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自信のつけかた

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

こんにちは。
私は3年ほど、仕事から離れていました。面接試験を受けても「こいつ雇う?どうする?」「女のくせに、いっぱし仕事しようとしてるんじゃねーよ」「資格ばか」など言われます。挙げ句の果てには「面接に呼んでないのに勝手に来た」です。そんな馬鹿な…。必死になって資格取得すべく勉強してきて、この始末。そんなこんなを言われるうちに仕事をする自信が全くなくなりました。
どうしたら自信をつける事ができるのでしょうか?
とはいえ、なんとなくは分かっています。正社員としてだけではなく、アルバイトでもして仕事に慣れれば良いのだと思うんです。それに、そんな会社はこっちからノーサンキューで良いと思うのですが。
でも、それでも、どこか納得していませんし、自分を奮い立たせる事も出来なくなってきました。
お坊さんの自分を奮い立たせる方法はなんでしょうか?  

お忙しい中、恐縮ですがご回答をお待ちしております。
よろしくお願い致します。

2022年5月8日 13:09

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が本当に大事にしているものの為なら奮い立てる

仕事の面接で、差別的なことを言われたのですね。必死に勉強したのにお呼びでないと言われる。酷いですね、相談を読み私自身面接官に怒りを覚えました。一生懸命自分の道を行こうとしている人に対して、そんなことを言うべきではないと腹立たしく思います。
まず、質問者様の質問は色々な問題が絡み合っているように思いました。
①なにより、年齢や女性ということで差別される事への憤り。
②自分を生かせる仕事をしたいと願っているがそれが叶えられない。
③自分を奮い立たせることができない…等
まず、③に関してなのですが、奮い立てなくなっていること自体があなたの責任というよりも、これまでの様々な傷つきや社会に蔓延する差別性①から来ているように思うのです。だから、あなたの責任でない部分が大きいと思うのです。ですから、まずすべきことは貴方が何を大事にしたいのかを明らかにして、貴方をちゃんと認めてくれるような場所、自分を大事にできる場所を拒絶されることがあってもコツコツ探すということが出来ることかと思うのです。人を年齢や性別で差別する会社のために働く必要はないし、そんなもののために生きているのではない。僧侶はどうやって自分を奮い立たせるかということなのですが、あくまで私の場合ですが、私の場合は「真理を知る」「本当の事を知る」ためにだったら自分の力を尽くせると思っています。しかし、人づき合いとか、飲み会とか、上司の顔色をうかがう、こういうことには全く自分を尽くせないですし、尽くさなくて良いと思うようになりました。自分の力を尽くすべき場所はそういう場ではないと割り切っています。
そして、私が思うに、私はこの問題は社会の方を変えていく必要がある問題だと感じるのですね。この社会には今も明らかに年齢差別・性差別がある。そういう事は先人の地道な社会運動で改善してきたのです。男女雇用機会均等法などがそうですね。ですから、私たちは、私達より若い世代が、不公平を味あわないでいいように、社会を変えていく必要があると思うのです。貴方の問題は貴方だけの問題でない事に繋がっている。どう考えても、あなたに浴びせられた言葉はおかしい。しかし、そういう現状を少しでも変えられるように尽くすことは私たちにもできるはずです。他の人には同じ思いをさせない、同じ悲しみを味あわせない。実は奮い立たせる道はそういう社会の方に向ける道もあるのです。

2022年5月8日 14:14
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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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質問者からのお礼

釈義光 様
お忙しい中、ご回答を有難うございます。
割り切るところは割り切っていいんだ、と思ったのが一点あり、少し心が軽くなった気がします。
また一点「社会を変える」という言葉がグッときました。まだまだ未熟な私が何に重きを置くか、もう一度考え、おっしゃるようにコツコツと探していきたいと思いました。その中で確立し、女性だろうが何だろうが、やる気があればできるんだ、という事を証明したいと思えました。
次世代を担う若者が、今を生きる老若男女が精一杯に頑張れる社会をつくる、その一人でありたいと思います。今はそう簡単に思えない部分もあるにはありますが、目指したいと思います。
有難うございました。

あれから1ヶ月が経ったとの事、未だコツコツ職探しをしています。ゴールが見えそうにもなく、何もかもに嫌気が差してきたのも事実です。そんな中で、無心で毎朝、仏壇の掃除をしています。その時間だけ何だか救われます。

「自分に自信がない」問答一覧

他人の罪は許せないのに自分は許されたい

お世話になっております。 いつも回答と優しいお言葉をありがとうございます。 皆様お忙しい時に恐縮ですがまた質問させてください。 質問はタイトルの通りです。 他人の罪は許せないのに自分の罪は許して欲しいという 都合のいいことは叶うのでしょうか。 これまで皆様から頂いた回答のお陰で色々と考えが良い方向へと変わってきました。 それで自分自身やこれまでの出来事 加害者達のことを見つめ直している内に ふと、自分も意識しないままに 他者を傷つけていたかもしれない 自分も誰かへの加害者かもしれない ということに気付きました。 もしそうならその被害者達にとても申し訳なくて 馬鹿な自分が恥ずかしくて 憎まれ恨まれていることが怖くて ごめんなさい後悔しています、と それらの出来事を思う度に懺悔しています。 けれどそうやって自分は許して欲しいと思うのに 自分は加害者が許せません。 これから先はわかりませんが 今はまだ許せません。 他人の罪は許せないのに自分の罪は許して欲しい そんな都合のいいことが叶うのか 叶うべきではないことだ、と考える自分と 叶ってほしい、と考える自分との間で揺れていて 自己嫌悪、後悔、恐怖、羞恥、憎悪でぐちゃぐちゃで苦しくて堪りません。 お手隙の際で構いませんので 何かお言葉を頂けたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

間違った正義感

こんばんは。 私には好きなアーティストがいます。 そのアーティストのことを呟いたり、そのアーティストを好きな人同士で交流する用のSNSのアカウントがあります。 3年前のことです。所謂同担拒否の方のアカウントを見かけてしまい、その方は友達募集の呟きを投稿していました。その呟きには「同担需要ない」といった文言が含まれており、当時私は凄く動揺してしまったというか私の存在が否定されてしまった気がして、傷つきと怒りが込み上げてきてしまいました。そのアーティスト自身が同担拒否について苦手意識を持っているため余計にそう感じてしまいました。何を思ったのか私はそのアーティストのファンについて書かれている掲示板に行き(ファンがマナーの悪いファンを批判しているような掲示板で雰囲気はあまり良くない掲示板です)「〇〇って人の友達募集の呟きが不快。お前の方が需要ない」と書き込んでしまいました。ですが私の書き込みを気に留める人はおらずそのまま流れていきました。その時の私は、発散できただけで満足であり書き込んだのはその一回だけです。 今現在、引越しや転職をする不安からか別の過去の出来事の罪悪感に陥っており、その流れで掲示板に書き込んでしまったことも思い出し罪悪感を抱いています。今その掲示板は書き込める上限に達し新たなスレッドが作られている状態です。一度書き込んで以来全く書き込んでいないのですが、間違った正義感を振りかざしてしまったと後悔しています。流れてしまった書き込みであり、今はおそらく誰も見ていないスレッドではありますが穴に入りたい気分です。 お相手は今どうしているんだろうとふと思い、記憶を辿ってアカウントを探したところ今は同担拒否ではなくなっているようでした。非公開になっていたためどういう呟きがされているかは分かりませんでしたが… 私はこの後悔とどう向き合っていくべきでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

自分が情けないと思う

こんばんは。私は幼いころ人に沢山迷惑をかけたり傷つけたりしてきました。 思い出すだけで穴に入りたい気分になります。 定期的に思い出してはどうしてあんなことをしてしまったんだろう、なんて未熟な人間だったんだろうと後悔するばかりでそのことが頭の中でずっとグルグルしています。すぐに切り替えられる時もあるのですが、休んでいる時や何もしていない時などは特にグルグル思考に陥ってしまいます。 ある出来事がきっかけで人に迷惑をかけない、傷つけないと決めてからなんとか自分を変えてきたつもりで、現在20代も半ばですが自分を好いてくれる人も多いです(恋愛的な意味ではなく信頼の意味) ですがその人たちをなんだか騙しているような気がして情けなくなります。自分はそんな好いてもらえる人間ではないと思ってしまいます。 今年に入ってすぐですが、私がとても傷つけられた出来事があり病んでしまい仕事を退職しました。暫くはその事を引きずっていたのですが今は落ち着いてきました。それと同時に人って大なり小なり人に迷惑をかけたり傷つけたりするんだな、私だけじゃないんだなと思う反面、過去にしてきたことが帰ってきた因果応報なのではないかと思ってしまいます。 考えたって過去は変えられないというのは頭では分かっているつもりなのですがどうしてもグルグル思考から逃れられません。 私は今後この後悔とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

盗撮をしようとしてしまいました

一年ほど前、電車内で前に座っておられた方を魔が差して盗撮しようとしてしまいました。 当時、自分は別の健全な目的で無音カメラのアプリを入れていました。また、自分のスマホのカメラには広い角度で撮れる機能がついていました。これらを使えば、スマホを向けずとも簡単に盗撮ができるのではないかと思ってしまいました。そしてその方が映るようにカメラを起動してしまいました。 シャッターを切る前に我に返り、アプリをすぐ閉じました。そして無音アプリを悪用しようとしてしまったことが恐ろしくなり、その場ですぐに無音アプリを削除しました。それ以降、盗撮しようとしてしまったことをずっと後悔しています。 シャッターを切らなかったとはいえ、盗撮未遂も盗撮と同様に犯罪です。盗撮や痴漢防止のポスター等を見たときなど、事あるごとに過去の過ちを思い出し、罪悪感で胸が苦しくなります。本来なら謝罪し、罪を償うべきですが、それを包み隠さず打ち明ける勇気がなく、ここまできてしまいました。 自分が撮ろうとしてしまった方は、おそらく自分のやろうとしてしまった事には気づいておられませんでした。また、証拠となる写真は撮っていないことから、自分が言わなければ誰にもこのことはわからないと思います。しかし、そのことが却ってつらく感じます。かと言って誰かに打ち明ける勇気もなく、保身に走る自分がとても嫌になります。 世界には盗撮や性犯罪に苦しむ方が大勢おられます。自分も過去に猥褻なことをされたことがあり、被害に遭われている方の気持ちがわかっていたつもりでいました。しかし、自分の軽はずみな行動で自分自身が加害者の側に立ち、人を傷つけようとしてしまいました。 この罪とどのように向き合っていくべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 21
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ