hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

芸術等で人を感動させてはいけない?

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

しぇりーと申します。
動揺しているので変な文章かもしれませんが、お坊様のお考えをお聞かせいただければと思って投稿します。

私は昔からお芝居が好きで、学生時代の演劇部に始まり、現在もアマチュアの役者をしております。
あいにくプロにはなっておりませんが、それでも人を感動させたい、少しでも長く芝居を続けたいと考えております。
ですが、先日、別件でネット検索をしていたところ、あるお経に「芸能を生業にしている者は、人々の煩悩を強めているので地獄に落ちる」と書いてあるという情報を目にしてひどくショックを受けました…恥ずかしながら、動揺しすぎて泣きました(恥)
芸能を志し、人を感動させたいと思う人間は、仏教から見ると犯罪者も同然(むしろそれ以上?)の悪人なのでしょうか。

今まで生き甲斐にしていたものを全否定されて落ち込んでいます。
かと言って、今すぐ芝居をやめることなどできそうにありません。(意思が弱いとお叱りを受けそうですが)
一体、どう考えたら良いのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去の芸能と、現代の芸能

しぇりーさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

仏教のルールを「戒律(かいりつ)」と言います。出家していない一般仏教徒が普段守るのは五戒、また日限を決めて守る八戒斎というものがあります。
その八戒斎の中に「不歌舞観聴戒(ふかぶかんちょうかい)」というものがあり、文字通り歌や舞を見聞きすることを禁ずる戒律です。歌や舞の中に、演劇も含まれるのではないかと思います。

ただ、古代のインドで歌や演劇を行っていたのがどういった人たちだったか考える必要があります。
たとえば日本では、平安〜鎌倉時代に白拍子(しらびょうし)という、歌舞を生業とする人たちがいたようですが、遊女としての性質も持っていたようです。
つまり、近世に至るまで歌舞芸能を生業にするということは、大地に根を下ろして生活をしている庶民から見て、なにか不思議で怪しげな存在だったのでしょう。
ですからそれに近づくような行為=歌舞観聴を禁ずる戒律があったのでしょうし、しぇりーさんが目にしたお経のような表現もあったのだと思います。

しぇりーさんは演劇をされているのですね。
実は私の妻も学生時代の演劇部から始まり、しぇりーさんよりだいぶ年上ですが、今でも下北沢などの小劇場で舞台に立っています。

また、僧侶である私と夫婦になったことで、お寺での芝居を始めました。
詩人の金子みすゞさんの生涯を描く「金子みすゞ いのちへのまなざし」は今年で10周年を迎え、日本各地のお寺に招いて頂き、120回以上の回数を重ねています。

3年前に始めた、浄土真宗 宗祖 親鸞聖人の妻を描いた「恵信尼ものがたり」も30回近くになり、今月には観無量寿経というお経をテーマにした新たな演目「イダイケの涙」も始めます。

これらの演目は、お芝居を通じて仏教を分かりやすく伝えることを目的としていますし、感動して涙を流して下さる方もいらっしゃいます。しぇりーさんが目にしたお経が成立した当時とは、時代背景も状況も異なっているでしょうから、現代で舞台に立つことが地獄に落ちる原因にはなりません。

しぇりーさん。今後も舞台に立って、観て下さる人々に感動を分かちあげて参りましょう。

参考までに妻のブログもお知らせしておきます。
http://kanako3.blog.so-net.ne.jp/

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

浦上 哲也様
はじめまして、お答えありがとうございます。
お経はその時代背景等を踏まえて理解するべきということなのでしょうか。なかなか難しいですね…。
歌・踊り・お芝居などは、今の仏教から見ると、必ずしも忌み嫌うべきものではないのですね。
(正直に言いますと、優しいお言葉を頂いたにも関わらずまだ少し動揺していますが…笑)
奥様のブログも拝読いたしました。金子みすゞさんの優しい詩、私も大好きです。

「自分に自信がない」問答一覧

他人の罪は許せないのに自分は許されたい

お世話になっております。 いつも回答と優しいお言葉をありがとうございます。 皆様お忙しい時に恐縮ですがまた質問させてください。 質問はタイトルの通りです。 他人の罪は許せないのに自分の罪は許して欲しいという 都合のいいことは叶うのでしょうか。 これまで皆様から頂いた回答のお陰で色々と考えが良い方向へと変わってきました。 それで自分自身やこれまでの出来事 加害者達のことを見つめ直している内に ふと、自分も意識しないままに 他者を傷つけていたかもしれない 自分も誰かへの加害者かもしれない ということに気付きました。 もしそうならその被害者達にとても申し訳なくて 馬鹿な自分が恥ずかしくて 憎まれ恨まれていることが怖くて ごめんなさい後悔しています、と それらの出来事を思う度に懺悔しています。 けれどそうやって自分は許して欲しいと思うのに 自分は加害者が許せません。 これから先はわかりませんが 今はまだ許せません。 他人の罪は許せないのに自分の罪は許して欲しい そんな都合のいいことが叶うのか 叶うべきではないことだ、と考える自分と 叶ってほしい、と考える自分との間で揺れていて 自己嫌悪、後悔、恐怖、羞恥、憎悪でぐちゃぐちゃで苦しくて堪りません。 お手隙の際で構いませんので 何かお言葉を頂けたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

間違った正義感

こんばんは。 私には好きなアーティストがいます。 そのアーティストのことを呟いたり、そのアーティストを好きな人同士で交流する用のSNSのアカウントがあります。 3年前のことです。所謂同担拒否の方のアカウントを見かけてしまい、その方は友達募集の呟きを投稿していました。その呟きには「同担需要ない」といった文言が含まれており、当時私は凄く動揺してしまったというか私の存在が否定されてしまった気がして、傷つきと怒りが込み上げてきてしまいました。そのアーティスト自身が同担拒否について苦手意識を持っているため余計にそう感じてしまいました。何を思ったのか私はそのアーティストのファンについて書かれている掲示板に行き(ファンがマナーの悪いファンを批判しているような掲示板で雰囲気はあまり良くない掲示板です)「〇〇って人の友達募集の呟きが不快。お前の方が需要ない」と書き込んでしまいました。ですが私の書き込みを気に留める人はおらずそのまま流れていきました。その時の私は、発散できただけで満足であり書き込んだのはその一回だけです。 今現在、引越しや転職をする不安からか別の過去の出来事の罪悪感に陥っており、その流れで掲示板に書き込んでしまったことも思い出し罪悪感を抱いています。今その掲示板は書き込める上限に達し新たなスレッドが作られている状態です。一度書き込んで以来全く書き込んでいないのですが、間違った正義感を振りかざしてしまったと後悔しています。流れてしまった書き込みであり、今はおそらく誰も見ていないスレッドではありますが穴に入りたい気分です。 お相手は今どうしているんだろうとふと思い、記憶を辿ってアカウントを探したところ今は同担拒否ではなくなっているようでした。非公開になっていたためどういう呟きがされているかは分かりませんでしたが… 私はこの後悔とどう向き合っていくべきでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

自分が情けないと思う

こんばんは。私は幼いころ人に沢山迷惑をかけたり傷つけたりしてきました。 思い出すだけで穴に入りたい気分になります。 定期的に思い出してはどうしてあんなことをしてしまったんだろう、なんて未熟な人間だったんだろうと後悔するばかりでそのことが頭の中でずっとグルグルしています。すぐに切り替えられる時もあるのですが、休んでいる時や何もしていない時などは特にグルグル思考に陥ってしまいます。 ある出来事がきっかけで人に迷惑をかけない、傷つけないと決めてからなんとか自分を変えてきたつもりで、現在20代も半ばですが自分を好いてくれる人も多いです(恋愛的な意味ではなく信頼の意味) ですがその人たちをなんだか騙しているような気がして情けなくなります。自分はそんな好いてもらえる人間ではないと思ってしまいます。 今年に入ってすぐですが、私がとても傷つけられた出来事があり病んでしまい仕事を退職しました。暫くはその事を引きずっていたのですが今は落ち着いてきました。それと同時に人って大なり小なり人に迷惑をかけたり傷つけたりするんだな、私だけじゃないんだなと思う反面、過去にしてきたことが帰ってきた因果応報なのではないかと思ってしまいます。 考えたって過去は変えられないというのは頭では分かっているつもりなのですがどうしてもグルグル思考から逃れられません。 私は今後この後悔とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

盗撮をしようとしてしまいました

一年ほど前、電車内で前に座っておられた方を魔が差して盗撮しようとしてしまいました。 当時、自分は別の健全な目的で無音カメラのアプリを入れていました。また、自分のスマホのカメラには広い角度で撮れる機能がついていました。これらを使えば、スマホを向けずとも簡単に盗撮ができるのではないかと思ってしまいました。そしてその方が映るようにカメラを起動してしまいました。 シャッターを切る前に我に返り、アプリをすぐ閉じました。そして無音アプリを悪用しようとしてしまったことが恐ろしくなり、その場ですぐに無音アプリを削除しました。それ以降、盗撮しようとしてしまったことをずっと後悔しています。 シャッターを切らなかったとはいえ、盗撮未遂も盗撮と同様に犯罪です。盗撮や痴漢防止のポスター等を見たときなど、事あるごとに過去の過ちを思い出し、罪悪感で胸が苦しくなります。本来なら謝罪し、罪を償うべきですが、それを包み隠さず打ち明ける勇気がなく、ここまできてしまいました。 自分が撮ろうとしてしまった方は、おそらく自分のやろうとしてしまった事には気づいておられませんでした。また、証拠となる写真は撮っていないことから、自分が言わなければ誰にもこのことはわからないと思います。しかし、そのことが却ってつらく感じます。かと言って誰かに打ち明ける勇気もなく、保身に走る自分がとても嫌になります。 世界には盗撮や性犯罪に苦しむ方が大勢おられます。自分も過去に猥褻なことをされたことがあり、被害に遭われている方の気持ちがわかっていたつもりでいました。しかし、自分の軽はずみな行動で自分自身が加害者の側に立ち、人を傷つけようとしてしまいました。 この罪とどのように向き合っていくべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 21
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ