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引き受けるとは

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有り難し有り難し 31

浄土真宗のお坊さんは、よく「引き受ける」という言葉を使います。

現実を引き受ける
悩みを引き受ける
など
よく分からないのですが、「引き受ける」とはどういうことですか?悩みを消そうとするのではなく、悩み自体を受け入れるということでしょうか?
僕は昔から生きることに虚しさを感じています。つまり、この虚しさはどうにもならないから、虚しさを引き受けるということでしょうか?
しかし、「引き受ける」という意味?感覚?が分かりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉って難しいですね

たとえばですが、重い病気になったとします。その時に

「なぜ私がこのような病気にならないといけないのだ」

と悩むあり方は、病気を本来は私が受けるべきでない不当なものであるとして捉えています。

一方で同じ悩むにしても

「私はこの病気にどう立ち向かい、そして病気と共にどう生きようか」

と悩むあり方は、病気を自らの課題としてまさに「引き受けた」ものではないでしょうか。

あなたの場合は「虚しさ」が課題ですね。その時に「虚しさ」を悪いものとして、あるいは排除すべきものとして捉えていくのか。

そうでない何かを見出そうとするのか…。

こんへんはもう言葉では上手く言い表せない領域に入ってくるものかもしれません。
だから宗教にそれを求める場合には、最終的には道を定めて、特定の言語体系の中で求道することで、自分の気持ちや在り方を言い当てる様な言語表現に出あいやすくなると思います。

「引き受ける」とか「受け入れる」とか「諦める」とか「課題とする」とか「担う」とかいろいろ表現できますが、それは実は「これだ!」というお聖教の言葉に裏付けられてこそ活きてくるものであるのかもしれません。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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煩悩を弱め、慈悲喜捨を増やす

言葉には実体がありませんから、人それぞれに解釈は変わります。
だから、言葉尻にこだわってもあまり意味はありません。
要は、自分と他人の悩み苦しみが減れば良いのです。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を弱め、慈・悲・喜・捨の四無量心が増えれば、自分と他人の悩み苦しみ軽減につながります。
あなたが生きることに「虚しさ」を感じることで、あなた自身や周囲の人の悩み苦しみが増えているのかどうかが問題です。
たとえば建物で火災が発生したとき、「どうせ虚しい人生だから、ここで焼け死のう」と思うかもしれません。
しかし、目の前に泣いている赤ちゃんがいたらどうでしょうか?
その赤ちゃんを抱いてとりあえず避難します。
そのとき、あなたの「怠けの煩悩」が一時的に制御され、慈・悲の心がエネルギー源になって、「子供を助ける」行動になる。
どうせ虚しいから、あなたにとっては助けても意味はないけど、助けられた子供やその親にとっては、悩み苦しみの軽減に役立ったのです。
「引き受ける」というキーワードや、「南無阿弥陀仏」の念仏で、一瞬でも悩み苦しみが減れば、それで良い。
悩み苦しみが減るときには、知らないうちに、煩悩の制御や四無量心の発動が起きているのではないでしょうか。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

吉武さん、回答ありがとうございます!
なるほど。「課題」という言葉が一番しっくりしました。
「なんで」ではなく、「どうしたら」と考えるのですね。
アドラー心理学というものがあるのですが、その心理学では「なんで」と考えるのは、「変えられないものを変えよう」とするので、NGとされていて、「どうしたら」と考えるのは未来志向的で合理的なので良いとされています。
ちょうど、この考え方に似ているかもしれませんね。ようやく分かりましたよ。
本当にありがとうございました!

願誉浄使さん、回答ありがとうございます!悩みがすくなくなれば、楽が増えるということですね。なんとなく、お念仏を行わせていただくと、心が温かくなる瞬間があり、苦が楽になる感覚を覚えました。やはり、その瞬間だけは虚しい感情は起こりません。お念仏の有り難さを感じさせられるからです。
回答ありがとうございました!

「浄土真宗」問答一覧

救われない予感がします

浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。 これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き 謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました 過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」 という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません 今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら 時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました 今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします 過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました 前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません 阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか

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亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

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浄土真宗のお念珠を教えて頂きたいです。

私は真言宗のお坊さんを目指している中学生です。 将来おばあちゃんが亡くなった際、おばあちゃんは浄土真宗(代々の)で供養し、 私と母は真言宗に改宗して、おばあちゃんのお墓は墓じまいする。と決めました。 (おばあちゃんと母は苗字が違います) お寺とのお付き合いもないので、おばあちゃんの葬式は新しいお寺さんになるかと想像しています。 しかし浄土真宗は浄土真宗です。私達が真言宗でもお墓参りと法事にはしっかり浄土真宗で臨みたいね。と母と話しました。 そして私は来年高野山の高校(通信)に行きます。急に仏教学校に入りたいとお願いし、認めてくれて応援してくれた。今まで育ててくれたお礼に、仏教好きな私なりに、お念珠をプレゼントしたいと考えています。 その際、今後使える真言宗の念珠+ おばあちゃんの供養や墓じまい後のお参りの時に使える浄土真宗の念珠をプレゼント予定なのですが、 Amazonで見ていて、いいのは見つけましたが2連の念珠が多いように感じます。 しかし浄土真宗本願寺派や真宗大谷派は公式には略式念珠、単念珠を紹介しています。 しかし葬儀サイトにはみな女性用は2連なんです。 そこでお聞きしたいのは、お坊さん的に浄土真宗の女性用のお念珠は2連なのか単念珠なのか、どちらをおすすめだとお考えでしょうか。 西本願寺、東本願寺共にサイトで2連は蓮如結び、単念珠なら松房と書いていたので、そのものを購入予定です。

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厭離穢土欣求浄土の意味

「厭離穢土欣求浄土」の意味について、今年の大河ドラマをはじめ昨今の小説やドラマでは「この世を浄土のような平和な世にする」というスローガンだと説明されていることが多いですが、浄土宗は唯心の浄土ではなく指方立相の浄土を説くはずで、凡夫に浄土は築けないと教えているはずですから、この解釈は浄土宗の教義に矛盾していないでしょうか。元来の意味が厭世的過ぎて現代人に受け入れにくいので無理矢理こじつけたように思えます。これはむしろ即身成仏を説く真言宗や娑婆即寂光土を説く日蓮宗の考えに近い解釈ではないでしょうか。 凡夫に浄土が作れるのなら弥陀も念仏も要らないことになってしまいます。 ただ、「浄土宗は死を待つだけの教えではないのか? 法然上人の時代のように道を歩けば死体がゴロゴロ、いつ自分もその仲間入りするかしれない世ならともかく、現代ではそんなに今生きているこの現世を否定しなくてもいいんじゃないか?」というこの胸に芽生えた疑問への答えとしては厭離穢土欣求浄土の現代風解釈は便利なので、指方立相の浄土とは矛盾すると知りながら都合よく取り入れてみるのも悪くないかなとも思っています(真剣勝負と八百長との狭間をウロウロするプロレスファンなので、こういう曖昧な考え方は得意なのです)。 できれば浄土宗のお坊様のみならず、他宗のお坊様のご意見も聞きたいです。

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