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ホームシックと自己嫌悪の乗り越え方

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帰省から戻り、ホームシックが酷いです。実家に帰っている間、母も父もすごく優しくしてくれました。ほんの数日間の帰省でしたが、一緒にテレビを見たとか、ご飯を食べたり買い物に行ったり、そういう些細な出来事を思い出しては涙が出ます。
私は30歳になりますが、結婚していません。また、年相応に成熟しておらず精神が幼いと思っています。本当は両親は孫が欲しいのではないか、孫に与えるべき優しさを自分に向けてくれているのではないかとか考えてしまい切なくなり、自分が情けなく思います。少し前までは、結婚して欲しい、孫が欲しいとかよく言っていた母も、今回はそのような言葉が有りませんでした。それどころか、結婚をしないとか色んな生き方があることを認めるような発言も会話の中で出てきて、それは私にとっては気楽なことですが、何処かで諦めさせてしまったのか、無理に気持ちに折り合いを付けさせてしまったのか、等と考えてしまい、罪悪感があります。
私も親に孫の顔を見せたいし、人並みに(?)子どもが欲しい気持ちはあり、でもいくらお付き合い等してみても、結婚をすることが想像できず、本心では結婚をしたくないのかもとさえ最近は思えてきています。そもそもまず人を好きになること自体が難しい性分です。
親ももう若くないし、生きているうちにあと何度会えるのかなとか考えるだけで胸が苦しくなります。親孝行したい・親を安心させたい反面、したいように生きたい、またそういう風にしか生きられないというジレンマで、自分に腹が立ちます。結局は我儘さが根底にあり、それが未熟だと思う所以ですが、しかし普通の人ができて当然のことが出来ない自分はどうしてこんな人間なんだろう?とか考えずにはいられません。なんだか、毎日何かのリミットに追われているような気がして、しんどいです。今回ホームシックをきっかけにこのような想いが一層強くなりました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の中を愛情いっぱいで満たしてください。

シド 様 相談ありがとうございます。

御両親の愛情に満たされて良かったですね。
「したいように生きたい、そういう風にしか生きられない」が自己成就するとして、その生き方でも、恋愛、結婚、親に孫を見せたいという希望は、叶えられるのではないでしょうか?
何処かで、視野が狭くなっていませんか!?
生きたいように生きて、結婚出産した人は沢山いると思いますよ。
ちょっとそんな人を参考にしてみましょう。
可能性は充分にあると思います。
自分の人生の引き出しを増やすつもりで、固定観念を待たずに回りを見渡し、沢山の可能性を選択肢に入れて、希望が自己成就しながらも、御両親が喜ぶような方向性を考えてみては如何でしょうか。
「そもそもまず人を好きになること自体が難しい性分です。」これは思い込みですね。ご両親は好きなのでしょう?。だったら充分に人を好きになる要素はあります。心配いりません。その難しい性分と思い込んでいるのは、自分に優しくして思いやりを向けて自己肯定感をあげていけば、やがて難しい性分でなくなりますので、お母様からいただいた愛情や優しさをよく思い出して、それを癒しとして自分の中を愛情いっぱいで満たしてください。そしてその愛情や思いやりを他人に振り向けてください。愛情や思いやりを分け与えてください。そうすることで自然と笑顔が多くなり、もしかしたらおそらく、恋愛というものが始まるでしょう。
私はそう思います。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。他人がかかわることが苦痛とまで感じているんですね。そしてやはり自分の事を「どうしてこんな人間なんだ、情けない、人と違う、可哀そうな人」と思ってしまうのですね。でも諦めないでくださいね。方法は沢山あります。思いやりを自分に向ける感覚が解らないのはその方法を知らないだけです。主には、あなたの大親友が同じ悩みで困っていたらあなたは、どのように優しくしますか?それを自分に振り向けてみましょう。それと神経系エクササイズをお薦めします。参考書は、浅井咲子著「今ここ神経系エクササイズ」(梨の木舎)です。きっと役に立つと思います。字数制限でここまでです。メールをいただければ自分に思いやりの向け方をお知らせしたりできます。宜しければどうぞ。ご縁に感謝申し上げます。一礼

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お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

釋孝修さま

ご回答ありがとうございました。
以前こちらで相談をした際にも、釋さまから温かいお言葉をいただきました。こんなとりとめのない相談にも耳を傾けて頂き、いつも本当にありがとうございます。

私の中で、生きたいように生きたいというのは、人を好きになることが難しい…というよりも苦痛だから、そんな思いをしてまでだれかと恋愛したり結婚したりしなくても良いのでは、ということです。(でも子どもは欲しい、矛盾していますよね。)何故苦痛だと思うのか自分なりに考えたのですが、自分の人生にまったくの他人(夫婦って他人同士ですよね)が大きく関わるということが、何かこれまでの自分自身を侵食されるような感覚がして気持ちが悪いからです。どうしてこのように思うのか、わかりません。
自己肯定感が低い人は機能不全家庭で育ったなどとよく聞きますが、私の親は毒親とかではありません。母は少し過干渉気味でしたが、それも母親としてはよくあるレベルのものです。
確かに、人を好きになれない=思い込み なのかもしれません。それは分かっているのですが、どうすればその思い込みを消すことができるのか、自分に優しくする・自分の中を愛情で満たすという感覚がわかりません。自分のことを考えるといつも、「どうしてこんな人間なんだ、情けない、人と違う、可哀そうな人」と思ってしまいます。

周りの人に思いやりを向けて優しくする、というのは、以前アドバイスいただいたときから意識的にしていましたが、またその心構えを忘れかけていたので実践していきたいと思います。

釋孝修さま
回答に追記まで、ありがとうございます。
神経系エクササイズというものがあるのですね。ご紹介いただいた本を参考にして自分にできることから実践していきます。
親友が同じように悩んでいたら多分、自分が楽になるように生きて、そのままで大丈夫、とアドバイスする気がします。ただ、その感覚を自分に向けるのがやっぱり難しく、それは何故かというと私自身には「そのままで良い」と思える何か美点というか、良い所が自分自身にの中に見出せていないからかもしれません。
現にこうして釋さまから優しい言葉やアドバイスをいただいているのに、心が硬すぎる自分が嫌になります。無理矢理自分の事が嫌いになるような方向に考えてしまっているのでは?とさえ思います。数年前、カウンセリングにも通っていたことがあるのですが、変わろうと頑張るのは最初だけ、自分が変わるのは難しいと思って諦めて、続かなくて… カウンセラーの方に申し訳なかったです。
でもまた決心がついたら、メール相談・オンライン相談をさせていただきたいと思っています。見ず知らずのネット越しの人間の悩みに寄り添ってくださり、本当に本当にありがとうございます。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

自分が嫌いです。

2度目になりますが、また相談をさせていただきます。 私は、小学校の頃に自分がしてしまったことをとても後悔しています。 私は小学校低学年の頃、授業中に発言したい人が手を挙げるとき、自分じゃない子を先生が当てると物凄くその子を睨んでしまっていました。 また、所属していたクラブチームのようなところでも一つ一つのメニューが終わってタッチするような場面で意図的に誰かを避けたりしてしまっていました。 他にも、無視したり睨んだりというようなことをしてきてしまっています。 小学校4年生ぐらいの頃に先生に1度叱られた時、友達に素直に謝ることが出来ませんでした。 また、小学校低学年の頃、友達に和式のトイレの仕方を教えるために一緒にトイレに入るということもしてしまいました。実は相手は嫌がっていたのではと思い、卒業する前に謝ろうと思いましたが、正解が分からなくなってしまい結局何も言えないまま進学してしまいました。その子はとても優しく、小学校のとき校舎内で会うと声をかけてくれました。その後会えた時、話しかけてみた時はかなり引かれたというか表情は暗かったような気がします。 私はきっと日頃相手に対して威圧的な態度を取ってしまっていたと思います。 このように、酷いことばかりしてきた私は、相手への申し訳なさと後悔、その中で、私は捕まってしまうのではという恐怖が生まれ強迫性障害気味になってしまいました。自業自得です。 今もこの相談内容を読んだ人に訴えられるのではと恐怖を感じています。 世界 で私以上に酷く最低な人間はいないと思います。 数え切れないほど多くの人を傷つけてしまった私が、幸せを求めてはいけないことはわかっています。 ですが、きっとまともに反省もでにていないのに、どこかで幸せを求めたり、自分を好きになってもいいのかなと思ったりてしまう自分がいます。 また、私の行動によって心に傷ができてしまっているのでは、そうなったら私はどうしたらと思ってしまう自分もいます。反省できていない証拠ですよね。 私は将来医者になりたいです。ですが、こんな酷い人間が夢を持っていいのか、や訴えられたらどうしよう、相手は傷ついてしまっているかもしれないのに、と色々考えてしまいます。 私はどう生きていけばいいのでしょうか。 読みずらい文章ですが、読んで下さりありがとうございました。

有り難し有り難し 3
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他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

有り難し有り難し 10
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私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

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自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

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自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

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