皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

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怒りを静めるにはどうしたら良いですか?

他人が細かいルール違反をすると鬼のように怒りを持ってしまいます

例えば、赤信号なんてちょっとくらいなら渡っても構わない
と分かっていますが、そういう光景を見るととても強い怒りを覚えてしまい

車に轢かれてしまえばいいのに と呪いのような気持ちを持ってしまいます。これでは本末転倒です。

他人の些事に一々怒りを持たないようにするにはどうしたらよろしいでしょうか?

有り難し 15
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

ムリです

怒りは静まりません。

実はボクもおんなじです。毎日、月忌参りなどで車の運転をしていますが、横断歩道のない場所を渡る歩行者や自転車、無ウィンカーで車線変更や右左折をする車に憤りを感じ、日々の生活でのストレスの多くを運転中に感じています。

場合によっては、横断する歩行者に窓を開けて「あぶないですよ! 横断歩道を渡りましょう!」と大きな声で言ったりもします。ただし、けしてケンカを売るような口調では言いませんが。

しかし、それよりも自分がしっかりした運転マナーを守ることで自分のスタンスを表現するようにしています。

その怒りの根源は何か?

「自分は守っているのに、なぜあなたは守らないのか?」ですか?

「社会がおかしいのは、こういう些細なルール違反がまかり通るからである」ですか?

では、お聞きします。

あなたは社会のルールを100%厳守してますか?

自分の中で「これは守らねばならないが、これは良いだろう」という仕分けが存在しませんか?

たとえば、40キロと書かれた道路を1キロもオーバーすることなく走っていますか?

ルール違反に、ここまでは良くてここからはアカンという自己ルールを持っていませんか?

ボクは持っていますよ。だから、大同小異なんですよ、みんな。

自分を客観視してみましょう。

主観視では見えない自分の姿を見てみることをおススメします。

それに慣れてきたら、人にもそれをススメましょう。

私が私が、俺が俺が、と言っている自分を客観視することで、自他の差はそんなに大きくないことが見えてくると思いますよ。

そして、そこでそんな自分と他がおんなじ目線で交わるご縁ができ、お互いに「あ、そうやなぁ」ていう共感が生まれてくると思います。

主観視を絶対化しないことが肝要かと。

合掌

自分を入れない、注がない、差し挟まない。

・怒りの原因は自分の意見の押し付けである
・怒りは期待によって生まれる
・怒りはのぞみが得られない時に生じる
・怒りはワタクシすることによって生じる
だからこそ、
自分を観る事、見つめる事、観察することです。
心をいつも相手に持ってかれておられると思います。
自分の内なる小さな「要求」に気づいてください。
相手側は、あなたの意思や願いとは無関係に動いています。
相手にマイルールを押し付けないことです。
望ましくない相手、出来事、状況。
それそのものをそのままにLET IT GOして、ナイススル~してください。
出来事や物事、相手に対して、自分のルールを押し付けたり、過干渉したり、自分が主役になって物事を扱おうとすると怒りが起きるのです。
私はこう考えています。
世の中に自分のものなど元々何もないのだと。
だから相手や状況が「そう」だとしても、ワタクシ意識を過剰に差し挟まないようにしています。
相手をワタクシ化、自分の事化、ワタクシナイズしたり、理想を押し付けることで、実際の現実との間にギャップが生まれてイラつくのです。
イラつくくらいなら、関わらないほうがマシです。
「これは私が関与すべき問題ではない」と、ブレーキをかけて、それをそのままに往かせてあげてください。
LET IT GO~
LET IT GO~♪
相手がどうであろうと、
LET IT GO
LET IT GO
その人はその人の生きざま。
私が気にかける必要もない、
自分の事として取り扱わなければイイのヨ。
そうすれば、
少しもイラつかないわ♪、です。 

「他人にはあまく、そして、自分にはもっとあまく」

porco様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「怒り」に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。特に最近では「慈悲の瞑想」をお薦めさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318707.html

今回は少し拙経験からお答えさせて頂こうかと存じております。

拙修行時代の先輩で、結構理不尽なことの多い小さな世界の中において、あまり怒らない、怒りの表情を表立って見せたことのない方がいらっしゃいました。素晴らしく人格的にできた方であったと今でも尊敬致しておりますが、ある時に「どうしてそんなにいつも怒らずに過ごせるのでしょうか?」と聞いたことがありました。

そうすると、その方はこのようにおっしゃっていました。

「他人にはあまく、そして、自分にはもっとあまく」と。

普通であれば、「他人にはあまく、自分には厳しく」となるところですが、その先輩の「怒り」を抱えること無くに、何事も淡々とこなされている様子を拝見するに、妙になるほどと納得したことがあります。もちろん、自分にあまいことはなく、他人の不始末なことでも嫌な顔をされずにフォローされていたりしておられました。

今から振り返りますと、怒りを抱えずに過ごす上で、これもある意味では、寛大な心、寛容な心を養う「慈悲の瞑想」に通じるところがあるのかなとも思います。

他人と自分の幸せ、つまり、「自利利他」と言えば、仏教用語としてピッタリとなりますが、他人も自分も「許す」ことによって、双方が「怒り」を抱えずに過ごせるということになるということではないかと存じます。

ただ、間違ってはいけないのは、本当に自分にもっとあまくになってしまうと、ただの堕落、懈怠になってしまいますので、他人を許すための方便としてご理解を頂けましたらと存じております。

また、興味がありましたら「慈悲の瞑想」も是非ご一考下さいませ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/慈悲の瞑想

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

回答有難うございます
自分よがりに考えてしまっていました
相手の目線に立つことを忘れずに他者への共感をより感じるように暮らしていきたいと思います。

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