罪人の命(死刑について)
重い罪を犯した方が、死刑判決を受ける事がありますよね?
死刑の実行の仕方のようなものを人から聞いた事がありますが…。
私は、どんな酷い罪人でも、人間が人間に手を掛けるべきではないと思ってしまいます。
殺したところでご遺族の方の傷が癒えるわけでもないし、それなら死を迎えるまで償い続けるべきなのでは?と。
ご遺族の方々にとったら、生きていてほしくないし死刑を望む方もいると思いますが、人間が手に掛けることは私には納得出来ません。
無期懲役で良いのではないのでしょうか?
最終的な償いや処罰は、罪人が亡くなった時あの世で神様なり仏様が下すものなのではないかと個人的には思うのですが、御坊様達はどう考えますか?
それに、昔読んだ禅語の本で、何という禅語か忘れましたが、その禅語に対しての解説文の様なものの一部に
「どんな罪を犯した極悪人でも、仏の心がある事を忘れてはならない」的な事が書かれていました。今の世の中卑劣な事件が多く、私自身も胸を痛めたり嫌な気持ちになったりしますが、その禅語を信じたいです。
被害者やご遺族の方にとったら、本当に赦せないと思うし辛くやるせない気持ちになるし憎しみを拭い去る事は難しいでしょうが…
自分がそういう目に遭った事がないから、この様な綺麗事がいえるのでしょうか…。
昨日別の質問をさせて頂き、なんだか心が軽くなった気がして、そしたら色々質問してみたい事が出てきてしまいましたσ(^_^;)ごめんなさい。
ありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不殺生戒がありますから、仏教徒なら死刑反対です。
御遺族の心情も分かるつもりですし、
自分も遺族になったら、
加害者には死んでほしいと思うでしょう。
でも、
百合様の御意見はその通りだと思います。
死刑で呆気なく死んでしまうのではなく、
生きながら苦しんで苦しんで懺悔すべきです。
日本には終身刑が無いので、
死刑廃止まで至らないのだと思います。
死刑廃止が望ましいが、そう簡単にはいかない
山口県光市で母子を殺害したとして殺人と強姦致死罪などに問われた元少年(27)に対する差戻し控訴審で、広島高裁は平成20年4月22日、元少年に死刑判決を言い渡しました。
当時、私は次のようなブログ記事を書きました。(参考までに)
『「人が人を裁くことの難しさ」は当然のことであるし、「死刑は国家による殺人である」という意見ももっともである。死刑廃止を主張する方々も少なからずおられる。死刑を廃止し、欧米などに見られる終身刑や50年とか80年という刑期を適用することが、犯罪の抑止と犯罪者の更正に有効であるか否か?私はあまり有効であるとは思えない。無期懲役もしくは終身刑が最高刑罰である場合と死刑が最高刑罰である場合とでは、犯罪特に殺人罪に対する抑止効果には差があるのではないかと思う。
そういう意味で、判決後の記者会見で妻と子を殺された本村明さんは、刑事制度のあり方について非常に的確な考えを述べていました。
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やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会の皆様にも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。
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「犯罪の被害者も加害者も生まない社会をどうつくるのか」
この言葉の意味は重い。
死刑廃止論を展開する前に論じるべきことがある、と私は思っています。死刑という刑罰が必要とされない社会。どうしたらそういう社会を作ることができるのか?今の社会をどう変えたら良いのか?どうしたら、犯罪を無くせるのか?これらの疑問を自問自答することも多い。
少なくとも、「死刑は残酷だ。」「死刑を廃止している国が多い。」という理由だけで、死刑廃止を論じるべきではないと思っています。現行の刑事制度の中での矯正教育、そして家庭教育と学校教育と社会教育、そして就労。これらが有機的に機能してこそ犯罪抑止が可能となるのでしょう。』
http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/22760265.html
因縁です
我が身に置き換えると犯罪者を殺しても殺してもまだ殺し足らない気持ちになる。
僕の中の残虐性を認めています。
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その残虐性を抑え、かわりに行為に及んでくれるのが死刑制度です。
死刑制度は報復請負制度と言ってもよいかもしれません。
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報復と考えるならば仏教徒としてはあなたの仰る通り、因縁に任せ報復行為に及ばなくてよいということが言えると思います。
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しかし、だれもが聖人君子になれるわけではありません。
因縁として死後の裁きを期待するなら
制度としてある以上、死刑に処されることもまた現世での因縁によるものであるはずです。
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死刑制度のあるニッポン国に生まれることも因縁なのですよ。
罪を憎んで人を憎まず
基本的に、人間には悪い人はいないと思います。何らかの理由で、人に迷惑をかけてしまうことが、法律的に問題となるということだけです。
集団で生きていく以上、決まりは必要になります。そこに罰が必要かどうかということは、わたしにもわかりません。
ただし、仏教的に言えば、罰はありません。憎しみに対し暴力的に行動で仕返しすれば、必ず、終わりのない憎悪の連鎖が始まります。
私たちは、罪を憎んで人を憎まず、もっと言ったら罪すらも憎まないで許す大人(だいにん)にならなければならないのだと思います。