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自分が許せません

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有り難し有り難し 18

先日もご相談させていただき、ありがたいご回答をいただいたのですが、
まだ日常生活を送ることが大変辛い心境ですので、再びご相談させていただくことをお許しください。
私は当て逃げをしようとしました。
車をぶつけてしまい、すぐに通報すべきところを、大変なことをしてしまったという恐怖感や、
傷はなかった?(薄暗かったこともあり、あまり目立ちませんでした)という現実逃避、
バレなかったら逃げようという最低な卑怯な気持ちから、ひとまず車から降りてその場から立ち去ってしまいました。
幸いというか、目撃者の方が通報してくださり(ショッピングセンターの駐車場でした)
被害者の方も快く謝罪を受け入れてくださいました。
私は「バレなかったら逃げよう」と思ってしまった最低な自分を許せません。
また、いい歳したおばさんが、その時すべきだった行動(通報)をできず、他人の手を煩わせてしまったことも情けなくて仕方ありません。
そのせいで家族にも八つ当たりしています。
大切な夫や子どもを突き放すようなことばかりいってしまいます。
子ども達は健気にそれでも慕ってくれていますが、
夫は愛想をつかしているようです。
車をぶつけた瞬間がフラッシュバックして、運転も恐怖です(車は生活に必須です)。
こんな私は家族に不要な人間で、死んでしまいたい気持ちです。
卑怯な私のことを誰も責めてこないのも、逆に辛いです。
とにかく全てが嫌だという投げやりな気持ちです。
とはいいつつ、普通にご飯を食べたり、テレビをみたりしている図太い自分も大嫌いです。
自分がいわゆる悲劇のヒロインぶった「かまってちゃん」なのだというのも自覚しています。
とにかく今消えてしまいたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはどういうあなたなのか

前回のご相談と併せて拝読しました。

さて、あなたがすぐに通報できなかったのは最低で卑怯な人間だからなのでしょうか。あなたは家族に不要な人間なのでしょうか。

それは誰がそう決めているのでしょうか。

自分で自分を責めたくなる気持ちはわかります。でもそれは実は自分を守るための反応なのかもしれません。
ひどい事をしたのだから、このくらい自分を責めておかなければならないという自分の価値観の範囲内、ある意味では安全なところで自分をおとしめているのかもしれません。

そうした思いは自分の価値観をいくら延長したり拡大しても破られることはありません。
自分を超えた所から自分の正しい姿を教えていただかないと本当に自分で自分の事実を受け止めるということは成り立たないのですね。

さてさて、私たち仏教徒の場合、その自分を超えた所から自分の正しい姿を教えてくれるものというのは仏様の教えです。

その仏様に教えられる自分の正しい姿とは、「縁にふり回される弱く儚い者」です。

ここで最初の問いかけに戻ります。

あなたがすぐに通報できなかったのはあなたが最低で卑怯な人間だからなのでしょうか?

そうではないのですね。あなたが通報という行動をすぐにとれないという縁(条件や環境)がととのったからです。

目立つ傷がないとか、相手の車の持ち主がいなかったとか、そういう縁がととのったのでしょう。

でも同じ条件でも通報する人もいるかもしれません。それはその人が優れた人格者だからでしょうか。

それも違うのですね。その人がそう判断するに至る縁がやはりあったのでしょう。親の教育とか、人生における経験とか、色んな影響の中でその時そう判断するに至ったのでしょう。

これは運命論ではありません。そしてあなたはそういう縁だったのだから何の問題もないと開き直れという話しでもありません。

私たちは縁さえととのえばどんなこともしでかし得るということ。それが仏教に教えられる私の事実です。

清く正しく生きれるはずの私ではないのです。

その自分の事実を突きつけられたあなたがこれからどう生きるのか。

今ともにいる家族もあなたがあなたの力で手に入れたものではありません。ご縁からのいただきものです。

そして今回の出来事もそうなのです。

縁に良い悪いの評価をくだして嘆くだけでなく、いただきものを大事にしてみましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分の本質は、自分の評価や価値観で決まるのではなく、全ては「ご縁」なのですね。
自分に悪の心があるから…
などではなく、全てはその状況で縁が整うか整わないか。
私の拙い文章では僧侶様のお言葉に深く感銘を受けた今の気持ちを伝えきれず、大変もどかしいのですが、
自分の本質を勝手に決めつけ、絶望していた自分から解放されました。
今回、僧侶様から回答をいただけたというご縁にも大変感謝いたします。
これから先も、良い縁にも悪い縁にもたくさん巡り合うことになりますが、
僧侶様の仰るとおり、ご縁からのいただきものを大切にして生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

有り難し有り難し 7
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私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

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自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

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自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

有り難し有り難し 14
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過去を恥だと考えてしまいます。

はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 1
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ