家がお世話になっているお寺が禅宗のお寺で、座禅会などもやってるそうなので、早速行ってみようと思います。
また質問させてください、ありがとうございました。

追記
川口英俊さん、回答ありがとうございます。
たしかに、本屋などでもマインドフルネスは自己啓発のエリアに置かれていたりしますし、その内容は専ら能率向上のためである本も何冊か見かけました。ビジネスが絡むとどうも利他とはいかないものかと少し悲しい気持ちになります。

まだまだ禅も、そして仏教も、歴史で習った程度の知識しかありません。実家は臨済宗ですから、禅や禅宗に興味がありますし、ゆくゆくは仏教全般に理解を深めていきたいです。これから学び、生活の中で実践を行なっていきたいのですが、差し当たって禅や禅宗の入門的な本があればお教えいただきたいです。座禅会には近々参加する予定です。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ