自信をもつことができるようになるには
他人に対して、この人は弱いなと判断し、強く出て、上からの物言いや態度ができる人がとても苦手です。
いじめができるタイプといいますか、強い人間が怖いのです。
そういう目に遭うことが多いのは、私に問題があるのでしょうか。
私は人と揉めてまでコミュニケーションをとりたいと思いません。強気に出られたら、もう、その上下関係でいいやと流してしまいますが、大体の人は、調子にのってエスカレートしていきます。
そんな人ばかりだと思うと、生きていきにくいなぁとため息ばかりでます。
人を威圧感で押さえつけて上にたち、そこにはなにか意味があるのでしょうか。そういう人も必要でしょうか。あまりにもそういう人が多く感じます。
人を攻撃したくありません。
でも、威圧感にさらされるのも同じ人間として違うのではないかと。
毅然とできる、自信を自分に持ちたいと思うようになりました。
優しいだけでは駄目なのでしょうか。
なぜ、つけこまれるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
優しさには、「強さ」という裏付けが必要
他者を尊重し、優しく接してあげたい。でも、人に付け込まれたり攻撃されたりするのは嫌だ。やはり、自分を守りたい。というお考えであると理解致しました。
1、優しくあるためには
自分のやるべきことをきちんとこなせること。時間的にも、精神的にも、周囲を見渡す余裕を持つ。それ故、他者の置かれている状況を的確に把握し、必要な方々には言葉を掛けたり手を差し伸べたりする。要は「強さ」「安全」という裏付けがあってこそ、優しさは成り立つと思います。
「なるほど。」とは思えるかもしれないが、現実にこんなことを出来る人はそうそういません。お釈迦様ぐらいです。そうです。お釈迦様をお手本として生きることです。お釈迦様ではあまりにも目標が高すぎるなら、職場や御近所でそういうお手本になりそうな人を見つけ、その方を見習って自分のスキルを磨いていきましょう。ここで言う「強さ」については他の質問への回答を参照してください。http://hasunoha.jp/questions/3588
2、自分を守りたい
国家レベルで言えば、防衛力を保持することですね。つまり、全てのジャンルに用心棒を雇う事です。用心棒を現代に置き換えると、法律面で、弁護士。税務会計に税理士・公認会計士。経営財務に経営コンサルタントやファイナンシャルプランナー。会社の労務管理に社会保険労務士。身の安全にボデイーガード。手紙・e-mailの送受信に秘書。ファッションはスタイリスト。化粧はメーキャップアーチスト等々。全部門ではないにしろ、これらの専門家に守ってもらっている方々が相当数居ます。これら専門家の持つ能力を自分で兼ね備えるのが理想ですが、現実には無理ですよね。
それで現実にどう対応するかと言えば、「A社会的常識は、身に付ける。」「B力になってくれる人脈を広げる。」の2点です。
A
詐欺とまでいかなくても、ネット・電話・訪問の営業で不要なものを買わされたり、必要以上のリフォーム契約をさせられたり、ということがあります。巧みな営業トークを見抜き論破するくらいの知識は必要かと思います。
B
自分を支え守ってくれる人。相談に乗り、支えてくれる人。そういう方々が常に側に居る。そういう人脈・ネットワークを作る。同時にあなた自身も日頃から周囲の方々の支えとなり、力となってあげることです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
子どもを産み育てる内に、自分を守りたい、立ち位置を確保しなくては存在意義を失うという感覚が染み付いていた気がします。
自分を守りたい、そんな自己保身の心は膨れ上がるのに、私には中身がないので、自信の無さが表れてしまっていたのかと、振り返りました。
攻撃したくないのは、攻撃されたくないからというだけで、純粋な人への優しさではなかったのかもしれません。いえ、そう思いたくないので、社会的な常識や知識を身につけて勉強していかなくてはと思いました。
また思えたり気づけたら、追記させてください。