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本当に人生で無駄なことはありませんか?

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有り難し有り難し 32

人生に無駄なことはないという言葉をよく耳にします。多分、成功したり夢を叶えたりした人はそういう実感が湧くのだろうな、と思います。
今までそれを信じて生きてきましたが、最近本当にそうかな?と思います。

私は今まで失敗続きで、今あるものといったらその残骸と借金くらいです。

友人と連絡を取る気もおこらず、連絡が来てもルーズに返事をし、年々友人は減っていっています。

疲れやすい上に憂うつな日が多く、これからのことも何も進みません。

家族には散々迷惑をかけました。離れて暮らしている今も色々気にかけてくれ、それに甘えている自分がいます。
自分でなければ、家族はもっと幸せだったのにと思います。

動物を何匹か飼っています。彼らはいつも心を癒してくれます。でも、毎日疲れが取れず、彼らの世話を負担に感じる日もあります。そう感じた時、彼らが可哀想になり、自分はなんて価値がないのだろうと思います。

そして、私にとって大切なものとは、結局自分にとって都合のいいものなのかと自己嫌悪に陥ります。

私は傲慢で上から目線、自分本位で思いやりに欠けていました。そんな自分に価値があると思い込んでいました。

私の前半生、何もかも無駄だったのではないかと思います。
そう感じているいま、後半生、何を心の支えにして生きたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

行動には結果がついてくる。心の修行。

たとえば自転車を数メートル走らせただけでも、肉眼では見えないレベルですが自転車のタイヤが磨耗しています。
そのように、どんな些細な言動や行為も、自分自身のカルマとして未来の自分に何らかの結果を残すのではないでしょうか。
たとえば、怒れば怒るほど怒り癖がつくかもしれない。盗めば盗むほど盗み癖がつくかもしれない。怠けれは怠けるほど怠け癖がつくかもしれない。
仮に失敗しても、何かに精進すれば精進するほど精進癖がつくかもしれない。
善いこと(修行) をすればするほど、ストレスを感じにくい平安な性格になるかもしれない。
だから、目に見える成果ではなく、自分の心の成長に役立つ修行をすることが重要です。
幸せを感じやすい性格になるため、悩み苦しみを感じにくい性格になるために。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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無駄かどうかはわからない

harukana様

無駄かどうかは、ただ、そう思えば、そうなり、そう思わなければ、そうならない、まあ、「こうだ」と決められないものでございます。

仏教的には、難しく申せば、「空」ということで、「実体」としてあり得ていないものとなります。

もちろん、「空」と言っても、何も無いということではありません。ただ、事象・現象に対して、そうだと分別する私たちの側の捉える心のありようにより、そう名付けられているだけのものとしてあり、では、そのものの実体、そのものの本質はどこにあるのだとして、それをいくら探そうとして探しても見当たらないものとなります。

今は、ただ、貴女様が、「無駄かもしれない」と思うことによって、「無駄」としてしまっているだけであり、実体としての無駄というものは実はどこにも無いのであります。

と、上記のことは難しいことですので、今はあまり深く考えなくても良いですが、良い諺があり、「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」というものがございます。

どうせ悪くとらえても、落ち込み、後悔するだけとなり現実的に益となることは無いのですから、良いように捉えて、ニュートラルにか、それかポジティブに考えることも。

ようやく自分の至らなさに気付けたことがあるならば、ここからでも挽回が可能です。

気付けて良かったとして、これからの糧とされますのも。

ちなみに、価値というものも同様に「空」です。「価値は無い」とそれを実体として捉えて囚われてしまってはいけませんよ。。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

回答いただきありがとうございます。
今まで人に話せなかった悩みでしたので、丁寧にお答えいただき感謝しております。

回答いただいてから何度か読み返しました。
これからも「無駄なんじゃないか」と感じる瞬間が何度となくあるかと思いますが、その度にいただいたお言葉を思い出し、折に触れて読み返そうと思います。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

有り難し有り難し 10
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私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

有り難し有り難し 14
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過去を恥だと考えてしまいます。

はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ