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エゴとの関わり方

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有り難し有り難し 12

こんばんは。

遅くに失礼いたします。
長くなるかと思いますが宜しくお願いいたします。

エゴについて悩んでおります。
自分の感情との関わり方ともいえますが、

私は今まで神や尊いものを敬い生きてきました。

エゴではなく人を愛することを優先に考えるよう努力をしてきました。

ある時、エゴが私に語りかけてきました。

あんたはもっと傲慢になっていい、尊大でいいんだ、と

そうしてエゴの肥大化と弱さをもつ自身の他人軸の生き方が崩れてゆき

自分というものが謎のエゴにとりつかれ、エゴの言うことに逆らえなくなってきました。

もしかしたら、あまりにも無意識の抑圧と、エゴへ目を向けなかったことの逆襲なのでしょうか。

精神的な話になってしまいましたが、

私は、エゴの幼稚さが嫌いです。
エゴをなくしたいと思います。
他人のことを思いやり、他人と良い関係を築きたい。

しかし、エゴを無視することによってそれが反撃してくるのが怖い。

お坊さんでしたら、エゴをなくすように生きますか?それともエゴと共に生き共に悩み、手と手を握って生きますか?
どちらが幸せになれるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自我は大事です

エゴというとエゴイストとか悪い意味にしかとらえられないので、自我と言い換えますね。
自行化他という言葉があります。まずは自分が大事ではないですか?それから人に尽くすのは
いいと思います。自分を犠牲にしてまで他人に尽くす必要はないとそう思います。自分も大事他人も大事なのです。坊さんとして他人の役に立ちたいという気持ちは非常に大きいものかがありますが、バランスですね。自分のやりたいこともしたいのです。欲張りでしょうか?

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有り難し
おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

鈍阿様

ご回答いただき、誠にありがとうございます。

仰る通りバランスはとても大事で

欲張りとは感じません。

自分のしたいことをしつつ他人に尽くすという心の持ちようが大切だと感じました。

大忍貫道様

ご回答頂き誠にありがとうございます。

エゴには無明という名前がとても当てはまります。またエゴがなくなると生きる意欲を失うということは思い当たる事があります。

大忍貫道様にとってエゴは、自覚するものそして自ら制御するものなのですね。

エゴを無くそうとはせず社会に生きる者として大人らしい振る舞いができるよう精進して参りたいと思います。

大忍貫道様のように人格者でおられる方のご回答とても参考になります。

ありがとうございます。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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