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些細な失敗で自分が嫌になります。

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初めまして、今回初めて質問させていただきます。

私は本当に些細な事や失敗で自分が嫌になり、「死にたい」「自分殺してくれ」と思ってしまいます。

些細なことや失敗を例えると、仕事上での言葉選びを間違えたり、確認ミスだったりと本当に些細なことです。
もし他の人が同じミスをしたとしても、些細なことだと思うし、ミスを謝る相手にも「大丈夫、気にしないで」等と伝えます。しかし、そのミスをしたのが私だと何故か許せないのです。

「こんなことも出来ない私は死んだほうがいい」
「消えてしまいたい」
「存在する価値がない」
上記のように極端に思ってしまい、頭の中がいっぱいになります。
また、過去の失敗を思い出しても同じように思ってしまいます。

このように「些細なこと・失敗」で極端に、気分が落ち込み自己嫌悪する自分とどう向き合って、改善すればいいのでしょうか。

長文、乱文失礼いたしました。
何卒よろしくお願いします。

2024年1月19日 10:35

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自己批判を変化させるために。

わたぬき 様 相談ありがとうございます。

些細な失敗で過度に自分を責めてしまうのは、トラウマ的な恥の記憶や、誰かから責められた時に、自己批判をする心の癖がついたのが原因の場合が多いですね。
恥をかいてはいけないと、転ばぬ先の杖のように思い込み、事前にプレッシャーをかけすぎて、失敗を過度に恐れて動けない場合や、一つの小さなミスから他者からの異常な批判や虐めを思い出し、今はそんなに他者から批判させることもないのに、自己非批判を先にして他者からの批判を回避するなどが起こります。
辛い心境かと思いますが、その状況は自分を守るために起こしている自己批判と言えます。つまり自己批判はこれ以上怖い体験を回避するために起こす、あなたなりの解決方法とえいます。
しかし、自己批判はあなたが言うように「存在する価値がない」とまで思い込み、ネガティブ感情を増幅させて、さらなる落ち込み・自己嫌悪のような状態になるという期待しない結果となっています。これが今のあなたの状況かと思います。

そこから抜け出すのは、まず癒されることです。思いやりや優しさを感じた時を思い出しその感覚に浸ることや、ペットやぬいぐるみを抱きしめたり、信頼している人にハグをしてもらったりして、温かさを感じてみてください。心と体の温もりを感じた時、心が落ち着いて自己批判がおさまっていくと思います。そして、自己批判をしても、それは脳が葛藤して勝手に起こしている反応と思い「自分のせいじゃない、自分が悪いのではない、自分に責任はない」と繰り返し、繰り返し何度もつぶやきましょう。
さらに、自分に思いやりをむけて、自己批判をする自分をいたわり、自分に優しさを向けて、自分の心を穏やかにして自分を寛容にみることで段々とネガティブ感情から離れて、勇気と強い気持ちを持てるようになっていけると思います。
最初は慣れないかもしれませんが日々思いやりを向けると自己批判が良い方向へ変化しますので、実践してみてください。難しい時は何度でもご相談ください。
一礼

2024年1月19日 21:31
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おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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思いを仏様に預け、任せましょう

 「自分が嫌、自分を許せない、自己嫌悪…」おつらいご心中お察しいたします。
 自分を好きになれないあなたは御自分への要求が高いのですね。御自分の些細なミス・失敗を受け入れられない…今の自分では許せない、認められないのでしょう。
 でも、認めてあげましょうよ、御自分を。だって御自身なんですから。
 御自分ではミスをしないように懸命に働き、また様々に努力なさっていらっしゃるのでしょう。周囲の人はそんなあなたを、少なくともあなた以上には認めていらっしゃるのではないですか。
 御自分に対する要求を取り下げましょう。その思いを手放しましょう。
 仏様はあなたのお辛い気持ちを汲み、また引き取ってくださいます。そのようにあなたにはたらきかけて下さっていることを受け止めて下さい。
 あなたが御自分を嫌悪する思いを遥かに超えて、あなたを深い御心でもって慈しんでくださる存在が仏様です。
 あなたがそのおはたらきを頂けたとき、あなたの心はこの上なく安らかなものとなることでしょう。
 そんな仏様のはたらきなんて…とおっしゃらないで、まずは「そんなものかな」とそのまま素直に受け止めて下さい。
 その方が心軽く、ラクに生きることが出来ます。
 あなたが信じなくてもよい…仏様のおはたらきはあなたの思いを超越していますから、そのおはたらきは疑おうが否定しようが無くなることもなく変わることもありません。
 御仏のお慈悲の御心をどうかそのまま頂き、あなたの御自身を責め立てる御心を仏様に預けてください。
 仏様はあなたのことを「視(み)そなわすこと 自己のごとし」と、御自身の問題と受け止めて下さる存在です。
 あなたの苦悩が仏様の痛みとなっていく世界です。だからあなたを放っておきません。あなたの苦悩を奪い取ろうとはたらいて下さっています。
 どうかそんな仏様にあなたのその心を任せてください。思いを手放してください。そのことばかりを申し上げます。そしてどうか仏様のそんなおはたらきをいつも思い出してくださいませ…。

2024年1月19日 21:38
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お答えいただきありがとうございます。

少なからず身近に私のことを案じてくれる、好いていてくれる家族・友人が居ます。だからこそ、この自己嫌悪をどうにかしたかったのです。
ご回答を拝読させて頂き、私の自己嫌悪が「自己批判」だと改めて理解しました。
まだまだ先は長いかと思いますが、自分の心を癒しながら「そんなもんなんだ」と思いながら生活が出来るように無理の無い程度に努めていきます。

本当にありがとうございました。

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他人に心を開けずひとりぼっちです

人に妬まれることに不安を感じます。 それゆえに他人との会話でどこまで自分を出せばいいかわからずいつも聞き手になってしまい、自分のことがわからなくなりました。 私はある分野で能力があると認められ周りから褒められる機会が沢山ありました。 元々自信がないタイプなため自分が褒められているのを第3者視点で見て他人から妬まれていると思ってしまい、自分を出すことに引け目を感じます。 他人と会話する時自分のことを話すと自慢と捉えられるかも、と思ったりナルシストだと思われたくなくて自分のことを話すのが極端に苦手です。 そのため自分のやっている分野、活動に自信が持てません。 他人が自分を攻撃する人のように見えてしまったり自分の殻に篭りがちになり、自己開示できなかったり対人関係をどのように築けばいいかわからなくなってしまったみたいです。 これから1人で生きていく時に誰とも関われずひとりぼっちになってしまう予感がしています。それがとても怖いけれど他人との関わりも怖く堂々巡りです。挑戦も怖いです。最近はもうこんな人生辞めたいとまで思ってしまっています…もっと自信があればもっと活動的になれて友達もできるんだと思います。 本当は自分の能力を正しく認めたいのですが、注目されるとものすごく怖くなってしまい、謙虚なのか卑下なのかわからない状態になり、自己アピールも難しいです。 会話の時はひたすら聞き手になっています。 聞き続けるのが辛いと思う時もあり、自分を出せたら違うのかなと思う時もあります。 長々と申し訳ございません。 このような質問はお坊様から見るととてもくだらないものかと思いますが、お坊様が考える正しい人間関係はどのようなものでしょうか? そしてこれは疑問なのですが妬まれることが怖いのは傲慢なのでしょうか。 またこのような私が自分をどの程度出せば良いと思いますか?

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小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

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はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

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